今日、横浜市内のとあるショッピング・ビルの通路の真ん中で、よちよち歩きの女の子がひとりでポツンと立っていた。
親はどうしたのだろうと思ったら、その子の3メートル程先に、母親らしき若い女性が空のバギーと共に立っていた。私がその存在に気づいた時、その女性は我が子の方を見ていなかった。
う~ん、大勢の人間が集まる、どんな人間が紛れているかもしれぬ場所で、親は我が子から一瞬でも目を離してはいけないんじゃないの?
同様に、大勢の人間が行き交う繁華街で、幼い子の手を引かずに(或いは自転車で従えて)、「私についてこい」と言わんばかりに先をズンズン行く親もいる。その親の後を必死に追いかける幼子たち。ゆったりとしたスペースの公園ならまだしも…勝手知ったるご近所の商店街ならともかく…
また、住宅街の車道と歩道が白線で区切られただけの幅の狭い道路で、手は繋いではいるものの、幼子を車道側にして歩いている親もいる。見ていてハラハラする。注意できる時には注意するようにしている。
子育て中の人は繁華街に繰り出すなとは言わない。しかし、我が子の手はしっかり繋いで欲しい。我が子を事故や事件から守る為に。我が子をけっして見失うことのないように。
海外では、飼い犬のようにリードで繋がれた幼児をよく見かけた。最初はギョッとしたが、そうしたものを使う理由のひとつには、我が子を連れ去り等の悪の手から守ると言う目的があるのだろう。最近はたまに、ここ日本でも見かけるようになった。未だに少し違和感があるけれど。
一度気になると、自宅に戻る道すがら、幼子の姿が目に入って仕方がない。あ~、向こうでも子どもが"野放し"状態。すぐそこでも。大勢が帰宅を急ぐ雑踏の中での話である。
自宅に戻ったら戻ったで、NHKのニュースでは、熊本県内の大型スーパーマーケットで、前日の夕方(7時40分頃)から行方不明だった3歳の女児が、今日、近くの川で遺体となって発見され、スーパーの防犯カメラに写っていた20歳の大学生が、その遺棄容疑で逮捕されたことを伝えていた。報道によれば、3歳の女児は家族と共に訪れたスーパーのトイレに、ひとりで向かった後、行方知れずとなったらしい。
恐れていたことが、起きた。しかも、容疑者が、我が息子と同年代と来た。二重のショックである。
お願いだから、せめて乳幼児の間、親は大事な我が子から、【特に外出時は】片時も目を離さないで欲しい。その手を離さないで欲しい。幼子は、常に誰かに見守られるべき弱い存在である。失ってから、そのことに気づいたのでは、遅すぎる。悲しすぎる。
私自身、小学性の頃に、4歳になったばかりの妹を交通事故で失っている。近所の商店にひとりでアイスクリーム?を買いに行って、店の出入り業者のトラックに轢かれたのだ。私が学校に行っている間の出来事だった(母親は乳飲み子の、もうひとりの妹の世話をしていたらしい。亡くなった妹は通っていた保育園に馴染めず、辞めた直後だった。当時は交通事故の増加が社会問題化していた。今も昔も、幼い子どもは事故や事件に巻き込まれやすいと言うことなのだろう。妹の事故も、母が一緒に行ったなら、防げた事故だったのかもしれない)。
私にはそのことがトラウマになっていて、以来、「人はあっけなく死ぬことがある」「人は突然に大事な人を失うことがある」と言う恐怖が、常に頭から離れない。私が大学生にもなった息子の遅い帰りをやたらと心配するのは、そうした過去のトラウマが原因なのである。
子どもは成長するにつれ行動範囲を広げ、親の目の届かない所へどんどん行ってしまう。それは巣立ちの準備でもあるわけで、結局、親は我が子が「自らを律して危険回避すること」を信じるしかないのは分かっている。それでも親としては、子どもが幾つになっても、心配は尽きない。
我が子が自らを守る術を知らない幼子の場合、親ならなおさら心配なはずで、事件・事故から我が子を全力で守る意識を常に持っていて欲しいと切に願う。親の目と手が我が子を守ると信じて…
親はどうしたのだろうと思ったら、その子の3メートル程先に、母親らしき若い女性が空のバギーと共に立っていた。私がその存在に気づいた時、その女性は我が子の方を見ていなかった。
う~ん、大勢の人間が集まる、どんな人間が紛れているかもしれぬ場所で、親は我が子から一瞬でも目を離してはいけないんじゃないの?
同様に、大勢の人間が行き交う繁華街で、幼い子の手を引かずに(或いは自転車で従えて)、「私についてこい」と言わんばかりに先をズンズン行く親もいる。その親の後を必死に追いかける幼子たち。ゆったりとしたスペースの公園ならまだしも…勝手知ったるご近所の商店街ならともかく…
また、住宅街の車道と歩道が白線で区切られただけの幅の狭い道路で、手は繋いではいるものの、幼子を車道側にして歩いている親もいる。見ていてハラハラする。注意できる時には注意するようにしている。
子育て中の人は繁華街に繰り出すなとは言わない。しかし、我が子の手はしっかり繋いで欲しい。我が子を事故や事件から守る為に。我が子をけっして見失うことのないように。
海外では、飼い犬のようにリードで繋がれた幼児をよく見かけた。最初はギョッとしたが、そうしたものを使う理由のひとつには、我が子を連れ去り等の悪の手から守ると言う目的があるのだろう。最近はたまに、ここ日本でも見かけるようになった。未だに少し違和感があるけれど。
一度気になると、自宅に戻る道すがら、幼子の姿が目に入って仕方がない。あ~、向こうでも子どもが"野放し"状態。すぐそこでも。大勢が帰宅を急ぐ雑踏の中での話である。
自宅に戻ったら戻ったで、NHKのニュースでは、熊本県内の大型スーパーマーケットで、前日の夕方(7時40分頃)から行方不明だった3歳の女児が、今日、近くの川で遺体となって発見され、スーパーの防犯カメラに写っていた20歳の大学生が、その遺棄容疑で逮捕されたことを伝えていた。報道によれば、3歳の女児は家族と共に訪れたスーパーのトイレに、ひとりで向かった後、行方知れずとなったらしい。
恐れていたことが、起きた。しかも、容疑者が、我が息子と同年代と来た。二重のショックである。
お願いだから、せめて乳幼児の間、親は大事な我が子から、【特に外出時は】片時も目を離さないで欲しい。その手を離さないで欲しい。幼子は、常に誰かに見守られるべき弱い存在である。失ってから、そのことに気づいたのでは、遅すぎる。悲しすぎる。
私自身、小学性の頃に、4歳になったばかりの妹を交通事故で失っている。近所の商店にひとりでアイスクリーム?を買いに行って、店の出入り業者のトラックに轢かれたのだ。私が学校に行っている間の出来事だった(母親は乳飲み子の、もうひとりの妹の世話をしていたらしい。亡くなった妹は通っていた保育園に馴染めず、辞めた直後だった。当時は交通事故の増加が社会問題化していた。今も昔も、幼い子どもは事故や事件に巻き込まれやすいと言うことなのだろう。妹の事故も、母が一緒に行ったなら、防げた事故だったのかもしれない)。
私にはそのことがトラウマになっていて、以来、「人はあっけなく死ぬことがある」「人は突然に大事な人を失うことがある」と言う恐怖が、常に頭から離れない。私が大学生にもなった息子の遅い帰りをやたらと心配するのは、そうした過去のトラウマが原因なのである。
子どもは成長するにつれ行動範囲を広げ、親の目の届かない所へどんどん行ってしまう。それは巣立ちの準備でもあるわけで、結局、親は我が子が「自らを律して危険回避すること」を信じるしかないのは分かっている。それでも親としては、子どもが幾つになっても、心配は尽きない。
我が子が自らを守る術を知らない幼子の場合、親ならなおさら心配なはずで、事件・事故から我が子を全力で守る意識を常に持っていて欲しいと切に願う。親の目と手が我が子を守ると信じて…