浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

出前の真実  2

2014-11-15 | 日々是好日
出前の歴史は言い訳の歴史である。

歴史によって鍛えられ、磨き抜かれ、選び抜かれた単語ばかりだ。

「いま出ます」ではなく「いま出るところです」という臨場感あふれる言い方。

「いま出ました」と言ってしまっては、店側の持ち時間は極端に制限される。

しかし、「出るところ」には、無限とも言える時間の幅がある。

たった今注文の制作にとりかかった場合から、今まさに店の戸を開けて外に出るところまで含まれる。

「今出るところだって」とお母さんは家族一同に明るく伝え、一同は「なんだ、そーだったのか」と明るく信じる。

だが、永年鍛えられた「出前の言い訳のプロ」の前には、急造の「出前の催促のアマ」は無力である。

この一家の天丼とカツ丼や天ぷらそばは、まだ店の調理場にある。

しかもカツとエビ天はまだ生だ。

さらに10分が経過して、一家は暗雲に包まれる。

お父さんは、さっきたたんだ新聞を再び拡げて読み始めるが、その目は活字を追ってはいない。

お母さんは頬づえついてテレビを見るが、その目はウツロだ。

このとき不意にチャイムが鳴る。

「きた!」

このときの「きた感」には強烈なものがある。

新聞を読んでいたお父さんは、ピクッと身体をふるわせ、お母さんはガクッとつんのめる。

ところが、このピンポンはダスキンだったのだ。

このときの絶望感、無力感、そして空腹感もまた強烈である。

そしてついにお父さんは立ち上がる。

最初は押し殺した声で「もしもし内藤食堂さんかね?」と言い、突然声が大きくなって「だいたいおまえんとこはいったいどうして…」

と言いかけたとたん、再びチャイムが鳴って「おまっとうさん」の声が。

お父さんは慌てて「今きたから」と急に猫なで声になってしどろもどろに電話を切る。

ついさっきまで暗い目をしていたお母さんが、湯気の立つお盆をニッコリと受け取っているのを見て、ついお父さんは「ご苦労さーん」と明るく声をかけてしまうのである。



今回は注文してないが、ラーメンのラップをはがす時はご用心…

などと、くだらない話でしたとさ、チャンチャン(^^♪


秋景色フォトの追加        

ではまたお会いしましょう(^^♪



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする