はなこのアンテナ@無知の知

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佐賀のがばいばあちゃん

2006年07月07日 | 映画(2005-06年公開)


コメディアン島田洋七のエッセイを元に作られた映画。
「がばい」は佐賀の方言で「×すごい→○とても、非常に」という意味らしい
(【2007.08.09追記】恥ずかしながら私はつい最近まで、
がばい=すごい と思いこんでいたが誤りであったようだ。
地元では「がばいすごか」「がばいうまか」というような使い方をするそうだ。
作者の島田氏も「”がばい(すごい)”→”とても(すごい)”おばあちゃん」
という意味で、このタイトルをつけたのだろう。
直訳すると”がばいばあちゃん”は”とてもばあちゃん”になってしまうけど)

かつて「おばあちゃん子」だった私は、
この映画が公開された頃から気になっていて、
上映が今週限りと知って、レディースデイに見て来た。

とにかくおばあちゃんの言葉が振るってる。
「貧乏には二通りある。
 明るい貧乏と暗い貧乏。
 うちは明るい貧乏だからよか。
 それも最近貧乏になったのと違うから、
 心配せんでもよか。
 うちは先祖代々、貧乏だから。」(と、胸を張る!)
「悲しい話は夜するな。つらい話も
 昼にすれば何ということもない。」
「人がこけたら笑え。
 自分がこけたらもっと笑え。
 人はみんなこっけいだから。」
「ケチは最低!節約は天才!」(いざという時は気前良く!)
「人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切。」
貧しさをユーモアで笑い飛ばし、知恵で乗り切る。
その明るさと逞しさと賢さが実に魅力的。

映画を見ながら、祖母よりも九州の姑のことを思い出した。
姑も今でこそ舅と穏やかに暮らしているが、
長らく貧乏には苦労して来たらしい。
それを忍耐と知恵で乗り越えて来たような人だ。
貧しいながらも懸命に3人の子を育て、内2人は
県外の国立大学にまで進学させている。
2人の仕送りが重なった時には、まさに爪に火を灯す思いで、
節約に節約を重ねたそうだ。

年末、正月料理の準備に台所に立ちながら、
姑の始末な暮らしぶりには驚かされる。
特にモノの命をまっとうさせる心がけには、
頭が下がる。
いつも鶏の唐揚げに使う鉄のフライパンは、
「甥っ子と同い年(40年超え!)たい」。
30年もの、40年物のブリキ缶が現役で、
塩や砂糖、小麦粉の保存缶として活躍している。
豆腐の容器はすぐには捨てずに、
その日の流しの生ゴミ入れにつかうし、
チラシは生ゴミ入れのバケツの中で、
生ゴミから出る水分の吸い取り紙として
活用している。
今年39才になる末息子が幼稚園時代に使っていた
プラスチックのコップも、洗面所でいまだ健在だ。
こういうのを「貧乏くさい」と毛嫌いする人も
中にはいるかもしれないが、
私はそんな姑を尊敬している。

昭和30年代、終戦からまだ間もない頃で、
まだまだ国全体が貧しく復興の最中(さなか)にあった。
貧乏をあからさまに蔑む人はいなかった。
貧乏は恥ずべきことではなかった。
映画の中でも、主人公たちを取り巻く人々の視線が温かく、
見ているこちらの心も温かくなるようだった。

一種のノスタルジーかもしれないけど、
かつて日本人の誰もが持っていたはずの優しさ、
日本という国の良さが詰まった物語だった。
昨年も「ALWAYS 3丁目の夕日」が大ヒットを
記録するなど、近年、昭和30年代が注目されている。
失われたからこその懐かしさなのか?



原作エッセイも、文体に心地よいリズムがあり、
何より明るく前向きな内容なので、楽しく一気に読める。
心のささくれが気になり始めたら、
手に取ってまた読んでみたいような、
そんな本だ。 

【ブログ内関連記事】
『佐賀のがばいばあちゃん(その2)』
『佐賀のがばいばあちゃん(その3)』
『佐賀のがばいばあちゃん』番外編

『佐賀のがばいばあちゃん』公式サイト 
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