はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

糞害×憤慨=飼い犬税

2012年07月23日 | 気になったニュース
財政難に悩む大阪・泉佐野市が、道路や公園に放置された犬の糞の処理費用を、愛犬家から「飼い犬税」を徴収することで賄おうと検討しているらしい。もちろん、すぐに法制化するのではなく、まずは糞害の深刻さを市民、特に糞を放置している心ない愛犬家に周知し、自らの飼い犬の排泄した糞をきちんと処理するよう促すことが、今回の告知の目的のようだ。

この犬の糞害は我が家の近隣でも深刻で、最近は歩道の至るところに糞が放置されていて、おちおち歩道も歩けない。不覚にも2度、踏んでしまったことがあるoni (まあ、旅先で、モスクの入場口に棄てられていた剥きだしのチューインガム~まさか、神聖なモスクの入場口に棄てられているとは思わなんだ~を踏んでしまったのも、同様に不快で腹が立ってしまったが…しかも、糞はお湯で洗い流せるが、靴底の溝に詰まったガムはこびりついて取れないonioni)

昨日など、歩道のど真ん中に排泄ホヤホヤの丸い糞を3個発見し、犯人(犬?)は誰かと、思わず周囲を見回してしまった。つい数分前にすれ違った2匹のダックスフンドなのか、それとも50m先を行く柴犬なのか?

もちろん犬には罪はない。飼い主のモラルの問題である。飼うなら、飼い主としての責任を持て、と言いたい。何でもそうだろうが、"ブーム"になると、本来参入すべきではない人間が参入し始め、全体のモラルが低下するように思う。そして、ブームに乗って参入した者は飽きるのも早い。このテのタイプの飼い主が、安易に犬を棄てたりもするのだろう。

さる経済評論家の試算では、ペット(ここでは主に犬猫)一匹を飼うのに、低く見積もっても総額250万円くらいかかるとのことだ。それはペットが自宅に来て、亡くなるまで~購入費用、各種予防接種費用、避妊手術費用、治療費、餌代、葬儀代~の費用を指しているのだろうか?

それだけの費用をかけてでもペットを飼いたい、ペットを家族同然と思うなら、ペットの排泄物の処理まで責任を持って行うのが飼い主の務めだと思う。だいたい親は自分の赤ちゃんのウンチの始末は、当然のようにするでしょう?(しかし、最近は公共トイレのゴミ箱に、使用済みの紙オムツを棄てる親がいて、これもまた問題になっている。公衆衛生上、ウンチはトイレに流し、オムツはビニール袋で密閉するなりして、自宅に持ち帰るのがマナーでしょうに)自分で糞の処理をできない飼い犬は人間の赤ちゃんと同じであり、飼い犬にとって飼い主は親同然のはず。

最近の傾向なのか、それとも昔からそんなものだったのか、今回のような件に限らず、一部の不逞の輩のせいで、全体が迷惑を被るケースが多いような気がする。

例えば、電車やバスなどの公共交通機関での乗車マナーにしても、本来、「同一空間内にいる者同士が、互いを不快にさせない為の心遣い」のはずなのに、自分の”快”や利便性を最優先して、周りを不快にさせても平気な、マナーを端っから無視する人間が少なからずいる。

そういう人間の周りにたまたま居合わせた者は、不快に思いながらも表だって注意することも憚られ、結局、我慢するしかない(だって、マナーは本来、各個人の良心や良識に委ねるものだから。それに、注意するにも結構勇気とエネルギーが要るものだ。その勇気とエネルギーの注力に見合うだけの効果が得られるかと言えば、残念ながら疑わしい)

現状は、マナーをきちんと守る人が我慢を強いられ、マナー違反者はやりたい放題の「マナー違反をしたもん勝ち」状態と言える。だからと言って、乗車マナー遵守を厳格にルール化すれば、全体が息苦しい思いをすることになるだろう(それは例えば、宗教戒律が絶対的な社会規範となっている社会の息苦しさにも似ているように思う)

そもそも、どうして自己中な人間が、常に一定割合存在するのだろう?そして、少数派であるはずの彼らに、多数派の良識派が振り回される現実。この不条理に、残念ながら解決策はないようだ。おそらく、この不条理にも何らかの意味(神や御仏の意思?人類社会発展の原動力?etc…)があるのだ、と思うしかないのだろうか?
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 深夜のつぶやき | トップ | リーダーシップについて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。