前作に続き本作を見て思ったのは、自己肯定感が育たないまま大人になってしまった人間は、その見るからに自信のない態度のせいで、他人からまず尊重して貰えないし(疎んじられる、舐められる)、そんな自分を愛せないんだな、ということ。
そうなると、世の中における自分の存在意義すら見出せない。個としてのアイデンティティを確立出来ないから、結局、他者ともうまく関係を結べない。
これじゃあ社会で孤立して苦しいよね。悲しいよね。絶望しちゃうよね。
アーサー(ホアキン・フェニックス)は「ジョーカー」という仮面を被って、その言いようのない悲しみや怒りを、自分を認めない他者に対する暴力で訴えたわけだけれど、その生き方は道化そのもの。そのことを彼自身薄々気付いている。
アーサーの「ジョーカー」という仮の姿に共感し熱狂する人々は、アーサー自身の内面の思いなど忖度することもなく、軽薄にアンチヒーローとして持ち上げているだけ。
悲しいかな、彼ら追従者の期待に応えるべくジョーカーを演じ続けることは、アーサー自身の空虚さや孤独感を増幅させて行く。
社会を構成する大人の1人として、また、かつて子どもを育てたことのある親の1人として考えるに、アーサーのような人間を作り出してしまった責任の一端は彼の親や社会にあるのではないか?
しかも、これはけっしてフィクションの世界に留まる話ではなく、現実にもあり得ること。
今、世界の何処かで生きることを渇望しながら、戦争によって明日の生命も知れない人がいる一方で、戦争とかけ離れた社会で他人を殺め、自らを破滅に追いやるアーサーのような人間もいる。
当然のことながら、親は1人の人間を世に送り出した責任として、我が子に精一杯の愛情を注ぐべきだと思う。それが出来ないのなら、自分以外の信頼出来る誰かに我が子を託すべきだ。それが親としての最低限の務めだろう。
現実問題として、アーサーのような「育て難い子」はいる。その場合、親は1人で抱え込まずに、誰かに助けを求めた方が良い。そして子育てに悩む親からすれば、サポートを必要としている時に、サポートへのアクセスは身近にあって、容易くなければ意味がない。実際、どこに相談すれば良いのか分からず悩んでいる親も少なくないはずだ。
だからこそ、「社会で子どもを育てる」というコンセンサスの下(←そもそも今の日本で、その合意形成がなされているのか?)、親に恵まれない子や子育てに悩む親に対するきめ細かな救済制度を、国や地域社会がセーフティネットとして速やかに確立すべきだと思う。
アーサーのような人間を世に放たないためにも。
【作品について】
制作陣はアメコミ映画「バットマン」のヒール役の1人に過ぎなかったキャラクターを、よくぞここまで人物像を膨らませて、娯楽要素もしっかりと織り込みつつ見応えある社会派ドラマに仕立て上げたものだと思います。
続編である本作は、前作とは大きく異なる作風等が賛否両論を呼んでいるようですが、見る者にさまざまな思いや考えを想起させるこうした作品は、社会に何らかのインパクトを与える一つの創作物として、十分見るに値するものだと私は考えます。
(了)
マスクって映画があったけど
コロナでマスクしてると中はスッピン(爆)
人間は仮面を被って生きてるのかもしれない テヘッ
確かに人間は「何か」で自分の本性を隠しているのかもしれませんね。
先日、大阪の検察官トップが部下をレイプした件を裁判で認めたりとか、会員制SMクラブには会社社長や先生と呼ばれる職業の人が多いとか、「肩書き」では人の本性は分からないようですし。
人の本質を見極めるって難しいことだなと思います。
車やバイクに乗ったら人格変わるのは「本性」が顕になったと言うより、「虎の威を借る狐」よろしく、乗り物が乗り手の強者願望を増幅させているんでしょうね・爆
久しぶりのコメントになってしまいましたが、私も「ジョーカー2」見てきました。
この映画、かなりに賛否両論になってますが、私はどうしても嫌いになれない1作です。
なので、はなこさんが肯定派で嬉しかった。
見る人によって色々な感情を起こさせる作品でもありましたよね。
前作のジョーカーが社会現象になって、追随するかたちで犯罪がいくつか起きたでしょう?
そんな事もあって、監督はこの「ジョーカー」に終止符を打たせたのかな・・とも考えました。
このシリーズのジョーカーはあまりにリアルなんですよね。
あと、はなこさんイギリスへ旅行に行かれてたんですね。久しぶりの海外旅行楽しまれたことと思います。旅行記も楽しく読ませていただきました。o(^o^)o
今月は自分の手指の不調だけでなく、身内が2人も立て続けに手術、入院となり、ブログどころではない状態でした。
漸く2人共退院できたので、今、こうして書いている次第です。
さて、映画の話になりますが、今回は作品の評価だけでなく、興行的にも芳しくないようですね。
そもそも最近は映画館自体の集客が少ない。やはり安価な動画配信サービスの普及と空前の物価高で家計に余裕がないのと、コロナ禍を機に特に洋画は不作続きで魅力的な作品が少なく(逆に邦画は時代劇がスマッシュヒットする等、意外に元気)映画館に足を運ぶ人が減っているのだと思います。
前作では日本でも模倣犯が出て社会問題化しましたね。ゲームのし過ぎで虚構と現実の区別がつかない人が増えているのか、なんて私などは思ってしまうのですが、それこそジョーカーのキャラクターを借りて安易に犯罪に手を染めてしまう犯人達の主体性の無さに危うさを感じるし、そうした犯罪の発生によって、創作物の表現に今後何らかの規制や抑制がかかってしまうのではと言う懸念もある。
そこに危機感を覚えた監督が、当初は無かった続編制作に踏み切ったのかなと推察します。本作で「ジョーカー」を抹殺して、物語を終わらせる。決して金儲けの為なんかじゃないですよね。
近年は日本も主に老人をターゲットにした特殊詐欺を筆頭に、最近の闇バイトなるものによる強盗殺人事件の多発等、一部の人間に地道に働くことを忌避する傾向が見て取れて、経済が長く停滞すると、先行きにも光が見えないから勤労意欲が減退したり、人心も荒廃するのかなと思ってしまいます。
社会の閉塞感が犯罪を誘発するんだろうなと。そして、小説や映画は、社会のありよう、時代の空気を反映するとも言えるけれど、それに過剰に反応するのは、受け手としてはどうかと思います。しっかりしろよ、と言いたい!
って、なんかまとまりの無い内容になってしまいましたが、私は本作を見て、現在の社会の問題点や、社会と創作物との関係、誰かが何かを表現することの意味と難しさ等、いろいろと気づきがあったので、見て良かったと思います。