はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

国力の差を見せつけられる大河ドラマのスケール感

2022年06月14日 | はなこ的考察―良いこと探し

特にコロナ禍になってから、自宅で中国の歴史大河ドラマを見るようになった。もう何本見ただろう。ゆうに10本は超えているだろうか。1作品あたり50話超えは当たり前で、長いものは80話を超える。

最初は大勢の登場人物の名前を覚えるのもなかなか大変で、物語が進むにつれて、もつれにもつれるその関係性にも頭を悩まされ、凄まじい権力闘争と人命のあまりの軽さに嘆息することも多いが、主要人物達が直面する問題を俯瞰的に捉え、的を射た戦略で鮮やかに解決するさまや、トップに立つ者がゆるぎない自信を見せて語る大局を見据えた国家観や、登場人物各々の台詞にさりげなく挟み込まれる故事成語の豊かさに彼の国の歴史の重みと思想の奥深さを感じられるので、いつの間にか物語の世界に没入して物語の登場人物らと共に長丁場を完走している自分がいる。

もちろん日本の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も見ているが、その話数は61話と中国大河にひけを取らないものの、いかんせん画角のスケール感のしょぼさは否めない。

制作者がTVドラマであることを意識し過ぎなのか、やたらと登場人物のクローズアップが多く、背景が殆ど映り込まない。

背景の撮影セットも中国の方が格段に豪華で、それに比べると日本のものは貧相に見える。そのせいか大きな画角で壮大な背景描写の多い中国大河ドラマと比較すると、日本の大河はチマチマした作りに見えて仕方がないのだ。

「鎌倉殿の13人」にしても源頼朝と北条一族を軸に血みどろの権力闘争を繰り広げる展開なのだろうが、現状、権力に魅入られた者達が小さな箱の中で角突き合わせてチマチマ争っているようにしか見えない。

今、WOWOWで見ている「始皇帝 天下統一」なんて、1話が映画1本に匹敵するほどの充実ぶり。毎回、見ていて高揚感があり、学びもある。

島国と大陸の違いと言えばそれまでだが、物の見方、そして描き方のスケール感にあまりにも差があり過ぎて、それがそのまま国を動かす人間の器の差、国力の差を見せつけられているようで、何ともやるせないのだ(やっぱり、中国は経済的に豊かになったのが大きいなあ)

考えてみれば元より中国は大国だった。遥か昔から日本より先進の国であった。それが足踏みして、国際社会における存在感で日本の後塵を拝したのは、共産主義国家に移行してからのほんの50年に過ぎない。そして、その中国が徹底した中央集権体制で本気を出すと、経済力も技術力も、小さな島国の日本をあっさり抜き去ってしまった。

日本はこの現実を認めなければならないのだろう。日本の春は思いのほか短かったなあ…しかし、小国は小国なりのフットワークの軽さと知恵で国難に立ち向かい、独立国家として生き抜けば良いのである。大国のような体を目指す必要などない。

昨日のテレビ番組で、現代の皇帝たる不動の地位を確立したかに見える習氏とNo.2と目される人物との間で、今また権力闘争の兆しが見えるとのニュースを目にした。中国ウォッチャーは「日本とは比較にならないほど凄まじいものになるでしょう」と宣う。

中国の歴史大河ドラマを散々見た者からすれば、さもありなんな話である。大国だからこそ、それを支配したい欲望、権力に魅入られた人間が後を絶たないのだろう。

ちっちゃな島国の日本はその余波をまともに喰らわないように、うまく立ち回る必要がある。それが出来る知力と胆力を備えた政治家が、果たして今の日本にいるのだろうか?

そもそも、せめて100年の計で国家戦略を立てることの出来る知略家が、日本の中枢に久しく存在していないことが、現在の日本の凋落をもたらしているように思えて仕方がない。

魑魅魍魎が跋扈し、それぞれ国の正義がせめぎ合う国際社会では狡さも必要。しかし、長らく四方を海に守られて来た島国日本人は外敵に対しての警戒心がなさ過ぎて、自らの保身の為に時には他国を欺く狡さを持ちあわせていない。同じ島国ながら「外交は武器を持たない戦争」と断言する英国のような覚悟も足りない。そして、朝鮮半島の北にある国のような自らの弱点を強みにする強かさもない。

このままでは為すすべもなく大国に隷属する小国へとまっしぐらである。

どうにかしようよ、日本!(了)

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« はじめましてのgooブログ | トップ | 何か違うような気がする~新... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。