タイトル写真は東京メトロ神楽坂駅近くにある赤城神社⛩️。
ここは正安2年(1300)に創建された牛込(東京都新宿区)の総鎮守で、「磐筒雄命(いわつつおのみこと)」と「赤城姫命(あかぎひめのみこと)」をお祀りしているようです。
2番目に訪ねたのは、通り沿いにある善国寺(ぜんこくじ)。文禄4年(1595)に池上本門寺第12代貫主日惺上人が馬喰町(東京都中央区)に創建し、寛政4年(1792)に現在の神楽坂に移転。徳川将軍家から長らく崇敬された、開運厄除けの毘沙門天で知られる日蓮宗のお寺🛕です。
本堂の左右に鎮座するのは狛犬ではなく、石虎ですね。
私が食べたのは「サーモン西京漬け定食」と「インゲンの胡麻和え」。夫は「厚切り銀鮭塩焼き定食」と「大根のきんぴら」と生ビール🍺。私には少し塩っぱかったけれど(←干物はそんなものかと)、美味しかったです☺️。これで2,300円くらいですから、日本は外食天国ですね😅。
さらに歩き続けると、左手の角に神社の案内が。よくテレビに登場する「東京大神宮」⛩️です。以前からどこにあるのか気になっていた神社でした。飯田橋駅からは徒歩5分程度でしょうか。
東京大神宮⛩️は東京における伊勢神宮の遥拝殿として、明治天皇のご裁断を仰いで明治13年(1881)に創建された神社なんだそうです。当初は日比谷に鎮座していたことから「日比谷大神宮」と呼ばれていたのだとか。
ここもビルの谷間に立地し、予想外に狭小地なせいか、参拝するまでにTDRやUSJのアトラクションの待ち行列のように蛇行する長い行列で、とにかく驚きました😲。
いつ見ても巨大で堂々たる佇まいの石鳥居。
そして見えて来たのが大村益次郎氏(1824-1869)の銅像。靖国神社の創建に深く関わり、その後の輝かしい数々の功績が讃えられて建立に至ったと言われています。
本殿で参拝。平和を祈念します。戦争や紛争であたら命が失われるのは悲しいです。(背後にいる大国の意図が見え隠れする)イスラム組織ハマスのイスラエルへの攻撃で始まった紛争で、イスラエルのガザ地区では1万人以上の子ども達の命が失われています。
14日(日)も南関東は雲ひとつない快晴だったので、冬季の寒空の下、街散歩に行って来ました🚶。
この日は東京メトロ神楽坂駅を起点に4つの寺社🛕⛩️を巡って来ました。
まずは神楽坂駅を出てすぐの赤城神社⛩️(あかぎじんじゃ)。当初は予定になかったのですが、神楽坂駅を出たところで左手に立派な鳥居が見えたので、気になって足を運んでみました☺️。
ここは正安2年(1300)に創建された牛込(東京都新宿区)の総鎮守で、「磐筒雄命(いわつつおのみこと)」と「赤城姫命(あかぎひめのみこと)」をお祀りしているようです。
伝承によれば、群馬県赤城山麓を出自とする豪族が牛込に移住した際、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりなんだとか。
平成22年(2010)に建て替えられたばかりの本殿は、世界的に有名な建築家、隈研吾氏がデザインを監修し、グッドデザイン賞を受賞しています。正面が全面ガラス張りのモダンな本殿です😲。
同じ境内に学問の神様、菅原道真公を祀った「蛍雪天神」もあり、受験生の参拝が絶えないようです。「お礼参りをしましょう」と大きく書かれていたのが印象的でした。無事に志望校に合格後、お礼参りをしない人が多いのでしょうか?
頭が良くなりたい(頭の働きを良くしたい)ので、蛍雪天神様の「知恵の輪ストラップ」お守りを買いました☺️。
大きな輪が大脳、小さな輪は小脳を表し、二つの輪が合わさることで知恵を意味するのだとか。「いつも身につけ、学問に励むことで知恵の可能性も無限に広がる」と解説にありました。
赤城神社の狛犬は、江戸時代に「加賀白山犬」と呼ばれて流行った型で、現存しているのは僅かだそうです。シンプルな形で、これもモダンな印象。その佇まいは本殿とよく調和しています。
本殿を斜めから撮る。
本殿脇に「蛍雪天神絵馬」があり、絵馬の数自体はそれほど多くないものの、芸能・出版関係のヒット祈願が目に付きます。
ごく最近の映画のヒット祈願絵馬も。亀梨和也主演のサスペンス。
本殿を斜めから撮る。
本殿脇に「蛍雪天神絵馬」があり、絵馬の数自体はそれほど多くないものの、芸能・出版関係のヒット祈願が目に付きます。
ごく最近の映画のヒット祈願絵馬も。亀梨和也主演のサスペンス。
なんと洋画、しかも「スターウォーズ」のヒット祈願もありました😲。
赤城神社⛩️の参拝を終えて、目抜き通りの「神楽坂通り」へ🚶。脇道にも往年の花街の面影を残す、石畳の路地と石段の坂道が続く「兵庫横丁」、黒板塀の料亭が建つ「かくれんぼ横丁」などの名物横丁があるようですが、今回はパス。また、別の機会に。
歩行者天国で人通りも賑やかでした。写真では少ないように見えますが、勝手に人様を正面から撮ったりしたら失礼に当たるので、人通りが絶えた一瞬の隙を狙って撮っています
2番目に訪ねたのは、通り沿いにある善国寺(ぜんこくじ)。文禄4年(1595)に池上本門寺第12代貫主日惺上人が馬喰町(東京都中央区)に創建し、寛政4年(1792)に現在の神楽坂に移転。徳川将軍家から長らく崇敬された、開運厄除けの毘沙門天で知られる日蓮宗のお寺🛕です。
本堂の左右に鎮座するのは狛犬ではなく、石虎ですね。
ここでは虎のキーホルダーお守りを買いました。体長3cmと小ぶりなのに、なんと😲首振り仕様になっていて愛らしいです。
本堂の脇には「浄行菩薩」が鎮座しておられます。菩薩のすぐ近くに水とタワシが用意されており、それで菩薩を洗い浄ることでご利益があるようです。
前の参拝者の見様見真似で、私もお浄してみました☺️。
その後、お腹が空いたので、ちょっと遅めの昼食。「厳選 干物定食」の看板が目に付いたので「炭火焼き干物定食 しんぱち食堂」さんへ。
その後、お腹が空いたので、ちょっと遅めの昼食。「厳選 干物定食」の看板が目に付いたので「炭火焼き干物定食 しんぱち食堂」さんへ。
定食大好き☺️💕。しかもリーズナブルで👛お財布に優しい☺️。
注文は各テーブルに置かれたタブレット端末で。清算は出入口脇のセルフレジで。古風な店構えからは想像もつかない省力化が進んでいます。「新型コロナの流行」と「空前の人手不足」が生んだ新しい飲食店の形ですね。
私が食べたのは「サーモン西京漬け定食」と「インゲンの胡麻和え」。夫は「厚切り銀鮭塩焼き定食」と「大根のきんぴら」と生ビール🍺。私には少し塩っぱかったけれど(←干物はそんなものかと)、美味しかったです☺️。これで2,300円くらいですから、日本は外食天国ですね😅。
食事を終えて、今度は靖国神社⛩️を目指して、さらに歩きます🚶。JR飯田橋駅舎を左手に見ながら進むと、右手には高層ビルの谷間に、光をたっぷり取り込みそうな正面のガラス張りがモダンな、キリスト教会がありました。日本基督教団富士見町教会✝️です。
さらに歩き続けると、左手の角に神社の案内が。よくテレビに登場する「東京大神宮」⛩️です。以前からどこにあるのか気になっていた神社でした。飯田橋駅からは徒歩5分程度でしょうか。
東京大神宮⛩️は東京における伊勢神宮の遥拝殿として、明治天皇のご裁断を仰いで明治13年(1881)に創建された神社なんだそうです。当初は日比谷に鎮座していたことから「日比谷大神宮」と呼ばれていたのだとか。
関東大震災後の昭和3年(1928)に現地に移転してからは「飯田橋大神宮」と呼ばれていたようですが、戦後に現在の「東京大神宮」に社名を改めたのだそうです。
「神前結婚式」を創始したのは、この神社なんだとか😲。それもあって、「縁結び」の神社として有名なんでしょうか?
ここもビルの谷間に立地し、予想外に狭小地なせいか、参拝するまでにTDRやUSJのアトラクションの待ち行列のように蛇行する長い行列で、とにかく驚きました😲。
まるで初詣のような混雑ぶり。SNSでバズったのか、参拝者は若い娘(こ)が殆ど😲。日曜日とは言え、もう1月も半ばを過ぎておりますぞよ。
社殿の設えは、やはり本社の伊勢神宮⛩️に似ていますね。
東京大神宮⛩️での参拝を終えて、改めて靖国神社⛩️を目指します。
社殿の設えは、やはり本社の伊勢神宮⛩️に似ていますね。
東京大神宮⛩️での参拝を終えて、改めて靖国神社⛩️を目指します。
富士見地区と呼ばれるこの界隈は文教地区のようで、日本歯科大学、暁星学園、区立富士見小学校、区立九段中等学校など、公立私立の学校や大学が数多くありました。
歩道脇には、その学校関連の掲示板も。写真は小学校に併設された子ども園の3歳児の皆さんの作品らしい。タイトルは「あったか おでん」。とても上手に出来ていますね☺️。美味しそう。
さる団体の建物のようですが、外壁塗装が洒落れています。
いよいよ最後の訪問地、靖国神社⛩️に到着。脇道から入ると、「君が代」にも登場する「細石(さざれいし)」が出迎えてくれました☺️。
靖国神社⛩️にはこれまで何度も訪れていますが、初めて見る物が…外苑の「慰霊の庭」に分散して設置されています。
さる団体の建物のようですが、外壁塗装が洒落れています。
いよいよ最後の訪問地、靖国神社⛩️に到着。脇道から入ると、「君が代」にも登場する「細石(さざれいし)」が出迎えてくれました☺️。
靖国神社⛩️にはこれまで何度も訪れていますが、初めて見る物が…外苑の「慰霊の庭」に分散して設置されています。
「さくら陶板」と呼ばれるオブジェは、令和元年(2019)に靖国神社創建150周年事業として、各都道府県の土を用いて、現地の陶工により制作、奉納されたものだそうです。
各都道府県を代表する名工達が、慰霊と伝統技術の継承への思いを込めて作り上げた陶板は、同じ桜の花🌸をモチーフにしながら多彩な仕上がりになっており、一点一点見応えがあります。自分の出身地やゆかりの地の陶板を探すのも良いかもしれません。
南から順に北上する形で設置しているからなのか、最初に見つけた沖縄県。藍色の深い色合いが美しい。
長崎県は最近注目の「波佐見焼き」で、薄いブルーの可憐な色合い。
いつ見ても巨大で堂々たる佇まいの石鳥居。
長く続く、広々とした参道。
そして見えて来たのが大村益次郎氏(1824-1869)の銅像。靖国神社の創建に深く関わり、その後の輝かしい数々の功績が讃えられて建立に至ったと言われています。
大村益次郎(旧名、村田蔵六)氏は山口県出身で、幕末の政治家であり、軍人、医師、学者でもあった人物。僅か45年の生涯で、以下に列挙する八面六臂の活躍で、近代日本の礎を築きました😲。
・若き日にシーボルトの弟子から医学や蘭学を学ぶ。その後、漢籍、算術、習字も修める。大阪では「適塾」で学び、1年間の長崎遊学後、塾頭まで進む。帰郷後は家業を継いで医師として従事。
・その後、蘭学の知識を買われ、伊予宇和島藩に出仕し、西洋兵学や蘭学の講義と翻訳を手掛け、砲台を築き、様式軍艦の雛形を製造。この間に造船学を学ぶ為滞在した長崎で、シーボルトの娘、楠本イネとも出会っている(後に襲撃され大怪我を負った彼を看病し看取ったのも彼女だったらしい)。
・32歳の時、藩主の参勤に伴って江戸に出府し、現在の靖国神社⛩️に近い麹町で私塾「鳩居堂」を開塾し、蘭学、兵学、医学を教える。
・翌年には築地にあった幕府の講武所教授となり、最新の兵学書の翻訳と講義を行う。その内容は当時の最高水準と讃えられ、幕府より褒賞を受ける。この頃、同郷の桂小五郎(後の木戸孝充)と出会う。
・36歳の時、郷里の長州藩に転籍。
江戸と長州を行き来する中、江戸では幕府の委託で英語と数学の講師をしていたヘボンと出会い、数多くの蘭学者、洋学者とも交流する。
・その後紆余曲折を経て戊辰戦争で活躍し、靖国神社の前身である東京招魂社(元は戊辰戦争の戦歿者を祀る施設)を創建。
・明治政府樹立後は、兵部省初代大輔(実質的な最高責任者)時代に陸軍を創設し、後の海軍の礎も築いたとされる。
改めて調べると、凄い人だったようです😲。幕末から明治維新にかけての時代は、彼のような才人が綺羅星の如く登場、活躍して、近代日本の礎を築いて行ったんですね。今年新たに一万円札の顔になる渋沢栄一氏も然り。
本殿で参拝。平和を祈念します。戦争や紛争であたら命が失われるのは悲しいです。(背後にいる大国の意図が見え隠れする)イスラム組織ハマスのイスラエルへの攻撃で始まった紛争で、イスラエルのガザ地区では1万人以上の子ども達の命が失われています。
戦争は一旦始めてしまうと、終わらせるのが難しい。近隣諸国との歴史認識の違いや政教分離原則の観点から、いろいろ取り沙汰される靖国神社⛩️ですが、戦争について私たちひとりひとりが真摯に思いを致すべき重要な場所のひとつには違いないと私は考えています。
脇に今年の干支である龍の巨大な絵馬が展示されていました。本作の龍はきちんと伝統に則り三本爪でした☺️。
龍の絵馬の横には「全国神社奉納絵馬展」と銘打って、全国津々浦々の神社⛩️から奉納された個性豊かな絵馬が一堂に展示されていました。素晴らしかったです。
脇に今年の干支である龍の巨大な絵馬が展示されていました。本作の龍はきちんと伝統に則り三本爪でした☺️。
龍の絵馬の横には「全国神社奉納絵馬展」と銘打って、全国津々浦々の神社⛩️から奉納された個性豊かな絵馬が一堂に展示されていました。素晴らしかったです。
ここでも自身の郷里やゆかりの神社の絵馬を探してみると楽しいかもしれません。やはり序列は「伊勢神宮⛩️」が筆頭でした。
先日訪れた墨田区の「牛嶋神社⛩️」。
義両親が健在の頃は帰省して、毎年初詣で訪れていた「諏訪神社⛩️」。
いつの間にか日も落ち始め、靖国神社の長い長い塀伝いをそぞろ歩きながら帰途につきました。本当はすんごく風が冷たくて寒かったですが…冬なんだから寒いのは当たり前😅。
この日の総歩数は11,067歩。歩き回った割には少ない印象です。
街散歩の後は、身体はそこそこ疲れているのに、心がすこぶる元気になっている自分がいます。心の健康の為にも、身体を適度に動かすのは大事ですね。目にも胃にも楽しい街散歩、オススメです❗️
新型コロナの流行で久しく中断していた街散歩🚶。これからは時間と体力とお財布👛が許す限り、ガンガン行きたいと思います☺️。
(了)
いつかしてみたいなぁ。若い頃は音楽関係でよく東京には行ってたんですが、当時は神社仏閣にはあまり関心がなくて、渋谷や秋葉原ばかり。おそらく浅草寺、明治神宮あたりしか行ってないんですよ。
靖国神社も東京大神宮も行きたいです。
あら、たいぴろさんもいろいろ寺社を巡っておられるではありませんか。しかも家業を通して一般人以上に関わっておられる。
若い時には若い時なりの視点でモノを見るから、目の前にあっても、近くにあっても見逃してしまうのでしょうね。
お時間を作って是非、東京にいらしてくださいね☺️。
都内のコンクリートジャングルの中で、公園以外で緑がこんもりした所は大抵神社か寺ですね。
街散歩では必ず立ち寄る場所。
今回最後に訪れた靖国神社には「遊就館」と言う戦争博物館があります。私は息子の中高一貫校の保護者向けの「社会科見学」で、社会科教師の引率のもと訪れたことがあります。
先生は終始一貫して「戦争賛美だ」と批判的な視線で館内の展示物を解説されていましたが、私はモノは考えようで、普段戦争から遠く離れた生活をしているからこそ、その生々しさに戦争の恐ろしさや愚かしさを肌で感じることが出来て良かったです。
モノに意味や価値を与えるのは人間。そこからひとりひとりが何を感じ取るか、学び取るかが重要なのではないかと。
とまれ、寺社は心を整える場所として、大事な存在ですね☺️。