はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

脳ミソをこねこねこねまわす

2006年09月19日 | 日々のよしなしごと
考えに1本芯が通っていることは確かに大事なことだけど、
日々の生活の細かなことまであれこれ、
「こうでなければならない」「こうであるべき」と
考えを固定化すると、結局それに自分自身が縛られて、
身動きが取れなくなるということはないだろうか?
特にそのことによって何らかの問題に直面した時、
~例えば、そのことによって誰かと意見が衝突した時~
他の誰かに相談することなく、一人きりで考え続けると、
煮詰まってしまうこともあるのではないか?
(人間ひとりの智恵なんてタカが知れているということです)

30代、40代ともなると、大抵の人は自分なりの価値観、
観念が固まって来ていて、身近の知人・友人にも、
些細なことに拘泥して苦しんでいる人を見かける。
そんな時(もちろん様子を見ながらではあるけど)
「それは大したことじゃないんだよ」と
一声かけることにしている。
するとそれまでの暗い表情がぱあっと明るく一変する人もいて、
ああ、この人は出口を探していたんだなと得心する。

日々の生活の中で懸案事項に直面した時、悩む前にまず、
果たしてそれが悩むに値することなのか、

~例えば自分の命に関わるようなことなのか、
時間をかけて考え抜けば解決できることなのか?~
考えることが大事なのではないかなと思う。

そしてある程度ひとりで考えても収拾がつかない時には、
ひとまず人に話を聞いてもらう。

実は人に話をすることによって、
人から有効なアドバイスを受ける以前に、
自分の考えが整理されることもあって、
それによって解決の糸口が見つかることだってあるようだ。
(相談する時点で、答えは自分の中ですでに見つかっていて、
相談はそれを他者に追認して貰う為の作業、という説もあり)


またこんなやり方も私は試みる。
普段の自分の考え方と相反するような人物の著書を読んだり、
あえてソリの合わない人と会話する
のである。
これもまたショック療法なのか、
「目から鱗が落ちる」ような発見があって、
それまでの拘泥から解放されることがある。

極端な話、頭皮を指の腹でマッサージすることも、
頭の血行が良くなるようで、効果的なようだ。
脳ミソが固まりかけたら、あらゆる方法で
こねこねこねまわすことが大事なのかも。

狭小(独善的?)な考えで自らの首を絞めることほど
馬鹿馬鹿しいことはないな
、と思いながら、
日々をやり過ごしている。
私は哲学者ではないからね。
と言うより、こんなだから哲学者にはなれない
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