はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

他者の生き様から学ぶ

2014年01月22日 | はなこ的考察―良いこと探し
頂門の一針:人の努力を嗤うなかれ。人の成功を妬む暇があるなら、自らも努力すべし


 表現者たる作家にとって、最も大切なものはオリジナリティだと思う。ふたつとないオリジナリティ溢れる作品を、この世に送り出すこと。おそらく、作家の道を選んだ人の多くが、そのことに日々腐心して、呻吟して、時にはただ1点を世に出すために一生をも捧げるのだろう。そういう作家の情熱が産みだした作品が、私達見る者の胸を打つのだと思う。


 普段は見ない朝のワイドショー番組をたまたま見たら、茨城県在住の布絵作家、皆川末子さん(66歳)と言う方が紹介されていた。高価な顔料の代わりに古着の着物の布等を用いて、日本画風の布絵を制作する作家らしい。既にこの道30年以上の作家らしいが、私は今回初めて彼女のことを知った。



 画像を見た限りでは、まさに顔料で描いた日本画のようである。しかし実際には、細いまつげに至るまで、布で表現している。しかも色合わせ、柄合わせのセンスが素晴らしい。そんな皆川さんが創作活動を始めたのは意外にも遅く、結婚後、しかも30歳を過ぎてからだった。

 皆川さんは子どもの頃から絵を描くことが大好きで、高校は美術科に進みデザインを学んだものの就職口がなく、経済的に美大進学も難しかった為、絵の道は諦めて一般企業でOL生活を送ったらしい。

 結婚後は夫が開いたフォトスタジオを手伝っていたが、ある画商によって撮影用にスタジオに持ち込まれた日本画の美しさに衝撃を受け、以来、日本画制作に興味を持つ。しかし、日本画を描く際に用いられる顔料は高価で、ひとつ数千円はするので、一介の主婦には手が届かない。そんな時に耳にしたのが、日本の古い着物の染めには日本画と同じ顔料が使われている、と言うことだった。幸いにして、皆川さんには実母の形見の着物があった。

 そうだ!私はこの着物を顔料に日本画を描けば良いんだ。そうすれば、普段タンスにしまわれたままの着物にも、新たな命を吹き込めるかもしれない……かくして、彼女の布絵制作が始まった。

 創作活動を始めて数年後、地元の銀行で個展を開く機会を得た。彼女はそこで心臓を衝かれるような酷い言葉を浴びせられる。

 「こんなもの、玄関マットにもなりゃあしない」

 あぁ、何てこった。まさしく妬み、嫉み、悪意に満ちた言葉だ。毒を吐いた人間は、それで溜飲を下げたつもりであろうか?しかし、傍目には、打ち込めるものもなく、充実した人生から程遠い日々を送っている人間の醜い嫉妬心から出た言葉にしか思えない。みっともないったらありゃあしない。とは言え、それを直接浴びせかけられた皆川さんには突き刺さる言葉だ。彼女はショックのあまり数ヶ月言葉を失ってしまう。

 意気消沈し、創作意欲も削がれてしまいかけた彼女を救ったのは、傍らで彼女をずっと見守り続けて来た夫だった。写真家の彼は、妻の作品の一枚一枚を丁寧に心を込めて写真に納めた。彼の優しさにほだされて、皆川さんは再び生気を取り戻し、創作に戻った。

 ほどなくして転機が訪れた。たまたま彼女の個展を見た外国人の賞賛を浴び、オランダで個展を開く機会を得たのだ。その後、徐々に彼女の活動とその作品は人々に知られて行く(私は今の今まで知らなかったけれどase)。15年前からは、自ら布絵教室を開き、指導にも当たっている。

 テレビ画面の中の皆川さん、素敵な笑顔である。ある程度年齢を重ねると、生まれながらの造作の良し悪しより、その人のそれまでの生き様が創り上げた人相の方が、その人に対する印象を決定づけるように思う。普段から、できるだけ笑顔を絶やさずに過ごしたいものだ。

 chain公式サイト:皆川末子「布絵の世界」


 今ある環境の中で自分に何ができるのか真剣に考えるからこそ、斬新な発想も生まれ、活路を見出すことだできるのだろう。やりたいことが見つかったら、できない理由を挙げて足踏みするより、どうすればやりたいことを実現できるのか、あれこれ知恵を絞る、必死に考える。今の自分にはそれが欠けているような気がする。

 それにしても毒を吐いた人、今頃、どうしているんだろう?良い人生を歩んでいるとは、とても思えないのだが…日本には古代より「言霊」と言う考え方があり(と思っていたら、別に日本独特の考えでもないことに、思いがけず気付かされた。新約聖書の「ヨハネによる福音書」冒頭の一節「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」が、言葉の霊性、つまりロゴス=言霊を説いたものだ、というくだりが、昨日読み始めた中村うさぎと佐藤優の対談集(『聖書を語る』文春文庫、2014、p.32)の中に登場した。確かに言われてみれば、私も学生時代の「キリスト教学」の授業で、同様のことを教わったような気がするase恥ずかしながら失念していました。いやはや、絶妙なタイミングで認識の誤りを正されるとは、これぞ神のお導きであろうか?!)、言葉には霊性が宿っていて、言葉通りの事象がもたらされると言われている。つまり、人は自ら吐いた言葉に支配される、縛られる、ということなんだろう。言い換えれば、他者を生かす言葉を吐くよう心がけることによって、結果的に自分も生かされると言うことなのではないか。だとすれば、発言には気をつけなければね。自戒を込めて。
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