はなこのアンテナ@無知の知

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「世界の子供がSOS!THE・仕事人バンク」~これが本当の国際協力なのかも

2008年09月26日 | 日々のよしなしごと
今日、夕方のニュースの延長で見ていた10チャンネルで、興味深い番組があった。題して『世界の子供がSOS!THE・仕事人バンク マチャアキJAPAN』。スリランカやタイの困っている子供達のもとに、日本のベテラン職人が赴いて、自らの技で助けの手を差し伸べると言う企画。スリランカ、タイ、それぞれ1時間のレポートだ。

■2年前にスマトラ沖地震による津波で甚大な被害を受けたスリランカ沿岸部。そこに母や幼い兄弟達と共に住む17歳の少年リファース君(奇しくもウチの息子と同い年)。彼は津波で一家の大黒柱である父を失い、以来学校を辞めて終日漁師として働き、家族の生活を支えている。彼が困っているのは、彼の家に冷蔵庫がない為に、せっかく釣り上げた魚がすぐに腐ってしまうこと。そこで、彼のもとに鹿児島県枕崎市のベテラン鰹節職人、大茂健二郎氏(73歳)が派遣される(魚も節加工すると2週間は保存がきくらしい)。

ファース君の将来の夢は船舶免許を取得して、鰹漁の漁師になること。その為には勉強が必要だ。魚の節加工技術を学べば、漁に出る時間を短縮して、浮いた時間を勉強時間に充てることができる。小舟で漁をする彼が現時点で釣れるのは小ぶりの魚ばかり。鰹は夢のまた夢だ。

日本から持参した2本の包丁を使って、華麗に魚を捌いてみせる大茂氏。限られた時間で、彼の60年間の職人生活で培った技術を、リファース君に伝授したい。ただやって見せるのではなく、二人で一緒に作ってみる。学ぶことは真似(まね)ぶこと。厳しくも温かい指導をする大茂氏。言葉は通じなくても、いつしか二人の心は通い合う。

リファース君の家族との触れ合いの時間。幼い弟はいまだ海が怖いと言う。ほどなくして大茂氏は、その幼い弟とリファース君が2人で、2年前の津波被災時に父親の遺体を海から引き揚げたことを知る。益々自らの技術をリファース君に伝えたい思いが募った。もうここまで来ると、父親が我が子を想う心境に近い。翌日、密かに鰹を市場で買い、鰹節の製造方法を伝授する大茂氏。真剣な眼差しで必死に学び取ろうとするリファース君。さて、いよいよ指導を終えて旅立つ日、大茂氏は日本から持参したあの2本の包丁を、これからひとりで節を作ることになるリファース君へのはなむけにプレゼントしたのだった。

スタジオに改めて大茂氏を招き、彼が帰国後の、スリランカの様子を伝えるビデオレターを映し出す。そこでは意外な展開が待っていた。リファース君が作った小魚の節は地元の漁師の間でも評判となり、それとの物々交換でリファース君は鰹を得ていると言う。午前中は漁に出る必要がなくなり、勉強に勤しんでいるらしい。さらにリファース君が作ったと言う鰹節が大茂氏の前に差し出される。その削り節を感激の面持ちで試食する大茂氏。文句なく合格点の出来。日本の匠の技術が、遠いスリランカの地に根付いたことを告げる瞬間だった。

タイ北部の首都チェンマイから、さらに車で4時間の所にあるカレン族の村。そこに住む11歳の少女、ワーンちゃんの願いも切実である。村民わずか160人余りの小さな山間の村の子供達は、その日に家族が食べる分のお米の精米の為に、毎朝4時半に起きて、なんと2時間かけて臼に入れた玄米を棒で搗いて脱穀すると言う。幼い子供達にはかなりの重労働である。そこで日本から、水車大工の野瀬秀拓(57歳)氏が派遣された。川の流れを利用した水車の動力を使って、臼の中の玄米を搗くという作戦だ。

野瀬氏は早速村内を散策。すぐさま水車の設置に最適な川が見つかった。水車には十分に乾いた木材を使う必要がある。幸い最適な廃材もすぐに入手できた。村の男性有志数人も作業を手伝ってくれる。中でも副村長のインケーオ氏は手先が器用で頼りになる助手となった。

途中、道具のノミの柄が折れるアクシデントに見舞われるも、近くにある倒木の枝をすぐさま柄にして、何事もなかったように作業を続ける野瀬氏。その咄嗟の機転は、あらゆる場面で発揮された。

川に水車を設置する日、年に一度あるかないかの大雨に見舞われ、土台の脆さを知ると、急遽石を積み上げ土台を強化。水流がそのままでは弱いと知れば、水車の回転速度を上げる為に、より上流の川の水を長さ8mの雨樋で渡し、川面より高い所から水車へと流し込む。とにかくどんな事態に遭遇しようとも、長年の経験知を駆使して、その場にある物を使って難なく切り抜けてしまうのだ。その職人の知恵には舌を巻く。まるでアクシデントを楽しんでいるかのようにも見えて、痛快ですらある。

釘を一切使わない水車の工法も、匠の知恵の集積である。例えば六分割できる水車の本体は、壊れた部分だけを交換すれば良い。木の性質を知り尽くし、利用し尽くしたその工法は、大学で木工を囓った私にとっては感嘆の極みである。さらに野瀬氏は、子供達の遊び道具にと、空いた時間を利用して竹馬も作ってしまう。何をするにも、楽しくてしょうがない、と言う感じなのだ。イマドキ、こういう人って珍しくないかい?

さて、水車稼働の日は村人総出で水車、及び水車小屋をセットアップ。子供達も張り切って運搬作業を手伝った。トドメは、夜間に精米をする人の為、照明用電源に簡易型水力発電装置まで設置してしまう野瀬氏の心配り。もうこれには感動のあまり言葉がない。

いよいよ待ちに待った水車の稼働である。川の水が雨樋を伝って水車に落ち、足下の川の流れも相俟って、水車が勢いよく回転し、その動力が棒を伝って水車小屋の臼の玄米を搗く。臼の玄米が搗かれた直後の、少女ワーンちゃんの喜びの表情が忘れられない。

スタジオではその後の村の様子を伝えるビデオレターと共に、ワーンちゃんからの手紙が紹介された。それには村の人々全員が元気なこと、朝の重労働から解放され、ぐっすり眠れるようになったこと、勉強にも頑張っていること、などが、野瀬さんへの感謝の言葉と共に綴られていた。やはり感激の面持ちの野瀬氏。「村の人々のお役に立てたら嬉しい」と彼の口をついて出た言葉はあくまでも控え目だった。ひとつのことを長年に渡って地道に続けて来た人の、なんと謙虚な言葉だろう。どんな美辞麗句よりも重みがある。


必要としている所に、必要な手助けを。これが本来の国際協力の在り方だろう。大茂氏の鰹節製造の技術は確実にリファース君に引き継がれたであろうし、二人の間には言葉を超えた深い信頼関係が見て取れた。一方、野瀬氏の名前は、水車小屋の入り口に、村人によって誇らしげに「精米所 野瀬」と現地の言葉で綴られ、掲げられていた。竹馬を見事に乗りこなす少年の姿もあった。テレビの企画だが、多少の演出上の脚色を考慮に入れても、日本が誇るべき二人の職人が、海外で立派な仕事をやり遂げた一部始終が十分に伝わるレポートだった。素直に感動した。思わず出張先のホテルから電話をかけて来た夫に、その感動を熱く語ってしまったよ(笑)。
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