
本作は、ユダヤ人強制収容所で、ガス室送りとなった同朋の遺体処理等を担うゾンダー・コマンダーと呼ばれるユダヤ人雑役係のひとり、サウル・アウランダー(ルーリグ・ゲーザ)のある2日間の動静を描いた作品である。
主人公のサウルは、ガス室で奇跡的に一命を取りとめながら、無慈悲にもナチスの医師によって殺害された少年を、なぜか自分の息子と思い込んでしまう(と私は解釈した)。そして、周囲の再三の警告も省みず、ユダヤ教の正式な葬送の儀式に則って埋葬したいと奔走する。
ゾンダー・コマンダーであるサウルも、遠からず同朋と同じように「処分」される身だ。生死の狭間で狂気に走ったとしか思えないサウルの暴走に周囲も振り回されるが、「息子の埋葬」に取り憑かれたサウルは、周囲の困惑を一顧だにしない…
通常、映画の本編が始まるとカーテンが左右に開いてスクリーンが大きくなるが、本作では逆にカーテンが中央に向かって寄り、スクリーンがほぼ正方形に近い形で狭まった。そこからして本作は閉塞感漂う雰囲気を醸し出して、私は息苦しさを感じた。
画面は全編を通じてほぼ暗く、カメラはサウルや彼の周辺の人々の姿をクローズアップに近い形で追う。映し出される光景は、あたかもサウルの、或は彼の周辺の人物の目を通して見たかのように限定的で、例えば、サウルの背後に映り込んだ無残な遺体やガス室の床の血のりが、より一層陰惨な印象を残す。
まるでサウルの置かれた極限状況を追体験しているかのような錯覚を覚えた。上映時間の107分凝視して見続けるのは、正直辛かった。これが想像の物語ではなく、今から70年以上前に実際に起きた出来事、人間が同じ人間に対して行った蛮行であることを、弥が上にも突きつけられたような気がした。
私にとっての「ユダヤ人迫害」は、小学生の頃に読んだ「アンネの日記」が原点で、以後、ユダヤ人迫害をテーマとした様々な切り口の映像作品を見て来たけれど、見る度にいつも戦慄するのは、人間の同じ人間に対する冷酷さだ。
何がどうしたらジェノサイドと言う思想に至るのか?
日々刻々と伝えられるニュースを見る限り、世界の各地で、「政治体制」や「思想信条」や「民族主義」、そして「宗教」の下に、今も同様のことが行われている。
ジェノサイドは、過去の、ナチスドイツだけの話ではない。
第68回カンヌ国際映画祭グランプリ、米アカデミー賞外国語映画賞受賞作。
(ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞)