4月になると、小学校の新一年生が自分の身体の半分くらいもありそうな、大きなランドセルを背負って登校するようになる。
小学校にあがる子供や孫を持っている人たちにとっては、何よりもうれしいことだろう。
今頃のランドセルは、小さな身体に負担がかからないように、背中に当たる部分に工夫が施されていたり、学校で配られるプリントのファイルが入るように大きさが改良されたりと、ランドセルも進化しているようだ。
しかし自分が子供のころは、ランドセルを背負うのはせいぜい4年生くらいまでと、子供たちのなかでは暗黙の了解があった。
5年生になると自分たちはお兄さん、お姉さんなのだから、もうランドセルなんか背負わないと男子は布製の肩掛け、女子は手さげ鞄などで登校していた。
還暦すぎたようオッサンにも、鼻たれ小僧の時代があった。
小学校入学を控えたある日、親がランドセルを準備してくれた。
つやつやに光ってぷっくりと膨らんだ形のランドセルを期待していたが…
自分の目の前に置かれたのは、期待していたつやつやのぷっくりのランドセルではなく、しわしわで膨らみがなく、妙に平べったいランドセルだった。
ちょっとおかしいなと思いつつ、しわしわのランドセルを背負って学校に行っても、同級生に何も言われなかった。
子供は自分たちと違うものを待っている子に対して、必ずからかったりしたが、それがなかったので安心したのかもしれない。
そんなランドセルを4年生まで使って、その後は忘れてしまった。
しかし、この歳になって小学生のときの疑問が蘇ってきたのである。
あれはお下がりに間違いない。
まだ使える不用品を有効に使うのは美徳であるが、そのランドセルがお古とは正直に話しづらかったに違いない。
だけど子供心にも、お古が当たり前の時代でもあった。
3人兄弟姉妹あたりが普通だったかなぁ。
豊かになった日本、銭さえあれば何でも買える今の時代。
お古の文化も途絶えてしまいそう。
それよりもこんなご時世、通学する子供たちを見ないのが寂しい限り。
当たり前の風景が、当たり前でないのがとても残念です。
いつしか牡丹が咲く季節になっている
今年はゴールデンウイークという言葉が空しく響く。