「親の顔が見たい」と言う言葉があります。
ある人が非常識な言動をしたり、信じがたい犯罪に手を染めたのを目の当たりにすると、つい口をついて出てしまう言葉でしょうか?
私はたまたま仕事柄(まあ、無給のボランティアですけれど)、子ども達と接する機会が多いのですが、子ども達の言動にも、親の日頃の子育て、子どもへの向き合い方が透けて見えるような気がします。
私がスクール・ギャラリートーク(以下、SGT)で気になるのは、子どもの「学力の高低」や「知識の有無」ではありません。何より注目するのは、その場に相応しい行動をとれるかどうかです。
SGTは学校行事として学校単位で参加するものですから、子どもは否応なく美術館を訪れることになります。内心「美術になんか興味ないや」「美術館なんて窮屈」「みんなと一緒に行動するのは嫌だな」と思っている子どもも少なからずいるのかもしれません。
それでも正式な学校行事に、ある学校に在籍している児童生徒として参加している以上、年齢なりに自分を律して、その場に相応しい行動をとる必要があります。
例えば、作品に触れない、館内で騒がない等の「鑑賞ルールを守る」、また、SGTはグループごとに作品を幾つか鑑賞し、互いに感想を述べ合う形式なので、「出来るだけ発言する」、そして「他の人の言葉にも耳を傾ける」ことが求められます。
しかし、年齢によっては思春期独特の反抗期に当たる児童生徒もおり、最初から斜に構えた態度であからさまに参加への拒否の姿勢を見せる子どももいます。それはそれで、意欲的に参加しようとしているグループの他のメンバーに対する妨害行為さえしなければ許容範囲です。
たとえSGT参加への拒否の姿勢を見せていたとしても、一応、美術館の空間に身を置いているので、作品を見ていないようで実際は見ているものです。ある美術教師曰く「子どもは皮膚からでも吸収する」ので、その子の内にも美術館へ行った何らかの痕跡が残るはずなのです。
ただし、何を学ぶにしても、最大の効果を上げるのは「素直な気持ちで臨むこと」でしょう。「素直であること」は学習者としての強みとも言えます。もちろん、反抗期自体は子どもの精神的自立を促す上で大事な成長のプロセスであり、これを否定するものではありません。
問題は他のメンバーの真面目な意見に茶々を入れる行為です。その発言がきちんと根拠のある反論なら構わないのですが、明らかに発言者を貶めるような、馬鹿にするような発言の場合、私は発言の根拠を質し、きちんと根拠を説明できないのであれば、「友達の発言は尊重すべき」と明言します。
特に女子に多いのですが(と言っても稀なケースですが)、2、3人でたまに私自身を茶化すような態度を見せる場合もあるのですが、この場合は注意することに時間を取られるのも惜しいので、通常通りトークを続けます。
常識的に見て、これは初対面の目上の人間に対する態度としては失礼なもので、親は日頃からどのような躾けをしているのか、子どもにどのような自身の姿を見せているのか疑問を抱かざるを得ないのですが、反面、そうした子ども達をも惹きつけるような技量が私自身にも求められているのかもしれません。
自分自身の在り方を振り返ると言う意味では、雑誌「美ST 2017年4月号に掲載されていた女優夏樹陽子さんのインタビュー記事は勉強になりました。彼女は小学校で本の読み聞かせのボランティアをされており、子ども達の素直な反応から謙虚にご自身の"聞き手を惹きつける俳優としての技量"を推し量り、反省点を見つけては、その演技力に磨きをかけておられるそうです。
ともあれSGT自体せいぜい45分前後のものなので、小学校高学年にもなれば、これくらいの時間は集中力を維持できるようにしたいですね。
こうした学校での集団行動を通して子ども達には、将来社会に出てから必要な協調性や自制心や忍耐力を培うと共に、学校生活で提供されるさまざまな機会に主体的に積極的に参加して、自分の世界をどんどん広げて行って欲しいですね。
その前提として、日頃からの家庭での教育はとても大切。
その場に相応しい行動をとるよう心掛けること、忍耐強く物事に取り組むこと、約束やルールを守ること、そして他者を尊重すること。これらのことは幼い頃から家庭できちんと教えるべきことだと思います。
少なくとも学校で多発していると言われるイジメ問題も、その根っこにあるのはいじめる側の親の問題だと思います。こと人間関係(や人権感覚)に関しては、子どもは日頃の親の姿から学んでいるに違いないのですから(実際、子どもの発言は、親が家庭で口にしていることを鵜呑みにして、そのまま口にしていることが多いのでしょう。子どもに誤った先入観を植え付けるのも親であるケースが多いと思います)。
【追記】
新潟市で、一部の児童生徒達が、福島県から避難している児童生徒の名前の後に「菌」をつけて呼んでいたのを注意するどころか、担任教師自ら口にしていたと言う報道がありました。どういう経緯で口にしたのか詳細は不明ですが、「○○菌」と口にしたこと自体、「人権意識の低い教師だな」と言わざるを得ません。
この教師は被害者の親から相談を受けていたそうですが、例えば子ども達に注意するにしても、具体名を挙げずに「人の名前の後に『菌』をつけるのは、その人に対して失礼なことだし、ましてや今回のケースは事故が原因で止む無く故郷から避難をしている人に対する行為。これは人間として思いやりのない、恥ずべきことだ」と言えば済む話。
私自身、息子がいじめに遭った時に、担任教師が最後までいじめの存在を認めなかったことに失望したのを覚えています。一連の報道を見ても、担任教師は自身のクラスでいじめが発生していることをなかなか認めたがらない傾向があるようです。
だとすれば、すべての学校に第三者的立場で児童生徒を巡る問題に対応できるスクール・カウンセラーを置き、教育委員会や児童相談所と連携して問題に対処するなどの措置が必要なのではないかと思います。
本来はいじめがあると認定された場合、いじめの加害者親子にカウセリングを実施し、その歪んだ意識を正して、心からの反省を促すべきだと思うのですが、社会では問題の発覚が繰り返されるだけで、なかなか具体的な対策の方向へは動きませんね
ある人が非常識な言動をしたり、信じがたい犯罪に手を染めたのを目の当たりにすると、つい口をついて出てしまう言葉でしょうか?
私はたまたま仕事柄(まあ、無給のボランティアですけれど)、子ども達と接する機会が多いのですが、子ども達の言動にも、親の日頃の子育て、子どもへの向き合い方が透けて見えるような気がします。
私がスクール・ギャラリートーク(以下、SGT)で気になるのは、子どもの「学力の高低」や「知識の有無」ではありません。何より注目するのは、その場に相応しい行動をとれるかどうかです。
SGTは学校行事として学校単位で参加するものですから、子どもは否応なく美術館を訪れることになります。内心「美術になんか興味ないや」「美術館なんて窮屈」「みんなと一緒に行動するのは嫌だな」と思っている子どもも少なからずいるのかもしれません。
それでも正式な学校行事に、ある学校に在籍している児童生徒として参加している以上、年齢なりに自分を律して、その場に相応しい行動をとる必要があります。
例えば、作品に触れない、館内で騒がない等の「鑑賞ルールを守る」、また、SGTはグループごとに作品を幾つか鑑賞し、互いに感想を述べ合う形式なので、「出来るだけ発言する」、そして「他の人の言葉にも耳を傾ける」ことが求められます。
しかし、年齢によっては思春期独特の反抗期に当たる児童生徒もおり、最初から斜に構えた態度であからさまに参加への拒否の姿勢を見せる子どももいます。それはそれで、意欲的に参加しようとしているグループの他のメンバーに対する妨害行為さえしなければ許容範囲です。
たとえSGT参加への拒否の姿勢を見せていたとしても、一応、美術館の空間に身を置いているので、作品を見ていないようで実際は見ているものです。ある美術教師曰く「子どもは皮膚からでも吸収する」ので、その子の内にも美術館へ行った何らかの痕跡が残るはずなのです。
ただし、何を学ぶにしても、最大の効果を上げるのは「素直な気持ちで臨むこと」でしょう。「素直であること」は学習者としての強みとも言えます。もちろん、反抗期自体は子どもの精神的自立を促す上で大事な成長のプロセスであり、これを否定するものではありません。
問題は他のメンバーの真面目な意見に茶々を入れる行為です。その発言がきちんと根拠のある反論なら構わないのですが、明らかに発言者を貶めるような、馬鹿にするような発言の場合、私は発言の根拠を質し、きちんと根拠を説明できないのであれば、「友達の発言は尊重すべき」と明言します。
特に女子に多いのですが(と言っても稀なケースですが)、2、3人でたまに私自身を茶化すような態度を見せる場合もあるのですが、この場合は注意することに時間を取られるのも惜しいので、通常通りトークを続けます。
常識的に見て、これは初対面の目上の人間に対する態度としては失礼なもので、親は日頃からどのような躾けをしているのか、子どもにどのような自身の姿を見せているのか疑問を抱かざるを得ないのですが、反面、そうした子ども達をも惹きつけるような技量が私自身にも求められているのかもしれません。
自分自身の在り方を振り返ると言う意味では、雑誌「美ST 2017年4月号に掲載されていた女優夏樹陽子さんのインタビュー記事は勉強になりました。彼女は小学校で本の読み聞かせのボランティアをされており、子ども達の素直な反応から謙虚にご自身の"聞き手を惹きつける俳優としての技量"を推し量り、反省点を見つけては、その演技力に磨きをかけておられるそうです。
ともあれSGT自体せいぜい45分前後のものなので、小学校高学年にもなれば、これくらいの時間は集中力を維持できるようにしたいですね。
こうした学校での集団行動を通して子ども達には、将来社会に出てから必要な協調性や自制心や忍耐力を培うと共に、学校生活で提供されるさまざまな機会に主体的に積極的に参加して、自分の世界をどんどん広げて行って欲しいですね。
その前提として、日頃からの家庭での教育はとても大切。
その場に相応しい行動をとるよう心掛けること、忍耐強く物事に取り組むこと、約束やルールを守ること、そして他者を尊重すること。これらのことは幼い頃から家庭できちんと教えるべきことだと思います。
少なくとも学校で多発していると言われるイジメ問題も、その根っこにあるのはいじめる側の親の問題だと思います。こと人間関係(や人権感覚)に関しては、子どもは日頃の親の姿から学んでいるに違いないのですから(実際、子どもの発言は、親が家庭で口にしていることを鵜呑みにして、そのまま口にしていることが多いのでしょう。子どもに誤った先入観を植え付けるのも親であるケースが多いと思います)。
【追記】
新潟市で、一部の児童生徒達が、福島県から避難している児童生徒の名前の後に「菌」をつけて呼んでいたのを注意するどころか、担任教師自ら口にしていたと言う報道がありました。どういう経緯で口にしたのか詳細は不明ですが、「○○菌」と口にしたこと自体、「人権意識の低い教師だな」と言わざるを得ません。
この教師は被害者の親から相談を受けていたそうですが、例えば子ども達に注意するにしても、具体名を挙げずに「人の名前の後に『菌』をつけるのは、その人に対して失礼なことだし、ましてや今回のケースは事故が原因で止む無く故郷から避難をしている人に対する行為。これは人間として思いやりのない、恥ずべきことだ」と言えば済む話。
私自身、息子がいじめに遭った時に、担任教師が最後までいじめの存在を認めなかったことに失望したのを覚えています。一連の報道を見ても、担任教師は自身のクラスでいじめが発生していることをなかなか認めたがらない傾向があるようです。
だとすれば、すべての学校に第三者的立場で児童生徒を巡る問題に対応できるスクール・カウンセラーを置き、教育委員会や児童相談所と連携して問題に対処するなどの措置が必要なのではないかと思います。
本来はいじめがあると認定された場合、いじめの加害者親子にカウセリングを実施し、その歪んだ意識を正して、心からの反省を促すべきだと思うのですが、社会では問題の発覚が繰り返されるだけで、なかなか具体的な対策の方向へは動きませんね
