はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

『カラヴァッジョ展』に行って来ました♪

2016年03月14日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)


 昨日は家族3人で久しぶりに上野に行って、国立西洋美術館で開催中の『カラヴァッジョ展』を見て来ました。

 なお、青字の部分は、担当学芸員による3/23(水)の館内スタッフ向けレクチャーを受講後に加筆したものです。

 日伊国交樹立150周年を記念してイタリア政府の全面的協力の下、世界で60点程しか現存しない真筆の内の11点が、今回の展覧会に出品されています。

 カラヴァッジョの正式名はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)(1571-1610)。彼はミラノ生まれですが、幼少期にミラノ近郊のカラヴァッジョに移り住んでいるので、そこで戸籍登録をしたのでしょうか?レオナルドを筆頭にイタリア人画家の名前は、ダ(da;イタリア語で"~出身"を意味する。英語の"from"に相当)の後に出身地名が表記されることが多いですね。

 カラヴァッジョは史実が伝えるところによれば(今回は彼の人となりを伝える当時の貴重な史料も6点展示)、なかなか気性が激しく素行も不良だったらしく、度々警察沙汰を起こして、ついにはローマで殺人を犯して逃亡の末、38歳でナポリからローマへ向かう途中で客死と、波乱の人生を歩んだ人物です。

 この為、生涯を通じて画才を高く評価されながらも弟子を取ることはなく、彼に私淑し追従する画家を数多く生み出しています。そうしたカラヴァッジョの追従者達は「カラヴァジェスキ(模倣者)」と呼ばれ、カラヴァッジョ亡き後も彼の画風を継承発展させました。今回の展覧会は、カラヴァッジョ作品と同主題、或は関連する主題のカラヴァジェスキの作品も併せて展示して、17世紀初頭に20年間に渡って盛り上がりを見せた芸術運動カラヴァジェズムの全貌を展観する内容となっています。

 全展示数が50数点と数は多くないので(まさに"選りすぐり"と言う感じ。ひとつとして"場違いな作品"はありません!)、1点1点を丁寧に見て回っても、それほど疲れることなく鑑賞できました。鳴り物入りでの開催だけに混雑が心配でしたが、日曜の午後でも鑑賞にストレスを感じるような混雑ではなく快適でした。春休みに入る前、さらに桜の開花時期の前であったことも、混雑回避には良かったのかもしれません。

 今回の私のお気に入りの一点は、カラヴァッジョの代名詞とも言える"ドラマチックな明暗表現"が見事な≪エマオの晩餐≫(1606)

 当初左上に描いていた窓を塗りつぶして真っ暗な空間にしたことで、明暗(Chiaroscuro;キアロスクーロ)のコントラストがより鮮やかになり、暗がりの中に浮かび上がる個々の人物造形に深みが加わった作品です。日本画の空間表現を思い起こさせる大胆に取られた漆黒の空間は、光に照らされて浮かび上がる人物ひとりひとりの表情を際立たせ、作品の静謐な世界に劇的な効果をもたらし、見終わった後に深い余韻を残すものとなっています(おそらく、"間"を重視する日本人ならなおさら、そこに様々な意味を読み取るのではないでしょうか?)

 今回見た限りでは、他のカラヴァッジョ作品で、これだけ明暗のコントラスト効果が出ている作品はなく、鮮やかな明暗のコントラストが、いかにもドラマチックなバロック絵画の典型とも言えるような画風で、「バロック絵画の始祖」とも言われるカラヴァッジョらしい作品だと思います。

 学芸員によれば、「本作制作時、既に彼は逃亡中の身であり、行く先々で絵を描いては売って糊口を凌いでいた状況で、ローマ時代のような「依頼を受けて作画する」落ち着いた制作環境にはなかったと推察される。この為、≪果物籠~≫のように対象物を緻密に描く時間的余裕もなく、比較的素早い筆致で描いたのでは」とのこと。また、「自宅に招き入れた人物が復活したキリストであることを、彼の指の動きで察知した人々の驚きの瞬間を、大げさな身振り手振りなどなく、食卓にはパンのみとモチーフや色味を絞り込む等、抑制された表現で描いたことで、静謐な作品世界を構築した」と評価。

 そうだとすれば、止むに止まれぬ事情で生まれた描法が思わぬ劇的効果をもたらし、カラヴァッジョを明暗表現の巧者足らしめたと言えるのではないでしょうか?
 


 因みに夫は≪ナルキッソス≫、息子は≪キリストの降誕≫が最も気に入ったと言っていました。

 学芸員によれば「この時期のカラヴァッジョの明暗のコントラスト鮮やかな作品の特徴は、"光源"を敢えて描かないことにあった。しかし、イタリア以外の遠方の国々(オランダやフランス)の追従者にはそこまでの情報が伝わらなかったのか、フランスのラトゥール<彼はフランスのロレーヌ地方暮らしで世間の流行に疎く、当時としては時代遅れの画家であったらしい。彼がイタリアに赴いたと言う記録もなく、北方のオランダを通じてカラヴァッジョを知った可能性がある>をはじめ、その作品にはろうそく等の光源がはっきりと描かれている。」とのこと。

 2014年に新たに真筆と確認され、今回が母国イタリアに先駆けて世界初公開と言う≪法悦のマグダラのマリア≫は、その表情、ポーズが従来の抑制的なマグダラのマリア像とは趣を異にしており(私の目には官能的に映った)、さらにマグダラのマリアを象徴するアトリビュートの香油壺も描かれていない(学芸員によれば、「マグダラのマリアであっても常に香油壺が描かれるわけではなく、彼女にまつわるエピソードの中でも、彼女の「悔悛」「懺悔」のエピソードで描かれるケースが多いとのこと。「法悦」はその後の彼女のエピソードにあたり、既に過去の罪は購われているので、過去の罪の象徴である香油壺は必ずしも描かれない」らしい。聖書をもっと読み込まないとダメですねhekomi)等、その独特の表現には興味深いものがありました。個人蔵なので今回を逃すと、日本で見られる機会はもうないかもしれませんね。

 解説には、逃亡中のカラヴァッジョがローマ・カトリックに媚びて恩赦を目論んで描いたとあり、マグダラのマリアをテーマに選んだのは、カラヴァッジョが、かつて娼婦であった(←これも諸説あり、元は裕福な出の女性の転落した姿の象徴で、娼婦とは断言できないとも)マグダラのマリアの罪と自身の罪を重ねて、罪人の救済を描いたのではないかとの推察でした。しかも彼が死ぬまで手元に置いていた作品とも言われ(学芸員によれば、「殺人の罪で逃亡を続けていた彼が本作を携えてローマに向かっていたのは、許しを請うためだったのか、或は絵と引き換えに既に恩赦の約束を取り付けていたのか、その点は定かではないけれど、とにかく彼を取り巻く状況に何らかの変化があったのではと推察できる」とのこと)、レオナルドの≪モナ・リザ≫と同様に、画家にとって特別な思い入れのある作品だったと言う意味でも注目される作品と言えるでしょう(うろ覚えなのでase詳細は是非会場でご確認を)

 十数点にも及ぶ追従者らによる模作が遺されていたにも関わらず、その所在は2014年に再発見されるまで明らかでなかった本作ですが、優れて特徴的な人物描写(頬を伝う一筋の涙、赤い上唇と黒い下唇の描き分け、腹部の衣文の見事さ等)と、ローマの有力枢機卿に手渡す旨の書簡も作品と共に遺されていたのが決め手となって、ミーナ・グレゴーリ女史(ロベルト・ロンギ美術史財団代表)をはじめとする複数の有力研究者らによって真作と認められたようです。

 なお、カラヴァッジョ作品の真贋判定の難しさとして、「模倣者、追従者の多さ」があるとの話でした。例えば、現存数の少なさでは際立ったフェルメールの場合、彼の活動範囲がオランダのデルフトに限られ、デルフト以外では当時無名に近かったので、彼の追従者は殆どおらず、真贋の判定で最も鍵となるのは使われた顔料がフェルメールの時代のものか否か。しかし、同時代に模倣者、追従者の多いカラヴァッジョとなると、まず顔料は決め手にはならず、より細かな検証が必要になるとのことでした。



 個人的には劇的な明暗表現と言う意味では、オランダのレンブラントも、オランダにおけるカラヴァッジェスキの拠点であったユトレヒトで、カラヴァッジョの画法に触れ、影響を受けたのではと推察するので、1点ぐらい展示されていたら、面白かっただろうなあと思いました。

 因みに、レンブラントが若かりし頃も、ヨーロッパの画家達の間ではイタリア詣でが盛んだったのですが、コンスタン・ハイエンスの熱心な勧めにも従わず、レンブラントはイタリアには一度も渡航しませんでした。しかし、イタリアのアンニバレ・カラッチの絵やドイツのデューラーの版画を収集するなど、他の画家の表現研究には余念のなかった人なので、何らかの形でカラヴァッジョ或はカラバジェスキの作品も目にして、彼の卓越した表現から何かを学びとっていたのではないかと思うのです  (←レンブラントの師、ピーテル・ラストマンは19歳からの5年間、イタリアに留学した時にカラヴァッジョの影響を受け、オランダへ帰国後は明暗のコントラスト鮮やかな作風に変化したと言われている。よって、レンブラントはラストマンからカラヴァッジョ的明暗表現を学んだと考えられる)

 なにぶん貴重なオールドマスター揃いなので、会場内の照明が暗く、目の悪い私にはよく見えない部分もあり、その点が少し残念でした。さらに夫が不満を述べていたのは、いつものことながら各展示室移動でアップダウンの多いこと。年配者には階段を使わずスクリーンで仕切られた所から移動可の配慮もあったようですが、一般の来館者にもアップダウンの多さは不評のようです。後発の国立新美術館は床が全面フラットでストレスフリーなだけに、国立西洋美術館の企画展示室の移動の煩わしさは、どうにかならないものかと思います。

【今回来日しているカラヴァッジョ作品】日本初公開の作品が目白押しのようです(学芸員曰く、「"日本初公開"と言うフレーズは、ことマスコミが好むもの」確かに。マスコミはマスコミで、"話題性"="客寄せの手段"として、殊更このことをPRするのでしょう。とは言え、必ずしも全員が気軽に現地で作品を見られるとは限らない一般の来館者も、そう言ったことに興味を持つと言うか、有難味を感じるものかもしれません。「そもそも、それぞれの作品が単数或は複数で各地の展覧会に出展されているケースがある為、正確な数は言えないが、7点ぐらいだろう」とのこと)

①≪女占い師≫(1597) ローマ、カピトリーノ絵画館
 ※カラヴァッジョ26歳頃の作品ですが、既にその型破りな作風で、当時の人々の度胆を抜いたらしい(当時の絵画の位階では宗教画が最上位であり、最下位の風俗画をこの<大きい>サイズで描くこと、風俗画でありながら定石の背景を描かず、人物に焦点を絞ったシンプルな画面構成であったこと、さらに女占い師が手相見の振りをして男性の指輪をかすめ盗ろうというテーマの通俗性が、当時としては異例中の異例)

②≪トカゲに噛まれる少年≫(1596-97) フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団
 ※「イテッ」と言う声が聞こえてきそう…(笑)。
  こうした五感を描いた作品についての解説が面白かったです(当時の有力者の依頼を受けて描いたであろう本作。人物のモデルは画家本人であると思われる。新進の貧しい画家にモデルを雇う余裕はなく、自身をモデルに描くのは当然の成り行きであった。少年なのに耳元に花を挿すなどホモセクシュアリティを暗示させるが、当時の富裕層<ローマ・カトリックは完全なる男社会>には、そうした嗜好をあからさまではないながらも容認する空気があったのではないか。こうした作品は寝室や個人の私室に飾られたと推察される。絵を売りたい画家としては、そうした需要に応えるべく描いただけで、本作は必ずしも画家本人の性的嗜好を示すものではない)
 
 本作の脇の展示史料「ピエトロパオロ・ペッレグリーニの証言」(1597)にはカラヴァッジョの風貌に関する記述があり、これが、本作のモデルが画家自身であることのエビデンスにもなっているとのこと。さらに、本史料は2011年に発見されたらしいのですが、この発見により従来の通説のカラヴァッジョの活動時期にも、再検証の必要が出て来たとのだとか。


③≪ナルキッソス≫(1599頃) ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館
 ※美青年の筆頭を飾ります。
  男性にしか興味がないから、これだけ男性を美しく描けたのか? (学芸員曰く、「水面に映り込んだ姿は、ナルキッソスの投影ながら非現実的なもの、イリュージョン(幻影)である。画家が絵を描くと言う行為も、それに近いものがあるのではないか?」)

④≪果物籠を持つ少年≫(1593-94) ローマ、ボルゲーゼ美術館
 ※今回の解説で、カラヴァッジョの本作における表現への拘りを知りましたbikkuri因みに、本作が最後まで出展がなかなか決まらなかった作品だそうです(古代ギリシャ時代の画家が同様のモチーフを描いた際に、その果物の描写のあまりの見事さに、鳥も勘違いして描かれた果物をついばもうとした。しかし、そのことに画家は喜ぶどころか、共に描いた少年の姿に鳥が警戒しなかったことに落胆した、と言うエピソードを意識して描いたと思われる作品。ここでカラヴァッジョは、敢えて果物籠にフォーカスしてこれを緻密かつ鮮明に描き、一方で、少年はソフトフォーカスのような比較的柔らかな筆致で描いている)。

⑤≪バッカス≫(1597-98) フィレンツェ、ウフィツィ美術館
 ※ほろ酔い加減でアンニュイな表情のバッカス。妙に艶めかしい(ローマ神話に登場する酒の神バッカス。その伝統的なモチーフの男神を、艶めかしく半身を露わにした若い青年の姿で描いている。やはり有力者の依頼を受けて描かれた作品で、神話画は当時の絵画の位階で宗教画と並んで最上位であったが、本作は個人的な嗜好品としてごくごく私的な部屋に飾られたものであろう)

⑥≪マッフェオ・バルベリーニの肖像≫(1596) 個人蔵
 ※カラヴァッジョによる肖像画は初めて見ました。興味深いです(≪女占い師≫に一年先立つ初期の作品だが、モデルは後にローマ教皇にまで上り詰めた人物である。カラヴァッジョは不思議と当時の有力者との繋がりが深く、彼の画才が早くから有力者の間でも認められていたことの証でもあるのだろう。同じ章で併せて展示されている同時代の画家バリオーネの自画像には、彼が画家であることを示す持物は何一つなく、彼は騎士団の衣装を纏っているが、これは当時の画家の社会的地位の低さを図らずも示しており、<画家としてよりも?>騎士団のメンバーとして認められたことを誇示したい、画家の複雑な心情が顕れている。因みに、このバリオーネにカラヴァッジョは、「悪口を言いふらされた」と名誉毀損で訴えられており、その時の裁判記録も史料として今回、展示されている。当時の画家の地位の低さを示すエピソードとして、学芸員は「スペインのベラスケスが宮廷画家として召し抱えられた際の初任給が床屋と同じであった」と紹介)

⑦≪エマオの晩餐≫(1606) ミラノ、ブレラ美術館
⑧≪メドゥーサ≫(1597-97) 個人蔵
 ※本作にはウフィツイ美術館蔵も含め3つのバージョンが有るそうです(ウフィツィ美術館に同様のモチーフの作品があるが、本作には何度か描き直した試行錯誤の痕跡が見られることから、本作の方が先に描かれたものであろう。カラヴァッジョは何よりも他人に模倣されることを嫌い、弟子も取らなかったと言われるが、他の作品においても、ほぼ同じものが幾つか遺されていることから、その負けず嫌いな性格で、他人に真似されるぐらいなら、自ら自作のコピーを描こうとの意志が見て取れる)。
  支持体の盾の形状に沿って前に突き出たようなメデューサの顔は迫力があります(ところが、よく見てみると、影の描き方で、寧ろ凹版に描かれた印象を与える作品となっている。印刷された画像を見ると、それが瞭然である)
⑨≪洗礼者聖ヨハネ≫(1602) ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館
 ※初見ですが、その美青年ぶりにビックリbikkuri (当時はまだ人物造形に絵画的加工を施すマニエリスムが主流であった中で、敢えて人物をありのままに、写実的に描こうとしたカラヴァッジョの感覚は革新的であった。まさに<アリストテレスの言う?>「芸術は自然を模倣する」を体現していた)洗礼者聖ヨハネを描きながら、聖ヨハネが身に纏っているのは、定番の獣の皮ではなく真紅の布と言うのが斬新bikkuri彼が聖ヨハネであることを示すものは傾いた十字架ぐらいでしょうか。

⑩≪法悦のマグダラのマリア≫(1606) 個人蔵
⑪≪エッケ・ホモ≫(1605) ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴォ美術館ヴァンコ宮
 ※枢機卿の命で3人の画家が同主題を競作したのだとか。今回はその時のもう一人の画家の作品も展示。比較してみると面白いでしょう(よくよく解説を読んでみると、これは同モチーフの作品が併せて展示されている画家チゴリの甥が勝手に言いふらした話で、チゴリ作品がカラヴァッジョ作品の2年後に描かれているこから、現在では信憑性が乏しいとされているとか。しかし、チゴリ作品が実際に枢機卿の所有になっていることから、当初枢機卿がカラヴァッジョに依頼したが仕上がった作品が気に入らず、改めてチゴリに依頼した、と言う流れも考えられるとか)
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