
風神雷神図屏風 俵屋宗達 江戸時代 国宝 建仁寺
是非、本物を その眼で ご覧あれ!
今日、タイトルの展覧会を皇居に近い出光美術館で見て来た。
大学時代、長谷川等伯研究で知られる、この美術館の学芸員に
日本画や絵巻の概論を学んだ縁もあって、
結構な頻度でこの美術館には足を運んでいる。
なんと!66年ぶりに、3つの『風神雷神図屏風』が
一堂に会した今回の展覧会。3作品の詳細な比較研究の成果も
パネル展示され、とても充実した内容の展覧会になっている。
辻村哲夫氏曰く「17世紀初頭に俵屋宗達が革新的な造形芸術を
興し、100年後に尾形光琳が宗達を継承した意匠美を完成させ、
さらに100年後に酒井抱一が情緒豊かな江戸琳派を拓いた
という近世琳派の系譜」は、「300年余りに渡って師匠から弟子
へと技法が伝えられ、流派として歴史的に継承されていった
狩野派」とは異なり、必ずしも明確な流派を成すものではない。
宗達・光琳・抱一、三者の生まれた時代にはそれぞれ100年の
隔たりがあり、三者は直接に師弟関係にあったわけではなく、
光琳が宗達に、抱一が光琳に私淑する形で、先達の作品に倣い、
大胆な構図、豊かな意匠性といった「琳派」的特性の画風が
継承されていったのである(そもそも「琳派」という呼称は
明治期に”発見”された光琳を端緒に、その画風の系譜を
過去と未来に辿った結果、つけられたものらしい)。
その三者を鮮烈な印象をもって結び、
250年に渡る「琳派」の継承を象徴するのが、
宗達、光琳、抱一それぞれの筆になる『風神雷神図屏風』なのだ。
遠くインド・中国に起源を持つ神々であり、
通常は仏画の脇役として描かれていた風神雷神像。
古典絵巻や仁王像などの彫刻作品から造形的なヒントを得て、
その神々の姿を単独像として金屏風の主役に据えたのが、
始祖である俵屋宗達。その発想の大胆さ、独創性には舌を巻く。
その宗達に憧れ、その『風神雷神図屏風』に偶然出会って、
模作を試みたのが、デザインセンスに優れた光琳である。
それから100年後、大名の次男として生を受けた
江戸の酒井抱一は、宗達のオリジナルの存在を知ることなく、
時の将軍の父が所有していた光琳の模作に出会う。
江戸における「琳派」の継承者を自負していた抱一は、
その光琳の模作を手本に『風神雷神図屏風』を
描いたのだった。
展示室に入ると、右手のショーケースにまず俵屋宗達の作品。
左手に、尾形光琳の模作、酒井抱一の模作と続く。
三作は離れて配置されているので、
三作を同時に比較しながらの鑑賞は物理的に無理である。
そこで威力を発揮するのが、展示室中央部分に配置された
比較研究のパネル展示だ。
パネルでは風神と雷神それぞれについて、
顔、手、足、臍など、部位ごとの比較を試みている。
それを見れば、三作の違いは一目瞭然。
言うなれば、光琳の模作は宗達のコピー。
抱一の模作に至ってはコピーのコピーでマゴピー(笑)である。
宗達のオリジナルから見れば、”崩れ”は明らか。
しかし、研究者はその三者の差異に、宗達のオリジナルに対する
光琳や抱一の創意工夫や”冒険”を読み取っているのだ。
なるほど、ただ模写するに留まらない探求心・自己顕示が、
光琳・抱一の画家としてのただならぬ力量を示すのだろう。
個人的には、宗達のオリジナルに惹かれる。
何よりオリジナルならではの筆さばきは自由闊達で迫力がある。
仏画の脇役でしかなかった風神雷神を屏風の主役に据えたのも、
屏風の両端に風神雷神を配置し、対峙する両者の緊張感を、
中心部の空間で表現した、その大胆な構図を編み出したのも、
宗達の独創だ。そういう独創の輝きに出会うことが、
芸術鑑賞における一番の楽しみと言って良いのかもしれない。
おそらく、この三作が再び一堂に会する機会は、
私が生きているうちにはもうあるまい。
できれば、もう一度見てみたいくらいである。
会期は10月1日(日)まで(結構混んでいます)。