飛行機搭乗で止まったままのLA旅行記
、2009年後半期公開映画の総括、最近見て印象に残った映画の感想、最近本を読んで知ったこと、感じたこと、考えたこと等、書きたいこと、書かなければならない?ことはいろいろあるのですが、なかなかまとまった時間が取れないのと、いざ書こうと思ってブログにログインしたのに、時間帯が悪かったのか、サーバーエラーなのか、管理画面に行き着かなかったりで、思うように記事が書けません。このままじゃ、せっかく書こうと思ったアイディアも忘れてしまうかも
しかし、愚痴っているヒマがあったら、短時間でも書けることを書くと致しましょう
去る日曜日には、先日メールをくれた大学時代の友人と、横浜みなとみらいで久しぶりに会いました。みなとみらいと言うと、桜木町の駅を出てすぐに目に飛び込んで来る横浜ランドマークタワーをついつい写真に納めてしまう私です(笑)。この日も雲一つない青空を背景にして、ランドマークタワーを筆頭に周辺のビル群は白く輝き、存在感を見せつけていました。
ふたりが待ち合わせた場所は横浜美術館。折しも開館20周年記念展として、「束芋(タバイモ)展」(←クリックすると、展覧会公式HPにジャンプできます)を開催中。大学時代に友人達と連れだって見に行った横浜トリエンナーレで、衝撃(笑撃?)の出会いを果たしたアーティスト。あれから既に10年が経過しましたが、束芋氏は着実に日本の(世界の?←仏、独、米等にも進出)現代アート界において、確固たる地位を築いたようです。アニメーションと言う既存のメディアを用いて、シュールな独自の作品世界を構築する手法には益々磨きがかかったよう。
日常の中に潜む非日常性を、独特の感性で炙り出す、とでも言いましょうか?いつもの見慣れた風景、光景、情景の一断面を切り取って、デフォルメしたり、異質なもの同士を繋げたり、俯瞰したり、接写したりすることで、日常、それらに対して抱いていた固定観念とは異なったイメージ、含意を提示する。
すごく陳腐な表現で申し訳ないけれど、”脳みそのいつも使っていない部分を、コネコネこねくりまわしているような”快感に襲われる。私が最初に見た《日本の通勤快速》もそうだったけれど、アニメーションを3次元的に構成して、見る者をその場(作品の中)に立ち会わせるような錯覚に誘う手法は、今回、鏡の使用や空間に設けられた勾配によって、さらに表現の幅が広がったように思います。
そして全作品に貫かれるブラックなユーモアは、ネットで増幅される人間の悪意のような、人間の中に潜むブラックな部分(←あくまでも”部分”)への共感を呼んで、思わずニヤリとさせられる。その意味では、30代半ばの束芋氏とは世代的に異なるけれど(所謂バブル世代のイケイケドンドンな、アグレッシブな40代と比べると、ポストバブルの30代は内省型?)、十分楽しめる普遍性を備えた作品群でした。それから忘れていけないのが、束芋作品のBGMの絶妙な選曲。センスの良さを感じます。
アニメーションを空間的に構成する、と言う手法だけに(もちろん、作品はそれだけではありませんが、今回の展覧会ではパフォーマンス・アートにも挑戦するようです)、束芋氏のアニメーション作品は、図録はおろか、例えばDVDで2次元的に見ても、その本来の面白さは伝わらないでしょう。あくまでも展覧会に実際に足を運び、その場で体感してこそ理解できる。そういう類の作品なので、興味のある方は是非、横浜美術館まで足を運んで欲しいと思います。しかも今回は展示作品すべてが新作だそうで、まさに束芋氏の”現在(正確に言うと、”つい最近”、或いは”ちょっと前”なんだろうけれど・笑)”を目撃することになるのです。
【束芋氏の過去の作品(You-tubeより)】
◆Japanese Kitchen
◆Tabaimo-1 at James Cohan, New York (March 2008)
友人と「束芋展」を堪能した後、ランドマークタワー内にある和食屋さんで、少し遅めのお昼ご飯を食べながら、近況を語り合いました。私に比べたら、まだ若い彼女のこの数年間は激動であったようです。彼女とは一昨年にも会ってはいたのですが、本格的な就職と言う節目を迎えたこともあってか、その時には話せなかったことも話してくれました。
個人的なことなのでここでは敢えて詳細を書きませんが、楽しいこと、辛く悲しいことがない交ぜになったこの数年間が、彼女の人間的成長を促したように、私には感じられました。心の間口を広げて、自身とは異なった価値観も一旦は受け止める柔軟性、寛容性が備わったように見えました。それが人生経験を積む、と言うことなのかもしれません。そんな彼女が頼もしく見えました。
こうした友人関係で思うのは、同世代だけでなく、自分より上の世代、或いは下の世代と、先輩後輩関係とはまた違った、良い意味で対等で、それぞれの世代的な違いを有為なものとして受け止められる関係を結ぶことの楽しさでしょうか。自分自身の世界観を、より自然な形で広げてくれる刺激的な関係と言えるのかもしれません。




ふたりが待ち合わせた場所は横浜美術館。折しも開館20周年記念展として、「束芋(タバイモ)展」(←クリックすると、展覧会公式HPにジャンプできます)を開催中。大学時代に友人達と連れだって見に行った横浜トリエンナーレで、衝撃(笑撃?)の出会いを果たしたアーティスト。あれから既に10年が経過しましたが、束芋氏は着実に日本の(世界の?←仏、独、米等にも進出)現代アート界において、確固たる地位を築いたようです。アニメーションと言う既存のメディアを用いて、シュールな独自の作品世界を構築する手法には益々磨きがかかったよう。
日常の中に潜む非日常性を、独特の感性で炙り出す、とでも言いましょうか?いつもの見慣れた風景、光景、情景の一断面を切り取って、デフォルメしたり、異質なもの同士を繋げたり、俯瞰したり、接写したりすることで、日常、それらに対して抱いていた固定観念とは異なったイメージ、含意を提示する。
すごく陳腐な表現で申し訳ないけれど、”脳みそのいつも使っていない部分を、コネコネこねくりまわしているような”快感に襲われる。私が最初に見た《日本の通勤快速》もそうだったけれど、アニメーションを3次元的に構成して、見る者をその場(作品の中)に立ち会わせるような錯覚に誘う手法は、今回、鏡の使用や空間に設けられた勾配によって、さらに表現の幅が広がったように思います。

アニメーションを空間的に構成する、と言う手法だけに(もちろん、作品はそれだけではありませんが、今回の展覧会ではパフォーマンス・アートにも挑戦するようです)、束芋氏のアニメーション作品は、図録はおろか、例えばDVDで2次元的に見ても、その本来の面白さは伝わらないでしょう。あくまでも展覧会に実際に足を運び、その場で体感してこそ理解できる。そういう類の作品なので、興味のある方は是非、横浜美術館まで足を運んで欲しいと思います。しかも今回は展示作品すべてが新作だそうで、まさに束芋氏の”現在(正確に言うと、”つい最近”、或いは”ちょっと前”なんだろうけれど・笑)”を目撃することになるのです。
【束芋氏の過去の作品(You-tubeより)】
◆Japanese Kitchen
◆Tabaimo-1 at James Cohan, New York (March 2008)
友人と「束芋展」を堪能した後、ランドマークタワー内にある和食屋さんで、少し遅めのお昼ご飯を食べながら、近況を語り合いました。私に比べたら、まだ若い彼女のこの数年間は激動であったようです。彼女とは一昨年にも会ってはいたのですが、本格的な就職と言う節目を迎えたこともあってか、その時には話せなかったことも話してくれました。
個人的なことなのでここでは敢えて詳細を書きませんが、楽しいこと、辛く悲しいことがない交ぜになったこの数年間が、彼女の人間的成長を促したように、私には感じられました。心の間口を広げて、自身とは異なった価値観も一旦は受け止める柔軟性、寛容性が備わったように見えました。それが人生経験を積む、と言うことなのかもしれません。そんな彼女が頼もしく見えました。
こうした友人関係で思うのは、同世代だけでなく、自分より上の世代、或いは下の世代と、先輩後輩関係とはまた違った、良い意味で対等で、それぞれの世代的な違いを有為なものとして受け止められる関係を結ぶことの楽しさでしょうか。自分自身の世界観を、より自然な形で広げてくれる刺激的な関係と言えるのかもしれません。