はなこのアンテナ@無知の知

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現代の富豪って、篤志家精神に欠けている?

2012年07月12日 | はなこ的考察―良いこと探し
昨日は何とはなしに国会中継を見ていた。

その中で、老人世帯が持つ資産の移転を促す案を、ある議員が述べていた。祖父母が孫の教育費用を出すなら非課税に、と言うものだった。

私なら、もう一歩進めて、この国の将来の為に、資産家の老人には自身の孫だけでなく、未来あるすべての子どもの為に、教育基金等への資産の一部寄付が促せないものか、と思う。

税制における寄付控除を充実させて、資産家が教育基金に資産の一部を寄付することが当たり前の世の中にする。教育基金から給付奨学金や無利子貸与奨学金を支給し、向学心に溢れながら、経済的な理由で進学を躊躇っている学生に、大学や大学院、或いは専門学校で学ぶ機会を与える。現在、奨学金財源も乏しいと言われる中、教育政策として、その財源をいかに税収のみに依存することなく増やすか、考えるべきではないのか?

そうでもしなければ、階級の再生産が行われるだけで、上位層は十分な教育を受けることができ、親と同等か、それ以上の生活レベルを維持できる一方で、下位層は、たとえ本人に向学心があっても十分な教育を受けることができず、職業の選択枝も限られ、結果、生活レベルの向上も望めず、いつまでも下位層でもがくだけである。少子化が止まらない以上、日本国民ひとりひとりの能力を最大限に引き出すような仕組みを構築しないと、社会の活力も失われて行く一方だろう。

美術館でギャラリートークをする度に、明治・大正期の富豪の篤志家ぶりには感心するばかりだ。今、日本にある名だたる美術館の多くは、当時の実業界で活躍した人々の篤志が礎となって出来たものだ。松方幸次郎氏の国立西洋美術館然り。大原孫三郎氏の大原美術館然り。石橋正二郎氏のブリジストン美術館然り。竹橋の東京国立近代美術館の建物も、確か石橋正二郎氏が寄付したものだったはず。彼らは、国民の豊かな文化生活の為に、私財を投じることを厭わなかった。

翻って、今の日本の実業界で、彼らに匹敵する社会貢献をしている実業家はいるのだろうか?米国に目を移せば、ビル・ゲイツ氏は自身がIT事業で築いた莫大な資産を元手に慈善団体を作り、米国のみならず世界的規模で社会貢献事業を展開している。それに引き換え、日本のIT長者や資産家は、その資産規模がビル・ゲイツ氏に遠く及ばないにしても、専ら自身の欲を充たすことに注力し、社会への関心が極めて低いように見える。明治・大正期の人々と比べても、人間的スケールが小さ過ぎる。どうしてなのだろう?

もし、実際は現代の資産家が社会貢献に積極的で、それが社会で周知されていないだけなのなら、そのことを社会に広く知らしめ、社会全体で顕彰する仕組みが必要だと思う。褒められて嬉しくない人は、そうそういないだろうから。

せめて大口寄付行為に対する税制上の優遇措置の拡充や、社会貢献に対する顕彰制度を充実させる等、資産家の社会貢献への関心を高め、それを促すような方策に、政治家も知恵を絞って欲しいと思う。国会中継を見て、政治家の発想のお粗末さに、そんなことを考えた次第だ。
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