はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

バックアップがあるから、無茶ができる

2008年05月15日 | はなこのMEMO
 先日、たまたま見たテレビ番組にタレントの梅宮アンナが出ていた。安住アナが渦中の元恋人(現在詐欺容疑で裁判沙汰になっていますね)の話に触れると、「大変だったけど、あの経験も私には必要なことだった」と彼女はサバサバとした表情で振り返った。そして、「私は目の前に水溜まりがあったら、そこに飛び込んじゃうタイプの人間なの。」と自らの人生観を語った。それを横で聞いていた父親の梅宮辰夫は「その泥水をかぶる者の身にもなってくれよ」と深い溜息をついた。疲れた、悲しげな表情だった。「そうだよねえ。親としたら心配だよね」とテレビ画面に向かって私が相づちをうつと、夫が「でも、何だかんだいって助けるんでしょ。このお父さん」と笑った。
 今にして思うと思慮が浅く、頼りない両親の下で育った私に言わせれば、梅宮アンナはいつまで経っても「甘ったれ」だ(私が下の3人とは少し年の離れた長女と言うこともあってか、それこそ私が10代の頃から親には物心両面で頼られ、それが苦痛で、親と距離を置くために上京したと言って良い。あのまま親元にいたら、私の人生は親に呑み込まれていた)。何があっても、いざとなったら親が助け船を出してくれるからこその無謀な冒険心なんだろうと思う。親に甘えられない、甘えられる存在のない人間は、自分で自分の身を守らなければならない。自ら生き抜く力を蓄え、その為に人一倍努力しなければならない。自ずと行動も慎重になる。何かあっても助け船は期待できないからだ。私の”石橋を叩いて壊す”ほどの、まるで冒険心のない性格も、そうしたバックグラウンドが培ったものだろう。

 どんな両親のもとに生まれるかは誰も決めようがない。生まれ落ちたら最後、その親と関わり、その親が作った環境で育つしかない。両親の深い愛情のもとで育つ人は幸いだ。それだけで人生の半分は幸福が保障されたようなものだ。深い愛情を受けた人は、何の苦もなく他者にも愛情を注ぐことができる。それが回り回ってその人自身を幸せにする(情けは人の為にあらず、に通じますね)。そのことを両親に感謝する気持ちを忘れないで欲しい。そんな思いもあって息子には、不器用だけれど、できる限りの愛情を注いでいる。息子には幸福な人生を歩んで欲しいから。

 梅宮アンナもそろそろ親頼みは卒業して、本当の意味で自立すべきだと思う。そうして初めて、彼女の両親は子育てを終えたとも言えるだろうから。もっとも、この親子は互いに「親離れ」「子離れ」できない「共依存」の関係かもしれないけれど。
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