はなこのアンテナ@無知の知

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英会話力

2011年10月17日 | はなこのMEMO
 ここでは良くも悪くも世界で最も幅を利かせている(使用されている)言語である英語を、自分の意思を伝える手段として使うことを前提に話そうと思う。マスメディア等での「これから始めたい趣味は?」と言う質問に「英会話」と答える人が多いことに関して、日頃、私自身が感じていることである。


 高額な受講料を徴収する英会話スクールは、淘汰もあってひところに比べれば数が減ったように思う。

 私は海外(英語もある程度通じるアラビア語圏)に住んでいた時に、現地の友人作りの為にBritish Council現地校(の中上級コース)に通ったことはあるのだが、日本ではそういう類の英会話学校には通ったことがない。振り返ると、初級会話レベルなら、既に高校生の頃からしゃべっていた。もちろん留学経験などなかったが、行く先々で出会う外国人に(もちろん相手を選んで)、自分から積極的に話しかけていたからだ。そんな私の個人的な印象では、少なくとも初級レベルで英会話スクールに高い受講料を支払って通うのは、お金の使い方としては、もったいないような気がする。

 そもそも英語を学ぶ機会のなかったお年寄りならいざしらず、それ以降の世代で中学校・高校と英語の基礎を学んで来て、初級レベルの会話もおぼつかないと言うのは、英語力の問題ではなく、コミュニケーション能力の問題なのではないか?或いは最初から完璧にしゃべらなければと言う無意味な呪縛に囚われ過ぎなのか?はたまた、現在、英語を全く必要としない環境にいると言うことなのではないか?

 それでも英会話スクールに高い受講料を支払ってまで英会話を学びたいのはなぜ?

 習い事をすることで日々の暮らしにハリが出るかもしれない。
 同じ志(趣味、嗜好、志向)を持つ人々との出会いが叶うかもしれない。
 弥が上にも英語を話す機会が持て、英語を話すことへの抵抗感が薄れるかもしれない。
 
 …にしても、受講料は高すぎないか?その高さに見合った効果は期待できるのか?

 例えば、旅行会話をひととおり覚えて英語圏へ旅をする。覚えた英語が旅先でネイティブの相手に通じ、買い物、食事のオーダー等、自分のやりたいことがある程度できたなら、その達成感が、さらなる学習意欲へと繋がるのかもしれない。

 しかし、旅行会話程度なら、書店に行けばその類の本は幾らでもあるし、ネット上でも役立つサイトは幾らでも見つかる。

 「英会話が苦手なので英会話スクールへ」は、その苦手さの程度が問題なのだと思う。

 中高校で英語を学んだ世代なら、旅行会話程度なら、本やネットで十分だろう。あとは"多少の間違いを恐れない"&"聞き取れなかった場合に相手に聞き返せる"度胸があるかどうか。自分の意思を相手に伝え、相手の意思を理解する。要はコミュニケーション能力があるかどうかにかかっている。つまり、英語力云々以前の問題だ。 

 例えば、この日本でも、どこかで出会った見知らぬ人と、物怖じせずに会話ができるか?もちろん日本語で。会話は所詮コミュニケーションの手段なので、他人に無関心な人は、母語であろうが、外国語であろうが、上達しないだろう。それに、外国語能力は母語の運用能力に確実に比例する。日本語でマトモに会話できない人が、英語でもマトモに会話できるはずがない。

 その次の段階としては、会話のロジックを学ぶことだろうか?例えば、一般的に日本語は「○○だ。だから(So,) ■■したい」と、まず原因・理由を述べてから、自分のやりたいことを述べるが、英語は「■■したい。なぜなら○○だから。」と、まず自分の意思を伝えることが先で、その後にbecauseで原因・理由を述べるロジックだ。英語圏の人と会話する時、このロジックに留意するのとしないのとでは、円滑なコミュニケーションの上で大きな違いが出て来ると思う(おそらく、日本語の論法で行くと、相手は「この人は一体何が言いたいのか?」と、もどかしく思うことだろう。下手すると、最後まで話を聞いてもらえないかもしれないase2)。とりあえず最も主張したいことをまず言う。そして"So"は使わないことだね。

 そもそも伝えたいことがあるかどうかも大事だろう。自分自身に、相手に何かを伝えたいという明確な意思がない限り、会話は始まらない。逆に言えば、海外の人々に何か切実に伝えたいものがあるなら、その為の手段として、人は英語を必死に学ぶものなのではないか?

 そして、そこからさらに会話のレベルを上げるには、母語でどれだけ教養を備えているかが重要になって来ると思う。特に自国の歴史や文化についての知識が欠落していては、海外の知識階級からは、教養のない程度の低い人間と見なされる。もちろん海外に赴くなら、日本語での知識をせめて英語に変換するくらいの準備が必要だろう。これは自身の海外赴任時に痛感したことである。

 その点、我が家の息子は"ゆとり世代"のド真ん中で、学校教育における歴史教育はお粗末なものだった。特に理系の場合、大学の受験科目に歴史を選択しないケースが多く、その素養のなさは尚更だ(←もしかしたら、息子や彼の友人だけの問題なのかもしれないがaseとにかく知らなさ過ぎる)。だから、息子には「今からでも遅くないから、大学にいる間に歴史をきちんと学んだ方が良いよ」と、ことあるごとに言い聞かせている。私達親世代以上に海外との接点が増えるであろう息子達世代には、英会話の前にまず自分の基礎(日本語運用能力&教養)固めが重要だと思う。 
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