今日、映画を見た帰り、いつものように映画館と同じビルの階下にある大型書店に立ち寄った。比較的ゆったりとした間隔で、私の背丈以上の書棚が整然と林立している様は壮観だ。2つの書棚が背中合わせに置かれ、その側面にジャンル毎に書店オススメの本数種類が平積みされている。哲学のコーナーに、私の好きな哲学人池田晶子女史の、没後に出版された著書3冊がそれぞれ平積みにされていた。
その中から『人生は愉快だ』を手にとってみた。三章構成で、第一章は宗教・哲学の先達の死生観について著者なりの解釈を試みたもの、かな?第二章は人生相談に著者が答えるというもの。勿論、著者なりの切り口で人生を語ります。第三章は著者が自ら切り開いたジャンルである「哲学エッセイ」。哲学を難解な専門用語ではなく、平易な言葉で語ったのが彼女の真骨頂と言われている。立ち読みで字面をなぞっただけなので、大雑把な捉え方ではある。と言うか、最近とみに記憶力が落ち、読むそばから忘れてしまうので、記憶が心もとない。美術書についても同じ。人名が覚えられない。話の途中で思い出せない。困ったなあ…
話は池田女史に戻って。彼女、実はブログが大嫌いなのだ。エッセイにもその理由が書かれていたが…忘れた。考えること自体に意味があるのに、ブログなるものに手前勝手な主張を披瀝してどうするの?すごくみっともない。というような理由だったと思う。”言ったもん勝ち”の風潮を嫌悪しているように見える。誰もが納得する論理、主張でなければ、主張する意味がない、と言うことのようだ。しかし、この解釈も自信がないので、日を改めて読んでみます。繰り返し「ブログが嫌いだ」という主旨の文章を書いておられるので、よほどお嫌いなのだろう。しかし、嫌いだから読んだことはないらしい。読んだことがなくて、評価できるものなのかな?
私はブロガーの端くれなので、彼女のアンチ・ブログな意見に、ちょっぴりメゲる。おそらく現代日本の知性を代表するひとりである彼女の著作は面白くて好きなんだけれど、彼女はブログもブロガーも大嫌いなんだよね。好きな人に嫌われて…残念だ。
ってことをブログ上で披瀝すること自体を、たぶん彼女は嫌悪しているんだよね。
その中から『人生は愉快だ』を手にとってみた。三章構成で、第一章は宗教・哲学の先達の死生観について著者なりの解釈を試みたもの、かな?第二章は人生相談に著者が答えるというもの。勿論、著者なりの切り口で人生を語ります。第三章は著者が自ら切り開いたジャンルである「哲学エッセイ」。哲学を難解な専門用語ではなく、平易な言葉で語ったのが彼女の真骨頂と言われている。立ち読みで字面をなぞっただけなので、大雑把な捉え方ではある。と言うか、最近とみに記憶力が落ち、読むそばから忘れてしまうので、記憶が心もとない。美術書についても同じ。人名が覚えられない。話の途中で思い出せない。困ったなあ…
話は池田女史に戻って。彼女、実はブログが大嫌いなのだ。エッセイにもその理由が書かれていたが…忘れた。考えること自体に意味があるのに、ブログなるものに手前勝手な主張を披瀝してどうするの?すごくみっともない。というような理由だったと思う。”言ったもん勝ち”の風潮を嫌悪しているように見える。誰もが納得する論理、主張でなければ、主張する意味がない、と言うことのようだ。しかし、この解釈も自信がないので、日を改めて読んでみます。繰り返し「ブログが嫌いだ」という主旨の文章を書いておられるので、よほどお嫌いなのだろう。しかし、嫌いだから読んだことはないらしい。読んだことがなくて、評価できるものなのかな?
私はブロガーの端くれなので、彼女のアンチ・ブログな意見に、ちょっぴりメゲる。おそらく現代日本の知性を代表するひとりである彼女の著作は面白くて好きなんだけれど、彼女はブログもブロガーも大嫌いなんだよね。好きな人に嫌われて…残念だ。
ってことをブログ上で披瀝すること自体を、たぶん彼女は嫌悪しているんだよね。