はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

誰も罪の意識からは逃れられない

2006年09月14日 | はなこ的考察―良いこと探し
数年前の東名高速の交通事故で、
2名の幼児が焼死したのをきっかけに、
酒気帯び運転等の危険行為による交通事故に対して、
「危険運転致死傷罪」が適用されるようになっている。

きっかけとなった事故の被害者であり遺族のI夫妻には、
以前、PTA役員の研修会の席でお会いしたことがある。
奥様とは一言二言、言葉も交わした。
柔らかい口調ながら、その表情はキリリとして、
意志の強さが伺える女性だった。
傍らには事故の後に生まれたお嬢さんも一緒だった。

私もすぐ下の妹を交通事故で亡くしている。4歳だった。
商店の前に立っていた妹を、
商店の出入り業者のトラックが
前方不注意で轢いてしまったのだ。
その時私は小一で、梅雨時で、雨が上がった帰り道を
友人と歩いていた。
急な上り坂を上りきったところに、その商店はあって、
その前にいつになく大勢の人がおり、
警察が慌ただしく動き、道路に放水しているのが見えた。
近付くにつれて、放水で流しているのは血であることが
何となくわかった。
それが妹の血だとは、その時の私には知る由もなく…

出棺の時、最後の別れにと開かれた棺に横たわる妹は
頭部がすべて包帯で巻かれた状態で、体はすごく小さくて、
目の前で、微動だにせず横たわる”物体”が
本当に”妹”なのか、今ひとつ私には実感が湧かなかった。
祖母、両親がその物体に手を伸ばし号泣している姿だけが、
妹との別れを意味する記憶として、胸に刻まれている。
妹の死は当時の私には幼過ぎて理解できなかったが、
今にして思えば、妹はその後の人生を奪われ、
私は妹と過ごす歳月を奪われたのと同じことなのだ。

先日、テレビに出演されているI夫妻を見た。
「危険運転致死傷罪」の成立運動に尽力した夫妻は
沈着冷静な面持ちながら、その口から出る言葉は悲痛だった。
「『危険運転致死傷罪』が適用されたら大変だと、
被害者を救助せずに逃げる加害者が増えてしまった」
「これでは、助かる命も助からない」と。
厳罰化で一時減ったかに見えた危険運転は、
のど元過ぎれば熱さ忘れるで、またぞろ増加して来ている。

しかも酒気帯び運転でひき逃げした後しばらくしてから、
アルコールが抜けきった状態で警察署に出頭するという
悪知恵を働かせる者もいるらしい。
「罪が重くなるなら、それから逃れよう」という発想。
人間のモラル・ハザードは、
法律では解決できないところまで来ているのか?

実のところ、人間が犯した罪は、
あくまでも罪を犯した人間自身の心の問題であり、

法律上課せられる罰則は、
社会秩序維持の為に便宜上作られたものに過ぎない。
そして法律によって定められた罰則というのは、
それを受けることによって
罪の意識を幾らかでも軽減する効果があること、
自分の人間性を取り戻す機会が与えられていること、
なのだということを、
たぶん逃亡者は知らないんだろうな。
それからたとえ逃れたとしても、
人間である限り、罪の意識からは逃れられない。

一生罰から逃れて、罪の意識を背負うのか?
或いは人間であることを辞めてしまうのか?

(酒気帯び運転をすること自体、
人間を辞めてしまったと思えなくもないけど)

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