はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

子供は社会の宝

2005年12月16日 | はなこ的考察―良いこと探し

05年12月15日の「考える人」

アグネス・チャンが、中国では赤ちゃんのことを
「宝宝」と書いて「ボウボウ」と読む、
とかなり以前、新聞のコラムに書いていたのを
覚えています。
日本でも、かつて中国と朝貢貿易を行っていた沖縄では
赤ちゃんのことを「ボウボウ」と言うようですが、
やはり中国から伝来した言葉なのでしょうか?
赤ちゃんを「宝宝」という呼び名、良いと思いませんか? 
もう日付が変わって昨日のことになりますが、
昼間に電車に乗っておりましたら、
これが結構な混雑で、私はドア付近に立っておりました。
すると、途中駅でベビーカーに1歳位の女の子を乗せ、
肩にはリュックを背負い、片手に2歳位の男の子の
手を引いた若いお母さんが乗って来ました。

車両は、あの効率優先型の座席が殆どない
スタンディング型車両です。私はこの車両に乗ると、
立ったままぎゅうぎゅう詰めの列車で、
各地の強制収容所に送り込まれたユダヤ人の
気分を想像します。

混雑した中から「ぼくぅ~、こちらにお座りなさいよ」
と声がしました。お年寄りがこの親子連れを気の毒に
思って席を譲ろうとしたのでした。
しかし、若いお母さんは「次の駅で降りますので。
すみません。ありがとうございます」と
丁寧に断りました。

その母子は最後に乗ったので、
ベビーカーを持ったお母さんはドアに背を向けまま、
一方で手を引かれていた男の子はドアに小さな両手を
ぺたりとつけて、車窓の景色を眺めています。
次の駅でも開く側のドア。私は心配で仕方がない。
「ぼく、ドアにもたれると危ないから、
こちらの手すりを掴もうね」と男の子を
ドアの左側に寄せました。それに対してお母さん、
「すみません」と私に対して軽く会釈しました。

そして小さな男の子に話かけています。
「降りる時はお母さんのズボンのポッケを
掴んでね」余計なお節介とは思いながらも、
それでは心配。なぜならお母さんはドアに
背を向けて立っているので、後ろ向きに
電車を降りなければいけないのです。
果たして男の子まで気が回るのか?
両手をベビーカーに取られた状態で、
不測の事態に対応できるのか?

ほどなく電車は駅に到着。案の定、小さな子供が
スッポリはまりそうなくらい、電車とホームの
間は広く開いていています。私はすかさず男の子を
抱き上げて、ホームに下ろしてあげました。
「危ないからね」
無事ホームに降り立った母子の、ベビーカーの女の子が
無邪気に電車の乗客に向かって「バイバイ」と
手を振りました。私もそれに応えてバイバイ。
するとそれを傍らで見ていた男の子も、私の方を見て
バイバイと、もみじのような小さな手を振りました。
お母さんも笑顔で軽く会釈。
ほのぼのとした母子の姿に、自分の子育ての頃が
懐かしく思い出されました。
そして、同時に歯がゆい思いも。

少子化、少子化と取りざたされている時に、
必死になって子育てしている若いお母さんに、
社会全体がもう少し優しくはなれないものか?
かつて子育てに奮闘した先輩父母世代は幼い頃の我が子に、
孫がかわいくて仕方のない祖父母世代は我が孫に、
未婚の若い世代はかつての自分に、あるいは幼い弟妹に、
目の前の子供の姿を重ねて、優しく接する。
それだけで、若いお母さんは励まされるし、
子供は肌で人の親切を感じ取れるのではないか。

人は自分がされていないことは容易くできない、
とも言われます。
それは逆に言えば、人に優しくされれば、
人に優しくすることができるようになるということ。
その優しさの連鎖が連なれば、
もう少し、生きやすい世の中になるのでは、と
常々思うのです。情けは人のためにあらず。

アフリカのある国は国家予算の85%を
教育予算に充てているのだとか。
「それは子供が国の宝だから」と公言して
はばからない、その国の人々。
少子化、少子化と騒ぐ前に、
私達の社会が、日本という国が、
子供を社会の宝として本当に大事に扱っているのか、
よく考えてみるべきではないでしょうか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 家族の為に自分でできること... | トップ | 子供は宝なれど »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。