12月は冒頭からいろいろありましたが、漸く状況が落ち着いたので、夏の怪我ですっかり筋力の衰えた左足のリハビリを兼ねて、JR新橋駅から徒歩15分程のところにある浜離宮恩賜庭園に久しぶりに行って来ました☺️。
新橋駅にはお昼時に着いたので、まずは腹ごしらえ。これまた久しぶりに汐留シティセンター地下1階の飲食店街にある紅虎餃子房へ。
久しぶりなので、この店のランチの量が多いことをすっかり忘れていました😅。油淋鶏定食を頼んだら、皿に鳥唐揚げがゴロゴロと7〜8個も入っていました。とても食べられそうにないので半分夫にあげました。
夫は五目炒飯定食を、さらに大餃子4個を2人で分け合って食べました。味は間違いなく美味しいのですが、野菜の量が少なく、とにかく全体的にボリューミィなのが…😅。
その分、しっかり歩こう🚶と!
浜離宮は今からちょうど370年前の1654年、徳川将軍家の鷹狩場に、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てたのが始まりです。
その後、綱重の子、綱豊が六代将軍家宣となったのを契機に、甲府浜屋敷は将軍家の別邸となり、「浜御殿」と呼ばれるようになりました。
以来、歴代将軍により造園と改修工事が行われ、十一代将軍家斉の時代にほぼ現在の姿が完成します。
しかし、明治維新の後は皇室の離宮となり、名称も「浜離宮」に。その後、不運にも関東大震災や戦災で往時の姿は失われたのですが、終戦の年の「文化の日」に東京都に下賜され、整備後、翌年の4月に「浜離宮恩賜庭園」として一般公開されるに至ったのです。
写真の通り、元は海沿いにあったはずの浜離宮も、今では林立する高層ビル群に囲まれる形に。
残念なことに、これが庭園の日照を妨げる形になっていて、晴れているのに庭園は高層ビルの陰になって日が差さず、場所によっては日差しの恩恵を受けることなく肌寒い状態でした。
見れば、沿岸部に未だにさらに数棟の建設が進んでおり、ディベロッパーは一体どれだけの数の高層建築を建てるつもりなのかと呆れるばかり…
この状態が続けば、庭園内の植栽や生態系に今後どのような影響が出るのか、気になるところです。
この庭園の主役は、樹齢300年を超える堂々たる老木を筆頭に、やはり「松」と言えます。そのいずれもが枝ぶりが実に見事です。
広大な池の水面に映り込む空と雲
もみじの造形が好き❤️
落ち葉の絨毯
広大な池の水面に映り込む空と雲
もみじの造形が好き❤️
落ち葉の絨毯
「汐入の池」の中心にある「中島の御茶屋」は満員御礼状態。ここでは有料で抹茶🍵と和菓子をいただけます。
このところのインバウンド・ブームで、園内は日本人より圧倒的に外国人観光客の、しかもアジア系以外の姿が多く見られました。
季節柄、左手に「雪吊り」も見られます。
遠くに東京タワー🗼も望めます☺️。
この庭園は野鳥天国でもあります。散策している間、常にさまざまな鳥のさえずりを耳にしました。これは白鷺かな?
遠くに東京タワー🗼も望めます☺️。
この庭園は野鳥天国でもあります。散策している間、常にさまざまな鳥のさえずりを耳にしました。これは白鷺かな?
鬱蒼とした茂みの中を通ったり…
この時期は椿が花盛り。
しかし、ここまで密生して咲く椿は初めて見ました😲。
可憐ですが、その数の多さに圧倒されます😅。
午後も3時を過ぎると、陽が翳って来ました。
退勤時間の混雑を避けて、4時頃には庭園を後にしました。
自宅に戻ると、夕焼け空を背景に、うっすらと富士山が見えました。
ところで、おかげさまで、12月から杖を使うことなく歩けるようになり、今週の診察を以て足の治療も終了しました。
今回の庭園散歩🚶でも感じたことですが、自分の足で、歩けると言うこと、自由自在に移動出来ることは、どれだけ有り難いことか!
怪我をしたことで痛い思いをしたり、いろいろ不便をかこったけれど、普段当たり前だと思っていることが、決して当たり前ではないことに気付けただけでも、怪我をしたことは人生経験として無駄ではなかったと思えます。
実は足の治療は卒業出来たものの、右手の親指の具合がおもわしくなく、まだ暫く病院通いは続きそうです😅。
(了)
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
よい年になりますように
改めて、本年も引き続きよろしくお願いします。さなえさんにとりましても良い年となりますように。