はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

「木下晋展~生命の旅路」

2014年05月05日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)

 旅先では時間の許す限り、必ず現地の博物館や美術館を訪ねることにしている。今回の沖縄では、宿泊先のホテルから徒歩圏にある沖縄県立美術館で明日6日(火まで)開催予定の「木下晋展~生命の旅路」を見て来た。

 刮目に価する作品群である。初期のクレヨン画、油彩画、絵本原画、彫塑、そして作家を日本画壇において比類なき作家へと至らしめた鉛筆画、合計約119点が一堂に会している。

 特に入魂の鉛筆画が素晴らしい。大画面に、顔の皺もシミも痘痕(あばた)も、身体の弛みも、節くれ立った指も、包み隠さずに執拗なまでに描き込んだ人物画に圧倒される。その妥協を許さない徹底したリアリズムが露わにした人物像に、時に目を背けたくなるが、それを許さない強い磁力が、木下晋の鉛筆画にはある。


 上掲の画像は、最後の瞽女(ごぜ)と言われた小林ハルさんを描いた鉛筆画である。瞽女とは、家々を訪ねては三味線を弾き唄い、金を請うていた盲目女性のことだ。かつて、日本には視覚障がい者への教育も養護する施設も十分でなく、彼女達が自活する為の手段として、こうした職業が成立していた。岩下志麻主演の「はなれ瞽女おりん」と言う映画では、その苛酷な人生が描かれている。

 他にも、認知症の自身の母や知人の母、娘、そして詩人で元ハンセン病患者の男性など、数多くの人物像~その顔が、その身体が、実にリアルに鉛筆のみで描かれている。

 作家、木下晋は10Hから10Bまでの22段階の鉛筆を使って、こうした鉛筆画作品を描くと言う。実際に展覧会場で、濃淡の段階的変化に従って並べられた22本の鉛筆を見たが、それぞれの微妙なトーンの違いが私には識別できなかった。この22本を駆使して、モノクロームの鉛筆画の世界に"色彩"を与えるのだから、作家の、鉛筆の微妙なトーンの違いを見分ける眼の確かさ(繊細な色彩感覚?)描写力(デッサン力)には脱帽するばかりだ(モノクロームの世界に"色彩"を与えると言う意味では、銅版画の線描表現も同様に高度な技量が求められる)

 私はそれらの作品群を見ながら、ふと、オーギュスト・ロダン《美しかりしオーミエール》(国立西洋美術館蔵)を想起した。女性像は、もっぱら若く美しい女性をモデルとした作品を作っていたロダンが、唯一老女をモデルにした作品である。

 頭(こうべ)を力なく垂れ、右手を腰に当てたそのポーズからは、老女の嘆息が漏れ聞こえて来るようだ。ゲッソリと削げた頬と深く刻まれた皺の顔に、弛んだ乳房と腹部、骨張った腕と、老醜を残酷なまでに容赦なく晒した造形である。

 しかし、その造形に、私は老女のあるがままに対するロダンの敬意が見て取れて、心を打たれるのだ。老女をモデルにした経緯には諸説あるが、芸術家のロダンが老女の姿に、ひとつの美を見出しのは間違いないだろう。

 木下晋の鉛筆画群とロダンの《オーミエール》に共通して感じられるのは、人間が直面する厳しい現実を突き抜けた先にある「人間賛歌」「人生賛歌」である。

 避けられない老い、或いは貧困や病や障がいなど、モデルとなった人々が否応なく向き合わなければならなかった苛酷な運命。結果的にそれらが創り上げたとも言える、彼らの人生の終盤におけるありのままの姿を、粘着質なまでに丹念に描き込むことで、作家は全身全霊で、その人生に向き合い、心からの敬意を表しているように見える。しかも作家は、その人生を知ることができただけでも自分には意味があり、本当は絵なんて描かなくとも良い、とまで言い切っている。その作家の真摯な思いが作品に磁力を与えて、見る者に深い感慨をもたらすのではないだろうか。どんな人生も尊い。否、苛酷であればあるほど、人は自身の孤独と向き合い、その人生は深みを増して、他者の心を打つのだと。

 また、一連の作品群は、徒に年を取ることを厭うアンチ・エイジング流行りの時世にあって、人間の成熟、爛熟について、改めて考えさせてくれた。

 作家は、作家である以上、世に認めて貰いたい思いを強烈に抱きながら(或いは、逆に世間からの評価を超越して、自身の内から湧きあがるものを、ただただ表現したい衝動に駆られて?)、創作活動を続けていると思うが、だからこそ苦悩も深いのだろう。木下晋も例外でなく、また、自身の貧窮と複雑な生い立ちにコンプレックスを抱きながら作家活動を続けていたようだ。

 しかし、既に世界的な作家として認められていた荒川修作とニューヨークで出会い、「君は芸術家として最高の環境に生まれ育ったんだ」「君はもっとお母さんを描け。ただ描くだけじゃだめだ。どうせ君の親子関係は無茶苦茶になっているだろうから、修復してお母さんの話を聞け。そしてそれを文章に描け」と言われる。
 こうした邂逅は人生の宝である。ニューヨークでの活動は上手くいかなかったようだが、荒川から作家としては最良の励ましを得て、木下の作家人生にとって重要なターニングポイントになったのではないか。

 これだから人生は面白く、滋味深く、そして尊い。



chain展覧会情報「木下晋展 生命の旅路」(沖縄県立美術館)



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