はなこのアンテナ@無知の知

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入院の記録⑧~思い出したこと、印象に残ったこと

2008年05月28日 | 日々のよしなしごと
 緊急入院となった為か、当初相部屋の空きがなく、個室への入院となると言われた。「その場合は差額ベッド料が1日当たり17,000円程発生しますが宜しいですか」というようなことを言われたように記憶している。

 結局、手術している間に4人部屋に空きが出たので、個室には入らずに済んだが、もし個室だったら差額ベッド料だけで17,000円×8日間=136,000円となり、今回支払った入院手術代金12万円弱を上回る可能性もあった。そんな馬鹿な?!


 結果的に個室より4人部屋の方が、常にドアは開け放たれて閉塞感がなく、他の患者さんとの交流等もあって、私にとっては精神衛生上も良かった。やはり基本的に個室は病状が重篤な患者さんや、個人的な事情でプライヴァシーを守りたい患者さんが利用すべきものなんだろう。

 同部屋の患者さんは70代半ばの女性がお二人と、私と同年代?の女性。70代女性はそれぞれGW明けに、脳腫瘍の手術、癌の再発で今の病院では対応が難しいので国立がんセンターへの転院を控えておられるとのことだった。もちろん患者同士のマナーとして、相手の病状を根掘り葉掘り私の方から聞いたりはしない。入院生活を続ける中で徐々にうち解けて、ご本人の方からお話されたことだ。私と同年代の女性はなぜか忙しなく動いている方で、手術直後で殆どベッドにいる私と違い、殆ど病室にはおられなかった。しかも私が退院する前日に手術をされて、私が退院する日は殆ど眠っておられる状態だったので、お話をするどころか、お別れの挨拶もできず仕舞いだった。

 入院中にはいろいろなことがあった。相部屋ならではのことだろうか。癌を患っておられる女性は、洗面所で私と立ち話をした直後突然激しく嘔吐され、慌てて私がナースコールをしたことがあった。私と隣り合った同年配の女性は術後の痛みが酷かったのか(皮を剥いだらしい)、ずっと苦しそうに呻いておられた。その呻き声が尋常でなく、私もいたたまれなくて、退院の前夜は寝入るまでずっとイヤーフォンで携帯に録音した音楽を聴いて凌いだ。翌朝の処置(包帯の交換?)でも悲鳴を上げられるので、同室の他の患者さん共々廊下に出て時間を潰したくらいだ。脳腫瘍の女性も「きちんとした処置室はないのかねえ。痛そうで聞いていられないよねえ」とこぼされていた。これから手術を控えた方には、術後の痛みへの恐怖心が増幅されて酷だろう。

 人にはやはり運の良し悪しがあるのだろうか?脳腫瘍の女性の話を伺って改めて思った。その方は自宅で親戚を集めての茶飲み会の当日、玄関先で転倒して頭部に怪我を負ったのをきっかけに入院されたらしい。その際にCTでスキャンをかけたら偶然脳腫瘍が見つかったのだそうだ。その腫瘍の大きさから、既に5~6年は経っているだろうとの医者の見立て。高齢だったことが幸いして、病は比較的ゆっくりと進行していたらしい。

 さらに話は続く。実は1年位前から左足に痺れを感じ、当初街の鍼灸院に通ったのだと言う。そこで様々な処置を受けたが、やはり足の痺れは取れない。症状が一向に改善されないので、今度は整形外科を受診し様々な検査をしたが、そこでも原因は分らず仕舞い。そうこうしているうちに玄関先で転倒し、頭を強打して街の脳神経外科を受診した。そこで初めて脳腫瘍が見つかり、主治医がたまたま今入院している大病院の出身だったので、その紹介で現在に至ったらしい。

 教訓として、その方は以下のようなことを述べられた。四肢に痺れを感じたら、整形外科だけでなく、念のため脳神経外科も受診した方が良い。街の鍼灸院では、整形外科を受診すると言ったら「どうして病院になんか行くんだ!」と強い口調で引き留められ、その発言に不信感を抱くと同時に、「この鍼灸院は患者の治癒より金儲け優先主義だ」と確信した。逆に感謝したのは、怪我でたまたま受診した脳外科医が、患者の治療を最優先して、より大きな病院への転院を勧めてくれたこと。これが運命の分かれ道だったのかもしれない。

 「親戚中を集めての茶飲み会の当日に怪我なんて、ああ何て運が悪いんだろうと思ったけど、怪我のおかげで病気が分ったのよね。人生、何が幸いするか分らないものね」―本当にそうだと思う。私も今回の入院・手術をきっかけに、貴重な見聞ができたし、他にも治療の必要な箇所が見つかった。病気は何より早期発見が大切だ。初期の段階なら治療効果が高く、回復も早い。痛い思いもしなくて済む。日々の健康管理(特に食生活と、十分な休養や適度な運動)の大切さを痛感できただけでも、私にとっては大きな収穫だと思う。

 退院の日、お別れの挨拶の時に、癌患者の女性には「もう、こんな所に戻って来ては駄目よ」と言われた。握った手の温もりと共に忘れられない言葉だ。もうひとりの方には「ご主人とは仲良くね」と茶目っ気まじりに言われた。入院当日の夜、仕事帰りに見舞いに訪れた夫と些細なことでケンカしたのが筒抜けだったらしい。「最初、いきなり怒っておられるから、わぁ~恐い人ねって思ったけど、毎日来るたんびに優しくなるから、あら本当は優しい人なのねって見直したのよ。」―その方のご主人は85歳とご高齢ながら、毎日見舞いに訪れておられた。互いに労り合う姿に老夫婦の仲睦まじさが感じられ、目指すべき夫婦の在り方のひとつを見せていただいたように思う。

 そんなこんなで、いろいろと勉強になりました。人生で経験することに無駄なことはありませんね。
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