実話に基づいた物語。”第一次世界大戦に音楽が絡んだ”
と言えば、どうしても昨年ヨーロッパで大ヒットを記録し、
米アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた
『戦場のアリア』と比較して見てしまうのは酷か?
1914年、ドイツの極東軍事拠点である中国の青島を
攻略した日本軍は、4700人にも上る独兵を
日本各地に点在する捕虜収容所に収容した。
過酷な待遇が当然の中で、唯一独兵の尊厳を認め、
独兵と地元民の間で友好的な関係を持ち得た異色の
収容所があった。それが徳島・板東俘虜収容所である。
陣頭指揮をとる松江所長は会津人としての誇りを胸に、
あくまでも誠実に、実直に独兵捕虜達と接するのだった…
冒頭、実戦の記録映像を交えながら、青島における日独の
攻防や、その後のドイツ兵虜囚までを描いている。
重苦しい空気の中、陰惨なシーンの連続。
それが板東俘虜収容所に場面転換すると、
一転して画面は明るくなり、穏やかな空気に変わる。
瀬戸内海に面した温暖で豊かな自然と、
長閑(のどか)な里の田園風景が美しい。
そこで展開する人間ドラマのあたたかさを
暗示するかのようだ。
徳島の板東は、日本人が最も好きな曲のひとつ『第九』の
初演の地として名高いらしい。既にテレビドラマでも
一部描かれたエピソードのようだ。
映画としては、愚直なまでに生真面目に、
戦中の日独の交流を描いている。ホント遊びがないな。
殆ど善人ばかりが登場するのは、
美談仕立てが過ぎるようで違和感を禁じ得ない
(が、それは私が純粋ではないからか)。
台詞も全般的に堅苦しく、どこかぎこちない。
見ているうちに、昨年公開の『マザー・テレサ』の愚直さを
思い出した。
サイドストーリーの男女の交情も唐突な感じがして、
今ひとつ二人の悲恋に感情移入ができなかったのが残念。
大後寿々花ちゃんはヴィジュアル的に
”まんまSAYURIじゃん”と思った(笑)。
映画の出来としては不器用極まりないが、
作り手の一生懸命さは伝わって来る。
ドイツでも公開が決まったらしいが、
ドイツの人々にはどのように受け取られるんだろう?
いまだに第二次大戦時の、
日本の捕虜の扱いを恨んでいる人が少なくないと聞く
英国人が見たら、どう思うのだろう?とふと考えたのだった。
捕虜の扱いの違いという点から見れば、
第一次大戦では日本は一応戦勝国であり、
まだ軍部にも国民にも余裕があったということなのだろうか?
同時に第一次、第二次と2度も大戦に敗れたドイツの悲惨が
想像された。
【追記】
劇中出てくるカラー写真のことが、ここより先に本作について
取り上げたBBSで話題に上った。
今から約90年前に、日本でカラー写真は普及していたのか?
試みにグーグルしてみると、少しではあるが、興味深いこと
が判った。
カラー写真は、現在の「現像」と違う形ではあるが、すでに
19世紀後半には存在したこと。
日本では明治維新以降、失職した日本画の絵師が着色写真
を手掛け、その技術は当時の世界最高水準であったこと。
100年前のカラー写真が紹介されているサイトがあったので
以下にリンクしておきます。ご参考までに。
100年前のロシア
100年前の日本
ついでに、タイトルの由来について。
以下のサイトの4月18日付けの記事で言及されています。
学習院大学ドイツ文化学科
今、新聞やテレビを騒がしつつある近日公開の映画と言えば、
「バルトの楽園(がくえん)」です。「バルト」と聞いたとき、
みなさんは何を想像されるでしょうか?
「バルト海」を想像する人も少なくないはず。
実は、この映画のタイトル、どなたが考えたのか知りませんが、
二重の意味を持たせています。
テレビCMでは、「バルトはドイツ語で『森』」という声が流れますが、
この場合はWaldで、発音は [valt]。しかし、実はもう1つあって、
それは Bart(発音は [bart])、こちらは「髭(ひげ)」です。
よく見てみると、タイトルの「楽園」にもわざわざ振り仮名がふってあって
「がくえん」となっていますが、普通に読むと「らくえん」
(=パラダイス)です。
なぜ、このように言葉をかけあわせているのでしょうか?
この6月17日からロードショーの映画の内容を理解すると、その謎は解けます。
この映画は、「第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の板東俘虜収容所での
ドイツ人捕虜達が、収容所員や地元民と文化的・技術的な交流を深め、
ベートーベン作曲の『交響曲第九番 歓喜の歌』を日本で初めて演奏した
という奇跡的な実話」を扱っていて、
しかもあの「ヒトラー 〜最後の12日間〜」 (Der Untergang)で
ヒトラー役を演じたブルーノ・ガンツ(Bruno Gantz)も出演しています。
松江豊寿所長を演じる松平健もドイツ語をしゃべります(注目!)。
さて、ハインリッヒ少将と松江捕虜収容所所長は、
二人とも立派なヒゲをはやしています。
舞台は、徳島県鳴門市の板東の山の中(「森」と言えなくもない)。
そして、松江所長はハーグ条約に則り捕虜の人権を遵守し、
ドイツ人俘虜達を寛容に待遇したので、この地はパラダイス(楽園)
であったと同時に、ベートーベンの第九を演奏した音楽の園(楽園)
でもあった、というわけです。(以上、上記サイトより引用)