はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(12)ジェイン・オースチンの読書会

2008年05月17日 | 映画(2007-08年公開)
 スタバで初会合!

ウィットと含蓄に富む台詞に、登場人物6人のアンサンブルが素敵♪
ついでに異文化観察も!(笑)


 ふとしかたきっかけで、英国の女流作家ジェイン・オースチンの6作品を、男性1人を含めた6人で読み進めて感想を述べ合う読書会が始まった。
 メンバーは旧知の間柄の女性達に、偶然出会った男女2人が加わった形だ。その中心となるのは離婚歴6回の、個性的なファッションが印象的な50代女性。それに突然夫に去られた妻とその10代の娘、犬のブリーダーを職業とし、40代後半に至るまで独身を通した女性、その彼女と偶然ホテルで出会った瞬間、年上の彼女に惹かれ彼女に誘われるままに読書会に参加することになった、30代後半と思しきIT関連を生業とする男性、そして高校で仏語教師として働く既婚の30歳前後の女性である。

 初対面でのぎこちないやりとりから、何やら不穏な空気を予感させるが、オースチンの小説を読み進めるうちに、それぞれの家庭の事情、内面的苦悩が明らかになり、時には些細な誤解から仲違いしながらも、次第に互いの理解を深めて行く。

 私が、他所からの侵入を阻む四方を海に囲まれた島国育ちで、共同体の調和を何よりも重んじる稲作文化を背景に持つ日本人だからなのか、初対面からいきなり意見の対立を見せる彼らの関係性に興味を持った。米国は(元々ネイティブの存在はあったが)移民によって成立した国であり、多民族、多文化の国である。それ故、初対面の相手とは、「異なった価値観を持った人である可能性が高い」との前提で、対峙するように見えた。日本で言うところの「あ・うんの呼吸」や「ツーと言えばカー」、「以心伝心」のような相手への信頼感のようなものはなく、寧ろ緊張感を孕んだ出会いのように見えた(正直、なんでいきなりケンカ腰やねん?という感じだ・笑)。

 もちろん、日米のどちらが良いか悪いかの問題ではなく、文化的差異の面白さを感じた印象的なシーンであった。その後もメンバー間でちょっとした諍いが繰り返されるのだが、実はそのことによって徐々に互いの距離は縮まって行く。逆に日本では、「互いに同じ価値観を共有していると思っていたら実際は違っていた」と言うような顛末があって、心理的距離を広げてしまうことがあるのではないか?

 さらに興味深かったのは、読後の感想と言うのは、読み手の人生経験の違い、価値観の違い、興味・関心の違いによって異なって当たり前だと思うのだが、メンバー間で対立を見る点である。読解力テストでもないのに、「あなたの解釈は間違っている」なんてよく断言できるものだなと思う。しかも言われる方も負けていない。互いに自分の解釈が正しいと言って譲らない。「正しい正しくないは別として、自己主張を通した方が勝ち、論理的に勝る方が勝ち」と言うディベート文化の所産だろうか?ここにも文化の違いを感じて面白かった。

 文学作品と読み手の関係はあくまでも個人的なもので、他人と共有できるものではないし、そもそも共有する必要もないと思う。私はてっきり読書会の意義は、同じ作品を読んだ他者の、異なった意見、感想を聞く機会を持てることだと思っていた。それによって他者の意外な一面が垣間見えるだろうし、作品の新たな魅力を知ることができるだろう。もちろん、その前提には他者の意見を尊重し、けっして否定しないという暗黙の了解があってのことだ。さらに一人では億劫になりがちな、滞りがちな読書の後押しをしてくれる場でもあると考えていた(でも、どうも違うらしい・笑)。だから、映画の中で描かれる、口角泡を飛ばす勢いのバトルには正直驚いた。

 映画の結末に新味はない。無難な着地点に到達したという感じだ。それより、いろいろ悶着はありつつも、結末に至るまでの登場人物達の生き様のアンサンブルが楽しい。悩み多き40代の私には(笑)、台詞の一つひとつが心に響く。人生ままならないことも多いけれど、それでも生きていることは素晴らしいと感じさせてくれる、見終わってみれば爽やかな余韻を残す佳作だと思う。

「ジェイン・オースチンの読書会」公式サイト

【個々の登場人物について~ちょっとネタバレ?】

 映画では、SF小説オタクを自認する男性が、気に入った女性に少しでも近づきたいが為に、関心外の分野であるオースチン文学に手を染めるのだが、逆に彼女はなかなか彼の薦めるSF小説に関心を持とうとしない。相手の価値観を認めることは、相手を理解し、心の距離を縮めることだと思うのだが、男性の一途さに対し、女性の頑固さが際だつ関係性だった。彼女を見ているうちに”頑固さ”は、自分を傷つけまいとする防御反応なのかもしれないなと思った。その頑なさを解きほぐす彼の優しさ、柔らかさが素敵だ。かつての男性像(=剛)、女性像(=柔)が逆転しているようにも見える。

 夫に去られた女性はとても美しく知的な女性だった。彼女を捨てた夫の気持ちが私には理解できない。一体何が不満だったのか?彼女もそれが分からないからこそ衝撃も大きかったのだろう。まったく罪作りな夫だよ。10代の娘はその若さ故に、無防備であり、傷つきやすい。時に見せる、驚くほどの攻撃性は自らを守る為の術であり、芯に持つ優しさと表裏一体だ。

 また、自制的な仏語教師の女性の苦悩には共感できた。自由奔放な母親を反面教師とした彼女の堅物ぶりが痛々しかった。その一方で、夫がいながら教え子に対しては危うい恋心を抱く。その矛盾が実は人間らしい。人間はそんなに立派なものではない。時には悩み苦しみながら、善悪の境界線を行きつ戻りつしながら、その時々に自分にとって必要なもの、最良のものを選び取って行く。その積み重ねが人生なんだろう。
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