はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

子供は宝なれど

2005年12月16日 | はなこ的考察―良いこと探し
日本にも「子宝」という素敵な言葉がありますね。
ひとりの子供の誕生が、親兄弟は言うまでもなく、
周囲の人々、社会全体にとって尊く喜ばしいこと
とされていたからこそ、生まれた言葉なのでしょう。

万葉集でも山上憶良が歌った歌はあまりにも有名。
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も
何せむに 勝れる宝 子にしかめやも

(白銀も黄金も宝玉も、そんなもの何になろうか、
子供には及ぶべくもない)
しかし、今の時代、その社会的コンセンサスが
崩れようとしてはいないか?
11月20日(日)付日経朝刊に
こんな調査結果が掲載されていました。

自分の子供が「子供は作らない」と言ったら
どうするか?~団塊世代の既婚男女(1947~
49年生まれで、子供がいるという男女574人から
得た有効回答に基づくデータ)に尋ねたところ、
「反対しない」という回答が6割を占めた

理由では「個人の生き方に干渉したくない」
(神奈川県の男性、56歳)が多い。
「子供を作っても親以上の人間に育つとは
限らない。親自身の実力を伸ばした方が良い」
(東京都の女性、56)という意見もあった。

一方、「反対する」と答えた人には、
「人間は順繰りで生きており、次世代を作るのは義務」
「家を継ぐ者がいなくなる」など、
子供の社会的意義を訴える声のほか、
「子を持って初めて人生の喜怒哀楽を味わえる」
(静岡県の女性、57)など個人にとっての意義を
指摘する声も目立った。


少子化の要因のひとつとされるのが、経済的負担の
大きさでです。特に教育費の負担が大きい。
企業の賃金抑制策と税・社会保険料負担の増加とで
各世帯の可処分所得が減少する中、「教育費」だけは
いまだ聖域として不可侵どころか、増え続けています。

文部科学省がまとめた調査(隔年実施)によれば、
公立小学校に通う児童ひとりあたりの学習塾費が、
昨年度は年間平均5万8千円と調査の2年前と比べ、
15.5%も増えている。家庭教育費(含む通信教育費)
も約1万2千円で、同47.9%増と大幅増。
日経16日(金)付朝刊では、「ゆとり教育」
導入に伴う親の学力低下不安を反映したほか、
私立中学の受験熱が高まったことが背景にある、
と分析しています。

公立小中学生の学習塾費は1994年度の調査
開始以来、最高額。文科省は「月謝が高い個別
指導の学習塾や、小学校では英語塾に通う子が
増えているのでは」と推測。ただ、一人当りの
費用は増えているが、児童・生徒全体の通塾率は
上がっていない由。

特に全体で見れば通塾率は上がっていないという
点に注目すれば、教育にお金をかける家庭と、
そうでない家庭とに二極分化しているというのが、
気になるところです。そして前者は祖父母からの
費用援助を得ている世帯が多いと見られる。
そうした援助が当てにできない家庭は、
端から諦めるか、他の家計費を切り詰めて
子供の教育費に充てるしかないのです。

さて、先の団塊世代へのアンケートで、「反対」と
答えた4割は、従来の考え方の持ち主、つまり
”子供とは社会にとっての宝、「子宝」である”と
捉えている言えると思いますが、
それを上回る6割の人々は、果たして子供という
存在をどのように捉えているのか?

不思議でならないのは、命を未来へと繋げたい
という願望が感じられないこと。未来への展望が、
せいぜい我が子止まり、という視野の狭さが
気になります。種の保存本能そのものが
後退してしまったのか。そういった人々が、
戦後の日本経済を支えてきた屋台骨であり
この国のマジョリティ世代でもある団塊の世代

過半数を超えたことと少子化の流れには、
何らかの関係があるのでしょうか?

「子供は要らない」というのは、
「未来は要らない」と言っているのと
同じに思えて仕方がないのですが。
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