はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

人のさりげない気遣いが心に沁みる

2016年12月01日 | 日々のよしなしごと
 このところ体調を見ながらいろいろなことを同時進行でこなさなければならず、要領の悪い私はこのブログまで手が回りません。

 本当は最近見た映画の感想やら、以前書いた記事で大幅に加筆修正する為に一旦引っ込めた記事やら、まだ途中までしか書いておらず完成していない記事等々、書きたいと思いながら手つかずになっている記事が多数あります。

 家事では日曜日にひとつの山場があり、それを越えたら少し落ち着けそうなので、追々書いて行こうと思います。


 さて表題の件について、短い記事をば。

 私自身、基本的には、人と友好的に接したいし、人に対して親切でありたいと思っています。

 何か困っている人を目の前にしたら、できるだけ躊躇せずに手を差し伸べるよう努力もしています。

 もちろん損得勘定抜きで、相手からの感謝や周りからの称賛を期待してでもありません。社会で生きている人間として当たり前のことだと思うからです。

 しかし、自分の行いは巡り巡って自分に返って来るのだなと思う出来事が最近2つありました。些細なことかもしれませんが、素直に嬉しかったので、ここに書き留めておきます。
 
 ひとつはバスの中で。バスの最後部の座席に腰掛けた時のこと。買い物袋を幾つか抱えた私に、左隣の若い女性が身体を反対側に寄せて私との間に小さなスペースを作ってくれ、「よろしければ、こちらにお荷物をどうぞ」と言ってくれたのです。

 息子と同年配のOL風の女性の思いがけない気遣いに、「こんなお嬢さんが息子のお嫁さんになってくれないかしら?」と思いました(笑)。

 もうひとつは、久しぶりに訪れたハンバーガーショップで。たまたま席についたテーブルの紙ナプキン入れが、あいにく空っぽでした。店は満席で、店員さんは忙しなく働いている様子でしたので、必要になれば持参したティッシュペーパーを使えばいいや、ぐらいに私は思っていました。

 ところが、思いがけず近くのテーブルにいた年配女性が、食事を終えて席から立たれたついでに、ご自分のテーブルにあった紙ナプキンのありったけを、私達のテーブルまで持って来て下さったのです。

 人懐こい笑顔で「店員さんがちゃんと補充しないから」と仰いながら…(直後に店員さんが女性の言動で気づいたのか、女性の座っていた席の紙ナプキンを補充しました)

 夫の「紙ナプキンがないや」のひとことを耳にしての、咄嗟の心遣いであったようです。

 
 見知らぬお二人の方々のご親切に恐縮しつつも、心がほっこりとしました。

 人に親切にされたら、やはり嬉しいものです。その受けた親切を他の誰かにお返しすることで社会が「善意の鎖」で繋がり、より居心地の良いものになればと、心から願います。
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