はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

国際シンポジウム「美術館・博物館の挑戦」聴講記録(2)

2008年07月15日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)
■青柳正規氏
「日本の国立美術館の現状と問題点について」
日本の国立美術館(国立西洋美術館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館の4館)は、平成13年に独立行政法人に移管した。その年の年間入館者総数は約140万人。4年後の17年には400万人を記録しているが、これは「ゴッホ展」効果である。そして昨年度(19年)は、国立新美術館の新規開館もあって430万人と堅調に増加。因みにフランスのルーヴル美術館は年間800万人の入館者で、スタッフは2000人を擁し、年間運営予算は365億円に上る。それに対し、日本は5つの国立美術館全体でわずか125人のスタッフ、65億円の予算である。数字だけ見れば、かなり効率的な運営と言えるのではないか?昨年度は全体で15億円の収入を得たが、運営費の殆どは政府からの交付金頼みだ。しかも交付金は年々漸減しており(管理費4%減/年、人件費1%減/年)、独立行政法人化前に比べ、26%の大幅減となっている。

それでも戦略的な美術館運営と、市民への公共の福祉に寄与すると言う美術館の社会的意義から、企画展の実施は欠かせない。企画展は世界的名品の紹介、世界の美術品との比較、コレクションの特質の相対化、と言った意味でも重要な役割を担っている。しかし近年、開催経費の増大に、美術館は頭を悩ませている。世界的に美術展人気が高まり、美術品の評価額も高騰、それに伴う(万が一作品が損傷を受けた場合に支払われる)補償費用の保険料の高騰が、開催経費の大幅な増大を招いているのだ。

例えば、展示作品の総評価額が5億ドルの場合、保険料負担は1億円にものぼる。この1億円を捻出するのに、入場料を1500円として、12万人の来場者を必要とする計算になる。しかも開催経費には輸送費(世界的原油高でコスト増大)、設営費、警備費等もかかる為、できれば30万人の来場者を希望したいところだ。しかし、日本の大規模展覧会開催の特殊性として、新聞やテレビ局等マスメディアとの共同開催と言う体制があり、展覧会で上がった収益は出資比率に応じて還元される仕組みになっている。つまり、新聞社やテレビ局のサポートなしに展覧会を実施できない脆弱な経営体質が、美術館の大きな問題のひとつと言えよう(やみくもにメディアとの共催を否定するものではないが、メディアへの依存度が高まれば高まるほど、収益性を優先した企画になりはしないか?と言うのが、はなこの私見)。

因みに米国では免責はあるものの、補償費用として、政府が年額100億ドルを用意している。日本でも多少の補助はあるが、保険料の高騰には到底対応できないのが現状で、早急に米国のような政府による手厚い補償システムの確立が望まれる。その為には美術館側もリスク・マネジメントを強化する必要がある。透明性、公平性、公共性に優れた、美術館施設に対する第三者評価機関の設立によって公明正大な審査がなされ、十分な補償費用補助が展覧会実施に際して行われれば、展覧会、ひいては美術館の質的向上にも繋がるのではないだろうか?

【感想】
日本は「文化」の価値を過小評価し過ぎている。それは行政区分にも顕れている。監督官庁が文科省傘下の「文化庁」レベルであることからも、それは一目瞭然。防衛庁を防衛省に格上げするなら、文化庁も文化省に格上げすべきだと思う。「文化」とは国の顔であり、根幹を成すものだ。文化レベルで、国の格が決まると言っても良い。なぜなら軍事力や経済力は未来永劫維持できるものではないし、その威力は相対的なものに過ぎないからだ。

今回のシンポジウムでも、他国がいかに「文化」を国家戦略の中で重要なものと位置づけているのかがよ~く分かった。特に台湾など、故宮博物院という巨大な中国文化の権化を野心的に活用しようとしている。その戦略は明確で求心的で、成功すれば台湾の国家としての「格」を大きく引き上げるだろう。

イタリアには、日本と同様の問題を抱えつつも、自国文化への揺るぎない自信と愛情が感じられた。どちらも日本に、特に政府の戦略に欠けているものだ。国家がもっと「文化」にお金をかけないと、いかに優れた「文化」も枯れてしまう。「文化」は植物と同じなのだ。愛情を持って育てる必要がある。

国立西洋美術館については、その立地のアドバンテージを果たして十分に生かし切っているのか、という疑問がある。美術館・博物館・大学という文化施設の集積性は、日本の他のどこにもない大きなアドバンテージである。例えば「上野ミュージアムパス」と言った地域限定のパスを発行して、1日或いは複数日自由に入館できるようにする、とか、ミュージアム・ウィークというイベントを実施するなどして、官民の垣根を越えて、美術館単独ではなく、地域全体で盛り上げて行こうという視点が、今後は必要なのではないかと思う。

また、首都圏の展覧会は、既に量から質への転換期を迎えていると思う。ただ単に海外から有名作品を数多く持って来れば良いというものではない。いかに見せるか、いかなる切り口で作品に迫るかと言う、学芸員の発想力、企画力が問われる段階に来ていると思う。それが来館者の満足度を左右し、ひいては美術館への愛着を深めて行く。その意味で常設コレクションは大切である。既存の財産を十分に生かすことが、美術館発祥の原点であり、美術館本来の役割である、作品の収集・保存・修復の充実にも繋がるのだと思う。

常々疑問に思っていることだが、来館者減を嘆く美術館・博物館は、地元の教育機関との連携を十分に図っているのだろうか?年に1度は地元の児童生徒が訪れる体制を、教育機関と協力して作る努力をしているのだろうか?その際、自治体も入館料収入より入館者実績で美術館・博物館を評価すべきだろう。地元文化に触れる機会の尊さは、お金では換算できないものだと思う。

最後に、質疑応答で最後の質問者が指摘していたように、こうした国際シンポジウムを単なる1日限りのイベントではなく、より実効性の高いものにする為には、テーマに関心を持って出席した人々から多様な意見を吸い上げて行く場としての機能を持たせる(アンケートの実施等)ことは重要だと思う。

【ちょっと気になったこと】
クリスティーナ・アチディーニさんの英語はとても聞き取りやすく同時通訳も不要なくらいだったが、周さんの英語は一文の中に情報がギッシリ詰まっている感じで、プロの同時通訳者もしばしば言葉に詰まる程だった。かつて仕事であるシンポジウムの統括をした夫曰く、それは周さんの配慮が足りないのでは?とのことだった。こうした通訳を介するシンポジウムでは饒舌にまくしたてるのではなく、いかに正確に、通訳を介して自分の言わんとしていることを聴衆に伝えるかが大事らしい。果たして周さんの講演内容は聴衆にきちんと伝わったのだろうか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国際シンポジウム「美術館・... | トップ | あ~疲れた(-_-) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。