はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

佐賀のがばいばあちゃん(その2)

2006年07月07日 | 映画(2005-06年公開)

明るいビンボーを謳歌するおばあちゃん。

広島の母と離れ、佐賀の祖母と暮らす明広は、
母に何度も何度も手紙を出す。
「今度運動会です。佐賀に来てください。」

しかし、身を粉にして働いても母には仕送りが精一杯。
働き詰めで病に伏し、その仕送りさえままならないことも。
それでも幼心に母を求める気持ちは募るばかり。
私も息子を持つ身なので、その描写が切なく、胸を打つ。

息子と母親の関係は、娘のそれとは、また異なるようだ。
おしゃまで、幼くても”女”の片鱗を見せる娘と違い、
母親にとって、幼い息子はあくまでも無邪気な存在。
ライバルにはなり得ない、徹底して庇護すべき対象だ。
そして息子は母を求め続ける。成長するにつれ、
その愛情は屈折した形で潜在化するけど、
本質的に男性は、永遠のマザコンなのかも。


先端にU字型磁石を取り付けた鎖を腰に結わえ、
歩く道すがら鉄屑拾いをするおばあちゃん。
帰宅する頃には、結構な量の鉄屑が磁石にくっついている。


今日PTA仲間のひとりとランチを共にしながら、
映画『佐賀のがばいばあちゃん』について語った。
私は友人知人に、読んだ本、見た映画について感想を
述べるのが好きだ。友人達もそれを心得ていて、
会うたびに「最近何か読んだ?映画見た?」と聞いてくる。

映画の途中までの粗筋(全部話しちゃったら野暮)、
おばあちゃん語録、映画を見ての感想…
感受性の豊かな女性なのか、私の話に彼女の目が
みるみるうちに潤んできた。
作品自身の持っている力なんだろう。
心の琴線に触れる要素が詰まった物語だ。
私の話術も少しは役に立ったのかな?

今日は学校のPTA主催の講演会で、世界的な数学者にして
大道芸人のピーター・フランクル氏の話を聞いた。
これまでに80カ国余りを旅した氏曰く、
「貧しい国ほど、人の心は温かい」
貧しければ、人は人(の助け)を必要とするからでは?
と氏は分析している。なるほどな、と思った。
人間は豊かさと引き替えに、他者との温かい交わりを
失ってしまうものなのかもしれない。
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