はなこのアンテナ@無知の知

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なぜ、飲酒運転はなくならない?

2014年07月14日 | 気になったニュース
北海道で海水浴帰りの女性4人が道を歩いていたところ、後方から来た車に撥ねられ、3人が死亡、ひとりが重症を負ったと言うニュースを目にした。

運転していた男は海の家などで12時間に渡り飲酒を続けた上に、スマホに気を取られて前方不注意の末、4人を撥ねたと言う。しかも、4人を助けようともせずに、その場から逃げている。つまり、ひき逃げである。酷い話だ。

スマホと言えば、この2、3年のうちに、私は近所の横断歩道で何度となく車に轢かれそうになったが、その何れもが、運転手がスマホを見ながらハンドルを切っていたのが原因だった。私自身が危険を察知して逃れたから事なきを得たものの、運転手はスマホに夢中で、自分が人ひとりをあわや轢きそうになったことさえ気付いていないのだoni

男の運転する乗用車はJeepと言うブランドの外車だった。車体前部が大きく凹んでいた。

被害者の父親は、「かけがえのない一人娘を、突然に、こんな形で失うなんて」と悲嘆にくれておられた。本当に胸が痛む。

一昨日も埼玉県で、バイクに乗っていた65歳の女性が、飲酒運転の車に巻き込まれ、1km以上も引き摺られて死亡する事故が発生している。何と言うむごさだ。

かけがえのない家族を、突然に奪われる辛さは、察するに余りある。

私の妹も飲酒運転ではなかったが、前方不注意のトラックに轢かれて亡くなった。頭から轢かれたので、出棺前に見た最後の姿は頭部が包帯でグルグル巻きの状態だった。おそらく遺族にはとても見せられない状態だったのだろう。今は亡き祖母や、母が、妹の亡骸にすがりつくようにして嗚咽したのを、40年以上経った今も、私ははっきりと覚えている。

ましてや一昨日、昨日の事故は、加害者の飲酒運転によるものだ。あまりにも理不尽な原因に、遺族の悲嘆はいかばかりか…

数年前にも福岡で子ども3人が亡くなる事故があり、飲酒運転は社会問題として大きく取り上げられたはずである。それを受けて道路交通法では厳罰化も図られたはずなのに、一向に飲酒運転は減らず、飲酒運転による事故も後を絶たない。日本のそこかしこで、大事な人を突然失う悲劇が繰り返されている。

以前も言及したが、飲酒運転には、その背景に「アルコール依存症」があるのだという指摘もある。このところの日本は、脱法ハーブだの、覚醒剤だの、はたまたネットだの、携帯だの、日本人が何かに過度(病的)に依存して、さまざまな社会問題を引き起こしているように見える。

それは日本という国が戦後、経済的豊かさに向かって邁進し、人々が相互に助け合うことがなくても生きて行ける社会を創り上げたことで、個人主義が過剰に肥大してしまった結果なのか?

他者に気を遣うことなく欲望のままに生きれば(それでも生きて行けるのが今の社会)、自制心というブレーキも効かなくなる。自分に甘く、タガの外れた人間は、社会秩序を守る為のルールも軽視するようになる。そんな人間がごく一部であっても、それ以外の大多数の人間が迷惑を被る。迷惑だけならまだしも、時には命さえ奪われる。

今また、道徳教育の必要性も叫ばれつつあるが、教育を以てしても残念ながら矯正できない人間はいるのだろう。そういう、どうしようもなくタガの外れた人間は、早晩自滅するにしても、関係のない他人は巻き込まないで欲しいoni


【2014.07.19追記】

今朝、NHKの情報番組に井上郁美さんが出演されていた。井上さんは今から15年前の1999年に、東名高速で、飲酒運転のトラックに背後から追突されたのが原因で乗っていた自家用車が炎上し、2人のお嬢さんを亡くされた。その後、ご夫婦で飲酒運転の危険性を強く訴えて、「危険運転致死傷罪」の法制化に尽力した方だ。

私は数年前に彼女にお会いしたことがある。私の地元で、不慮の事故や自殺で亡くなった子ども達の遺品を展示して、命の尊さを訴える催しがあり、その会場で偶然、お話する機会があったのだ。事故の後、生まれた幼いお嬢さんも一緒だった。穏やかな雰囲気を湛えているが、芯の強そう女性だった。だからこそ遺族として、今もなお粘り強く飲酒運転の撲滅を訴え続けているのだろう。

その彼女が、厳罰化だけでなく、国民全員に、飲酒運転の恐ろしさの周知徹底を図ることの重要性を指摘していた。それこそ小学性の頃から、学校現場で、家庭で、繰り返し教育することの必要性を訴えていた。

結局、社会秩序は、「法律」と「個々の良心」の両方で保たれると言うことなのだろう。子どもの頃から、自分自身や周りの人々の命と生活を守る為に、また社会秩序を保つために、自分は何をすべきか、逆に何をすべきでないのか、きちんと教育することの重要性を、私達ひとりひとりが自覚し、今一度、学校・地域・家庭の教育の在り方を改めないと、この国はどんどんダメになって行く。

自分を大切にする自尊心、あらゆる誘惑に負けない自制心、そして、他者を思いやる慈愛の心…こうした、本当の意味での「強い心」を育てるにはどうしたら良いのか、私達は今こそ知恵を絞らなければなならないのだと思う。
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