昨日、地震による電車の不通の為、桜木町に足止めとなり、横浜ランドマークタワーが用意してくれた避難所で(5階ホールを避難所として開放して下さった。24時間暖房に、水とカロリーメイトと毛布<貸与>の支給、適宜公共交通機関の運行情報のアナウンス、さらにトイレも常時清掃して清潔を保って下さる等、職員の方々がきめ細かに対応)、友人と共に、一夜を明かしました。
今回は、横浜ランドマークタワー(三菱地所さん)のご厚意に感謝です。
本当にありがとうございました。
でも、一部避難者が恩を忘れて、ゴミを床に残したまま帰ってしまったのにはガッカリ
もちろん、気づいたゴミは拾って、ゴミ箱(袋)に入れましたよ。
いくら心に余裕がないからと言って、恩を仇で返すようなことはやめようよ!
(以上、2011年3月12日午前7時35分、現地にて、携帯より投稿。緑色部分後日編集)
【追記】「帰宅困難者が心得たい十か条」
今回、震度5と言う地震、帰宅困難、静岡を震源地とする地震、計画停電と言う一連の出来事をきっかけに、阪神淡路大震災後少しずつ買い揃えてきた防災グッズを、初めて寝室の押し入れから取り出して使うこととなった。
その中に、買ったことさえ忘れていた本があった。『来てからでは遅すぎる!東京大地震 緊急防災マニュアル』と言う本である。2003年度版と少し古いが、今日は午後3時過ぎから7時頃まで停電で、早々と夕食の支度は済ませてしまったので、日が暮れる前までパラパラとめくってみた。
そこで、東京都の災害情報でも公開されているらしい「帰宅困難者が心得たい十か条」という項目があったので、今回の帰宅困難の体験を踏まえて感じたこと、考えたことも添えて、備忘録として記しておこうと思う。
本著によれば、東京でもし大地震が発生した場合、帰宅困難者は371万人と予想されている。そのスケールも帰宅の困難さも、先日の比でない。
1 慌てず、騒がず、状況確認
(建物から出るにしても、揺れが収まった後に)
2 携帯ラジオをポケットに
(情報不足が不安をかきたて、判断を誤らせると感じた。まずは情報収集!
日中家族バラバラのことが多いので、ラジオは各自持った方が良いと思う。
今回、地震発生時、情報が殆どなかった為に不安が先立った。
避難所でNHKニュースを見て初めて東北地方の大地震の様子を目の当たりにし、
帰宅後、終日ニュースにかじり付いて、やっと被害の全体像が見えた感じだ)
3 つくっておこう帰宅地図
(今回、スマートフォンの地図が役立ったと聞きますが…
実際の震災ではアクセスが集中して繋がりにくかったり、
中継基地局の損壊も予想される。
今はネットから(会社から自宅までの)ルートマップの印刷も
簡単にできますから、それを手帳に挟んでおくのはいかが?
会社以外の外出先での被災の場合は道が不案内で危険なので、
すぐには動かずに、まず状況確認してから、最寄りの避難所で待機)
4 ロッカー開けたら(履き慣れた)スニーカー(防災グッズ)
5 机の中にチョコやキャラメル(カロリーメイト
キャンディも良いかもね。とにかく小粒で高カロリー食、
そして未開封のペットボトル入り水があればなおgood!)
6 事前に家族で話し合い
(集合場所、連絡手段)
7 安否確認、ボイスメール(伝言ダイヤル:171<イナイ>)や遠くの親戚
(被災地内では携帯電話はすぐさま通話不能になりますからね。
今回も直接の被災地でもないのに、
なかなか携帯電話同士は繋がりませんでした。
公衆電話から地方の固定電話へ、が最強?
→遠くの親戚の固定電話にかけて、伝言を残すのひとつの手?
ただし、最近は携帯電話の普及で公衆電話がめっきり減って、
今回の騒ぎでも公衆電話の前には長い行列ができたとか。
防災・減災の観点から、NTTは公衆電話の増設を考えるべきでは?
もっとも公衆電話そのものが損壊するリスクもありますが。
とりあえず公衆電話の待ち行列に並びながら、
携帯電話で遠方の親族の固定電話にかけてみる。
運良く繋がったら、自分の無事と現在地を伝える。
繋がらない場合は、順番を待って公衆電話を利用する。
場所を移動したら、できるだけ遠方の親族にまた連絡する。
もし自分の携帯から家族の携帯への連絡なら、
Eメール>Cメール>通話
の順に連絡がつきやすい、かな?今回も通話はすぐにできなくなった。
ただし、震災時には携帯の中継基地局が損壊している可能性もあり。)
8 歩いて帰る訓練を(ぶっつけ本番は、やっぱり不安。
避難時は、広い道を選び、できるだけ身軽に。
子どもやお年寄り、身体の不自由な人は、
周りで助け合ってケアしよう。
子どもの手はけっして離さない。乳幼児は背負う。
歩く速度は普段の半分位。特に夜間はゆっくり、慎重に。)
9 季節に応じた冷暖房準備(携帯カイロやタオル等)
10 声をかけあい、助け合おう(旅は道連れ、世は情け)
もちろん、身の安全が第一で、けっして無理はしないこと、
いざとなったら、最寄りの避難所で待機すること、
が大事ですね!
Good Luck
偶然ですが、地震発生の5日前の日曜日に、丸の内にある三菱1号館美術館に行ったばかりでした。その時に、三菱地所による丸の内界隈(地下も含む)の洗練された街づくりに夫婦で感心したのを覚えています。
2003年には、丸の内一帯の企業で、震災時対応の隣組も組織されたようです。直下型地震が発生すれば、東京駅周辺に200万人もの帰宅困難者が出ると言われています。その膨大な数の人々のケアを行うべく、隣組参加企業が役割分担を取り決めたとは心強い。その一端を、三菱地所も担っています。
年末年始の長崎帰省時には、歴史文化博物館で三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎・弥之助兄弟の生涯と業績を顕彰する展覧会を見てきました。そこで三菱1号館の縮小模型を目にし、2月にはその設計を手がけた英国人建築家ジョサイア・コンドルの日本画の師であった河鍋暁斎の美術館を訪問。偶然とは言え、ひとつの線で繋がったような関わりに、不思議な縁を感じます。
そう言えば、今回の地震で唯一落下した額絵。かなり重量感のある額装なので1m程の高さの棚の上に置いていたのですが、地震の震動と共振したのでしょうか?それが実は、横浜ベイブリッジから見たみなとみらいの風景を描いたものなのです。中心には富士山を背景に横浜ランドマークタワーがそびえ立つ。10年程前に息子の絵の先生から購入した油彩画なのですが、幸い破損することもなく無事でした。本当に不思議な巡り合わせです。
今回は、横浜ランドマークタワー(三菱地所さん)のご厚意に感謝です。
本当にありがとうございました。
でも、一部避難者が恩を忘れて、ゴミを床に残したまま帰ってしまったのにはガッカリ
もちろん、気づいたゴミは拾って、ゴミ箱(袋)に入れましたよ。
いくら心に余裕がないからと言って、恩を仇で返すようなことはやめようよ!
(以上、2011年3月12日午前7時35分、現地にて、携帯より投稿。緑色部分後日編集)
【追記】「帰宅困難者が心得たい十か条」
今回、震度5と言う地震、帰宅困難、静岡を震源地とする地震、計画停電と言う一連の出来事をきっかけに、阪神淡路大震災後少しずつ買い揃えてきた防災グッズを、初めて寝室の押し入れから取り出して使うこととなった。
その中に、買ったことさえ忘れていた本があった。『来てからでは遅すぎる!東京大地震 緊急防災マニュアル』と言う本である。2003年度版と少し古いが、今日は午後3時過ぎから7時頃まで停電で、早々と夕食の支度は済ませてしまったので、日が暮れる前までパラパラとめくってみた。
そこで、東京都の災害情報でも公開されているらしい「帰宅困難者が心得たい十か条」という項目があったので、今回の帰宅困難の体験を踏まえて感じたこと、考えたことも添えて、備忘録として記しておこうと思う。
本著によれば、東京でもし大地震が発生した場合、帰宅困難者は371万人と予想されている。そのスケールも帰宅の困難さも、先日の比でない。
1 慌てず、騒がず、状況確認
(建物から出るにしても、揺れが収まった後に)
2 携帯ラジオをポケットに
(情報不足が不安をかきたて、判断を誤らせると感じた。まずは情報収集!
日中家族バラバラのことが多いので、ラジオは各自持った方が良いと思う。
今回、地震発生時、情報が殆どなかった為に不安が先立った。
避難所でNHKニュースを見て初めて東北地方の大地震の様子を目の当たりにし、
帰宅後、終日ニュースにかじり付いて、やっと被害の全体像が見えた感じだ)
3 つくっておこう帰宅地図
(今回、スマートフォンの地図が役立ったと聞きますが…
実際の震災ではアクセスが集中して繋がりにくかったり、
中継基地局の損壊も予想される。
今はネットから(会社から自宅までの)ルートマップの印刷も
簡単にできますから、それを手帳に挟んでおくのはいかが?
会社以外の外出先での被災の場合は道が不案内で危険なので、
すぐには動かずに、まず状況確認してから、最寄りの避難所で待機)
4 ロッカー開けたら(履き慣れた)スニーカー(防災グッズ)
5 机の中にチョコやキャラメル(カロリーメイト
キャンディも良いかもね。とにかく小粒で高カロリー食、
そして未開封のペットボトル入り水があればなおgood!)
6 事前に家族で話し合い
(集合場所、連絡手段)
7 安否確認、ボイスメール(伝言ダイヤル:171<イナイ>)や遠くの親戚
(被災地内では携帯電話はすぐさま通話不能になりますからね。
今回も直接の被災地でもないのに、
なかなか携帯電話同士は繋がりませんでした。
公衆電話から地方の固定電話へ、が最強?
→遠くの親戚の固定電話にかけて、伝言を残すのひとつの手?
ただし、最近は携帯電話の普及で公衆電話がめっきり減って、
今回の騒ぎでも公衆電話の前には長い行列ができたとか。
防災・減災の観点から、NTTは公衆電話の増設を考えるべきでは?
もっとも公衆電話そのものが損壊するリスクもありますが。
とりあえず公衆電話の待ち行列に並びながら、
携帯電話で遠方の親族の固定電話にかけてみる。
運良く繋がったら、自分の無事と現在地を伝える。
繋がらない場合は、順番を待って公衆電話を利用する。
場所を移動したら、できるだけ遠方の親族にまた連絡する。
もし自分の携帯から家族の携帯への連絡なら、
Eメール>Cメール>通話
の順に連絡がつきやすい、かな?今回も通話はすぐにできなくなった。
ただし、震災時には携帯の中継基地局が損壊している可能性もあり。)
8 歩いて帰る訓練を(ぶっつけ本番は、やっぱり不安。
避難時は、広い道を選び、できるだけ身軽に。
子どもやお年寄り、身体の不自由な人は、
周りで助け合ってケアしよう。
子どもの手はけっして離さない。乳幼児は背負う。
歩く速度は普段の半分位。特に夜間はゆっくり、慎重に。)
9 季節に応じた冷暖房準備(携帯カイロやタオル等)
10 声をかけあい、助け合おう(旅は道連れ、世は情け)
もちろん、身の安全が第一で、けっして無理はしないこと、
いざとなったら、最寄りの避難所で待機すること、
が大事ですね!
Good Luck
偶然ですが、地震発生の5日前の日曜日に、丸の内にある三菱1号館美術館に行ったばかりでした。その時に、三菱地所による丸の内界隈(地下も含む)の洗練された街づくりに夫婦で感心したのを覚えています。
2003年には、丸の内一帯の企業で、震災時対応の隣組も組織されたようです。直下型地震が発生すれば、東京駅周辺に200万人もの帰宅困難者が出ると言われています。その膨大な数の人々のケアを行うべく、隣組参加企業が役割分担を取り決めたとは心強い。その一端を、三菱地所も担っています。
年末年始の長崎帰省時には、歴史文化博物館で三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎・弥之助兄弟の生涯と業績を顕彰する展覧会を見てきました。そこで三菱1号館の縮小模型を目にし、2月にはその設計を手がけた英国人建築家ジョサイア・コンドルの日本画の師であった河鍋暁斎の美術館を訪問。偶然とは言え、ひとつの線で繋がったような関わりに、不思議な縁を感じます。
そう言えば、今回の地震で唯一落下した額絵。かなり重量感のある額装なので1m程の高さの棚の上に置いていたのですが、地震の震動と共振したのでしょうか?それが実は、横浜ベイブリッジから見たみなとみらいの風景を描いたものなのです。中心には富士山を背景に横浜ランドマークタワーがそびえ立つ。10年程前に息子の絵の先生から購入した油彩画なのですが、幸い破損することもなく無事でした。本当に不思議な巡り合わせです。