近年、運動会の演目のひとつである「組体操」について、児童生徒の怪我の多発を受けて、演目から省いたり、難易度を下げる動きが相次いでいる。
私も子供の頃、当たり前のように集団での組体操に取り組んだ覚えがあるが、当時はこれが危険であるとか、これによって怪我をしたと言う話は聞いたことがなかった。
「組体操」で大怪我って、今の子供の運動能力は昔と比べてどれだけ落ちているのだろうか?それとも、昔は多少の怪我は当たり前と、教師も親も大らかに構えて、今ほど問題にならなかったと言うことなのだろうか?
少子化で子供の数が減ったぶん、親も心配性(過保護?)になって、すぐに学校にクレームを入れるようになったのだろうか?
子供の体力と言えば、最近特に気になるのは足腰の弱さだ。昨日も電車に乗る時に、親が小学3、4年生くらいの子供を先に走らせ、席に座らせていた(ダッシュできるくらい元気が有り余っているのなら、座る必要なんかないでしょう)。我が家では、その年頃の息子を電車で座らせたことはなかったがなあ。電車やバスの座席は、よほど疲れている場合や空いている場合を除いて、けっして我勝ちに陣取るようなものではなく、お年寄りやまだひとりで立つには危ない幼児や赤ちゃん連れの家族に譲るべきものだと認識している。
自家用車も1年半で手放したので(持ってみて思ったが、都会では公共交通機関が発達しているから、仕事で使わない限り必須のものでもない。都心に行けば行くほど高級外車が目に付くので、一種のステータスシンボル的意味合いが強いのかな?)、以来、移動手段はもっぱら公共交通機関で、バスターミナルから駅のホームに至るまでの階段も、息子は駆け足で上り下りするような子供だった。
加えて我が家は、息子が幼稚園に入園してから小学校高学年の頃まで、よく家族でウォーキングイベントに参加しては、距離にして7~10kmの道や林や山林を2~4時間くらいかけて歩かせていた。月に一度の頻度で、街散歩と称して、家族で都内もくまなく歩いて回った。
そのせいか、今では散歩が息子の趣味のひとつで、倹約家の息子は学生時代も、たまの休みに定期券で行ける範囲で街に出かけては、半日くらい街を歩き回っていたようだ。探検気分で、それぞれの街の雰囲気を楽しんでいたらしい。
そういう息子なので、疲れたと言って、その場にしゃがみ込むなんてしたことがない。なまじ自家用車があると、幼い頃から車で楽に移動し過ぎて、大人になっても歩くことが習慣化していないのではないか?特に今では車社会の地方の子供に、その傾向が強いのかもしれない。地方に住む友人達の話を聞いての印象だ。
今日夕方のNHKのニュースでは、「組体操」による怪我を防ぐ為に、従来より難易度を下げながらも、技の組み合わせや見せ方の工夫で見栄えを良くしようと言う、ある学校の取り組みを紹介していた。
クレームを恐れて、あっさり「組体操」を運動会の演目から除外するより、出来る限り残そうとの学校の心意気は評価するが、子供の体力の強化を図らずに、子供の体力(筋力?運動能力?)の衰えに技の難易度を合わせると言うのが、本当にこれで良いのだろうかと疑問が残る。
学校教育における体育教育の意義って、何なんだろうね?
個人的には運動会は大嫌いだった。何が嫌いって、2学期のしょっぱなから始まる、軍隊の行進さながらの入場行進練習。朝礼の後に、まだ夏の暑さが残る運動場で、何度も何度も全員の足並みが揃うまで繰り返された。そんなに当時の私達生徒がヘタレだったのか?体育教師が厳しかったのか?今となっては定かではないのだが、私にとっては2学期の憂鬱の種だった。
あと、そうそう体育の化繊ブルーマ?も、パンツの上に色付き化繊のパンツを履くみたいで、大嫌いだった。あの身体への密着感は、下着姿を公に晒しているような恥ずかしさがあった(高校からは半ズボンになったのでまだマシだったが…)。
運動神経もからきしダメだったので、ただでさえ内向きな性格が、さらに隅っこに追いやられるような疎外感に陥って、個人的に運動会に良い思い出はないなあ…
私も子供の頃、当たり前のように集団での組体操に取り組んだ覚えがあるが、当時はこれが危険であるとか、これによって怪我をしたと言う話は聞いたことがなかった。
「組体操」で大怪我って、今の子供の運動能力は昔と比べてどれだけ落ちているのだろうか?それとも、昔は多少の怪我は当たり前と、教師も親も大らかに構えて、今ほど問題にならなかったと言うことなのだろうか?
少子化で子供の数が減ったぶん、親も心配性(過保護?)になって、すぐに学校にクレームを入れるようになったのだろうか?
子供の体力と言えば、最近特に気になるのは足腰の弱さだ。昨日も電車に乗る時に、親が小学3、4年生くらいの子供を先に走らせ、席に座らせていた(ダッシュできるくらい元気が有り余っているのなら、座る必要なんかないでしょう)。我が家では、その年頃の息子を電車で座らせたことはなかったがなあ。電車やバスの座席は、よほど疲れている場合や空いている場合を除いて、けっして我勝ちに陣取るようなものではなく、お年寄りやまだひとりで立つには危ない幼児や赤ちゃん連れの家族に譲るべきものだと認識している。
自家用車も1年半で手放したので(持ってみて思ったが、都会では公共交通機関が発達しているから、仕事で使わない限り必須のものでもない。都心に行けば行くほど高級外車が目に付くので、一種のステータスシンボル的意味合いが強いのかな?)、以来、移動手段はもっぱら公共交通機関で、バスターミナルから駅のホームに至るまでの階段も、息子は駆け足で上り下りするような子供だった。
加えて我が家は、息子が幼稚園に入園してから小学校高学年の頃まで、よく家族でウォーキングイベントに参加しては、距離にして7~10kmの道や林や山林を2~4時間くらいかけて歩かせていた。月に一度の頻度で、街散歩と称して、家族で都内もくまなく歩いて回った。
そのせいか、今では散歩が息子の趣味のひとつで、倹約家の息子は学生時代も、たまの休みに定期券で行ける範囲で街に出かけては、半日くらい街を歩き回っていたようだ。探検気分で、それぞれの街の雰囲気を楽しんでいたらしい。
そういう息子なので、疲れたと言って、その場にしゃがみ込むなんてしたことがない。なまじ自家用車があると、幼い頃から車で楽に移動し過ぎて、大人になっても歩くことが習慣化していないのではないか?特に今では車社会の地方の子供に、その傾向が強いのかもしれない。地方に住む友人達の話を聞いての印象だ。
今日夕方のNHKのニュースでは、「組体操」による怪我を防ぐ為に、従来より難易度を下げながらも、技の組み合わせや見せ方の工夫で見栄えを良くしようと言う、ある学校の取り組みを紹介していた。
クレームを恐れて、あっさり「組体操」を運動会の演目から除外するより、出来る限り残そうとの学校の心意気は評価するが、子供の体力の強化を図らずに、子供の体力(筋力?運動能力?)の衰えに技の難易度を合わせると言うのが、本当にこれで良いのだろうかと疑問が残る。
学校教育における体育教育の意義って、何なんだろうね?
個人的には運動会は大嫌いだった。何が嫌いって、2学期のしょっぱなから始まる、軍隊の行進さながらの入場行進練習。朝礼の後に、まだ夏の暑さが残る運動場で、何度も何度も全員の足並みが揃うまで繰り返された。そんなに当時の私達生徒がヘタレだったのか?体育教師が厳しかったのか?今となっては定かではないのだが、私にとっては2学期の憂鬱の種だった。
あと、そうそう体育の化繊ブルーマ?も、パンツの上に色付き化繊のパンツを履くみたいで、大嫌いだった。あの身体への密着感は、下着姿を公に晒しているような恥ずかしさがあった(高校からは半ズボンになったのでまだマシだったが…)。
運動神経もからきしダメだったので、ただでさえ内向きな性格が、さらに隅っこに追いやられるような疎外感に陥って、個人的に運動会に良い思い出はないなあ…