はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

何か違うような気がする~新潟の美術館展示作品損壊事件における作者の反応

2022年06月18日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)

先日、新潟県のとある町の美術館内で起きた事件。

新潟市内から修学旅行で訪れた中学生数人が、展示作品を修復不可能なまでに損壊したと言うもの。

その一報を私はヤフーのニュースサイトで知ったのだが、その後、被害者である作者が自身の公式ツィッターで「誰でも若いうちはちょっとした失敗はするもので、今回は結果だけ見れば一線を越えていたかもしれませんが、それでも誰かに怪我を負わせたわけではありません。」「確かに作品は完全に破壊されましたが、物は物です。作者はまだ生きていて、作品を修復する気力も体力もあります。」「それよりも重要なのは生徒たちが内なる不満や怒りや欲望をさまざまな違った形で表現できるよう支えることです」との見解を示したと言う。

自身が精魂込めて創り上げたであろう作品を踏み潰されて、修復不可能なまでに損壊されたにも関わらず、作者はかなりオトナな対応で、その寛容さには正直驚いた。

なぜなら、今回の件には私自身が結構な憤りを感じていたからだ。作者のツィッターの文言を鵜呑みにするならば、おそらく作者以上に。

なぜ今回の作品とは無関係な私が、まるで自分事のように怒りを覚えたかと言うと、私は幼い頃から超が付くほど創作意欲が旺盛で、実家の小さな書店兼文房具店の店番をしながら、そこで売られている商品をくすねては💦、絵を描いたり、ストーリー漫画や絵本、詩、小説を創作したりしていたからだ。残念ながら家庭の事情で、その創作意欲は急速に萎み、18歳で厳しい社会の現実と向き合うことになったけれど

その後夫の理解もあって30代半ばで入学した美大では、授業の一環とは言え、油彩、彫刻、金工、木工、写真、CGグラフィックスなどを手掛けた。美術史専攻だったが、とにかく創作を楽しんだ。

その中でも木工に嵌り、3回生の時には大学と交渉し、追加で受講料を支払って時々講師からマンツーマンで指導を受けながら、授業の合間を縫って木工室で家具を作ったりもした(当時、同じ木工室でひたすら豚のオブジェを自主制作している子もいた。その子は卒業後芸大の院に進学してプロの作家になったらしい)。そんな私からしたら、その出来栄えはともかく、作品のひとつひとつがかけがえのない我が子のようなものである。宝物に等しい。

だからこそ、作家のコメントには本当にビックリだ。精神的にタフで、作品に対して随分ドライだなと思う。

おそらく作者は気力も体力も充実した気鋭の(現役バリバリのプロの)作家で、報道によって今回の一件を知った多くの人からの作品を悼む声を聞いて勇気づけられたこともあってのことだろうけれど…

そもそもバックグランドも知りようのない赤の他人の考えなど、私が理解できないのは当然なのかもしれない。ツィッターの文言だけでは、彼がどのような経緯でその寛容さを獲得したかも、推測のしようがない。

ともあれ、被害者である作家のあまりにも寛容な態度に危惧するのは、彼の真意が果たして件の加害者たる中学生達に正しく伝わるかどうかである。中学生達が他人の創作物を壊したことを心から反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないと自覚できるのかどうか?

子ども達の持て余すエネルギーの発露としての表現の方法や場を大人が考えてあげるのももちろん大事だけれど、既ににやらかしてしまった件の中学生達には、まずは自分達の行動をじっくり省みる時間を与えた方が良いと思う。

ヤフーのコメント欄では、修学旅行でワケの分からない現代美術を見せられる子ども達の身にもなってみろと言う主旨の親サイドの意見も見られた。仮に加害者の中学生達の親がそのような考えの持ち主なら、我が子の過ちを本気で𠮟れるのだろうか?

最近、子供時代に一度も叱られることなく育った人が社会人になり仕事上の失敗で上司や先輩に叱られると、彼らはことさらショックを受け、自分の殻に籠ってしまう傾向があると聞く。

子どもから青年の時代は確かに失敗や過ちはつきもの。しかし、まだ子どもだから、若いからと大人が無条件に許し、子どもや若者が反省する機会を与えられなければ、彼らは自身の失敗や過ちから学ぶことが出来ない。人間としての成長は望めない。

若い頃の失敗や過ちは、まだ自分自身が未熟であるがゆえに、誰かに正して(諭して)貰えるからこそ価値がある。それが証拠に、年を取れば取るほど自分を心から叱ってくれる人はいなくなる。結果責任を問われるだけだ。

たとえコロナ禍と言う特殊な状況下で、子供たちが閉塞感にさいなまれているとしても、それを理由に他人の創造物の破壊を許して良いわけがない。大半の子ども達は、そんなことはしないのだから。そもそもどの時代の子ども達にも、その時代なりの苦しさや悩みはあるのだから。

今後の影響を考えると、他人の物を壊すことに免罪符を与えてはいけないと思う。今回の被害者の発言には、その点についての配慮が欲しかった。

さらに報道によれば、公立学校の生徒が引き起こした事件ということで、帰属する自治体に対し損害賠償を求める可能性があるとのことだが、今回の一件は、学校より親の責任が多分に大きいと思う。子は親の鏡だからだ。

まだ見る世界がせいぜい半径2mくらいの子ども達からすれば、親の影響はかなり大きい。親の価値観が子ども達の行動にも反映されがちだ。

いじめの加害者にも言えることだけれど、こうした未成年の問題は親に問題のあるケースが多く、親子セットで正して行かないと、問題の本質は解決しないと思う。

今回の作者の寛大な”親心”は、果たして件の中学生達の心の成長を促す結果に至るのか?

ところで、美術作品鑑賞を教育の一環と捉えるならば、ヤフーコメント欄で目にした「破壊された作品」と「破壊される前の作品の写真」を併せて展示するアイディアは一考に値すると思う。

美術館や作者本人からこうした提案がなされるなら、市民を啓蒙する美術館本来の役割にも合致して、私なら諸手を挙げて賛成しますが…

そうなれば…転んでもタダでは起きぬ…否、禍転じて福と為す…かしらね?(了)

✳︎見出し写真は大阪は難波神社の、御神木の大楠です。素敵でした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国力の差を見せつけられる大... | トップ | 今のところ老化で一番辛いの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。