10年以上前だっただろうか。友人の夫が、以前勤めていた会社の取引先の企業の社長に誘われる形で転職した際に、「転職先の二代目オーナー社長の、会社経営におけるあまりの公私混同ぶりに驚いた」と話していたのを思い出す。
サラリーマンなんて、仕事着のスーツでさえ経費で落とせないのに、その社長と来たら、家族の食事会、旅行、息子娘用のPC等々、家族に係る出費の殆どを会社の経費で落としていたらしい。
それでシッカリ節税して利益を確保しているようなのだが、友人の夫が怒り心頭だったのは、それだけやりたい放題に家族の為にお金を使っていながら、従業員にはかなり低い賃金しか支払っていないことだった。当時、転職は失敗だったとまで言っていた。しかし、年齢的に再び転職も難しいと思ったのか、今も同じ会社で働き続けている。
また、数年前に別の友人の母が言った言葉に、ショックを受けたことがあった。友人は地元でも土地持ちで知られる家の息子と結婚した。友人の夫は家業を継ぎ、後年、土地を担保にかなり大きな賃貸マンションを建てる等して、さらに資産を増やした。友人には県外の大学を出たエンジニアの兄がおり、県内では有数の企業に勤めている。しかし、兄の収入では老朽化した家の建て替えもままならないと言う。それで、友人の母は現在、友人の夫、つまり娘婿が提供した家で暮らしている。そこで友人の母が発した一言が「やっぱり勤め人は稼ぎが悪くてダメね」であった。
果たして、そうだろうか?大学まで出て専門技術を極めたエンジニアのお兄さんに、十分な給与を支払わない会社の方が間違っているのではないだろうか?所得分配が不公平なのが問題なのではないか?日本は「物作り大国」と言いながら、他の先進国と比較してエンジニアの地位や収入が低い(対事務職比)とも聞く。友人の兄は日々、真面目に働いているにも関わらず、母親にあのような言われ方をしたのでは、本当に気の毒だと思う。昔から知る友人の母のことは大好きだけれど、お金を持っている方が優る、と言うような拝金主義的な考え方には、私はどうしても賛同できない。
なぜ、このふたつのエピソードを思い出したかと言うと、先日、書店で『沖縄の不都合な真実』と言う新書(現在、アマゾンの新書部門で売り上げ第一位らしい)の格差社会の章を読んだ際に、所得分配の不平等ぶりを示す指標"ジニ係数"についての記述が出て来たからである。そこでは、日本でも特にジニ係数が高い都道府県として沖縄県、大阪府、徳島県、そして長崎県の名が挙がっていた。つまり、この4府県は日本の中でも所得分配が不平等で、地域社会の中で格差が大きいと言うわけだ。
本書は特に沖縄の知られざる負の一面を炙り出す目的で書かれたものなので、その内容はかなり驚くべきものとなっている。例えば、県全体の平均年収は全国最下位なのに、年収1,000万円以上の高額所得者世帯数が全国でも10位(台?)で、地方からは唯一のランクイン(他は大都市圏のみ)だと言う。このことは、沖縄県内で凄まじい格差が存在することを意味している。同様に、県民平均所得は300万円台なのに、公務員の平均所得は700万円台等、これだけ民間と公務員の所得格差が大きいのも珍しいのではないか?本書ではそんな沖縄を、"公務員天国"と揶揄している。
これはつまり、米軍基地負担の見返りに沖縄県に交付される膨大な額の振興予算利権に群がる層(公務員、建設業者、インフラ業者、軍用地権者等)に富が一極集中し、それ以外の県民は貧困に喘いでいると言うことだ。しかも既得権益者はその利権をけっして手放そうとはしない(←尤も、既得権益者の富の独り占め~富の偏在は、日本の地方どころか、世界的な問題であると言える)。
かくて、公務員(県庁職員、市役所職員、教員)もコネ採用がまかり通り、一族郎党が公務員など、まるで世襲の職業になっているようだ。さらに軍用地権者は不労所得として年間数百万円を得、それを担保に不動産投資で資産を増やす一方で、底辺層*は貧窮に喘ぎ、我が子への教育もままならない状況が、全国でも突出した低学力県の原因となっているだけでなく、階層の固定化を促す要因となっていると言う。
*男女共に生涯未婚率が高く(←定職にも就けず、他県の自動車メーカーの季節労働従事と失業手当給付を繰り返して糊口を凌ぐ人も少なくないそうだ。貧し過ぎて結婚もできないと言うことか?)、結婚できたとしても離婚率が高く、シングルマザー世帯が多い。しかもシングルマザーの所得は全国平均を大幅に下回る低さなのに、子どもへの自治体の医療費負担率、認可保育園の割合も全国平均を下回っている。
ただし、こうした問題は沖縄県だけでなく、日本の「地方」では程度の差こそあれ、昔から何処にもあったものだと思う。地方では昔ながらの地主が土地の名士であり、企業城下町でない限り公務員が最も安定した就職先であり、「地方交付金(を当てにした公共事業)利権」と言うものが厳然と存在し、選挙結果に絶大な影響を及ぼして来たはずだ。そういう既得権益者が幅をきかせる地方で、不運にしてコネも金もない人は、才覚があっても、それを生かせる場は少なく、報われないことが多いと思う。
だったら、そういう不遇な人は生まれ故郷から飛び出して、都会に出て来れば良い。少なくとも地縁・血縁の弱さが、自分の不利に働くことはない。自分を知らない他人が殆どの中で、自分の生きたいように生きることができる。都会暮らしには、頼れる身寄りのない"孤独"と背中合わせながら、自らの責任で生じたわけでもない社会的格差から解き放たれた"自由"がある。
思うに、人生において最も不幸なことは、端から挑戦もできないことなのではないだろうか?その成否はともかく、自らの現状を変えるべく、自らの能力を信じて、何かにチャレンジする。硬直した地方の階級社会では公正な競争は望むべくもなく、そのチャレンジすら、さまざまなしがらみや既得権益者らによる妨害があって難しいのが実情だと思う。
逆に言うと、なぜ若者が故郷を捨てて出て行くのか、地方自治体は自らを省みるべきだろう。地元に残っている者の殆ど(←もちろん、全員とは言っていない。何らかの志を持って、敢えて地元に残ることを選択した人も、少数ながらいるのだろう)は、「地元での生活に何の不安もない既得権益者の子弟」か、「格差社会の現実を知ってチャレンジすることを諦め、現状に甘んじることを仕方なく受け入れた者」か、はたまた、「教育の効果・効用を知らずに育ち、自らの環境を変えるべく努力し、何かにチャレンジする発想すらなく、現状維持を良しとする底辺層」だろう。
ただし、以上のことは、震災の被災地等、特殊な事情を抱えた場所では、必ずしも当て嵌まらないのかもしれない。さらに言えば、地方出身者にしても都会出身者にしても、地元で活路を見出せないのであれば、そこを離れて、新天地でチャレンジすることが、その人の人生を変える契機になると言う意味では同じなのかもしれない。
生まれながらの環境が良くなければ、自分で変えるまでだ。それぐらいの気概がなければ、不遇の人間は不遇のまま、人生を終えてしまうことになると思う。

写真はチェスキークルムロフの川縁
サラリーマンなんて、仕事着のスーツでさえ経費で落とせないのに、その社長と来たら、家族の食事会、旅行、息子娘用のPC等々、家族に係る出費の殆どを会社の経費で落としていたらしい。
それでシッカリ節税して利益を確保しているようなのだが、友人の夫が怒り心頭だったのは、それだけやりたい放題に家族の為にお金を使っていながら、従業員にはかなり低い賃金しか支払っていないことだった。当時、転職は失敗だったとまで言っていた。しかし、年齢的に再び転職も難しいと思ったのか、今も同じ会社で働き続けている。
また、数年前に別の友人の母が言った言葉に、ショックを受けたことがあった。友人は地元でも土地持ちで知られる家の息子と結婚した。友人の夫は家業を継ぎ、後年、土地を担保にかなり大きな賃貸マンションを建てる等して、さらに資産を増やした。友人には県外の大学を出たエンジニアの兄がおり、県内では有数の企業に勤めている。しかし、兄の収入では老朽化した家の建て替えもままならないと言う。それで、友人の母は現在、友人の夫、つまり娘婿が提供した家で暮らしている。そこで友人の母が発した一言が「やっぱり勤め人は稼ぎが悪くてダメね」であった。
果たして、そうだろうか?大学まで出て専門技術を極めたエンジニアのお兄さんに、十分な給与を支払わない会社の方が間違っているのではないだろうか?所得分配が不公平なのが問題なのではないか?日本は「物作り大国」と言いながら、他の先進国と比較してエンジニアの地位や収入が低い(対事務職比)とも聞く。友人の兄は日々、真面目に働いているにも関わらず、母親にあのような言われ方をしたのでは、本当に気の毒だと思う。昔から知る友人の母のことは大好きだけれど、お金を持っている方が優る、と言うような拝金主義的な考え方には、私はどうしても賛同できない。
なぜ、このふたつのエピソードを思い出したかと言うと、先日、書店で『沖縄の不都合な真実』と言う新書(現在、アマゾンの新書部門で売り上げ第一位らしい)の格差社会の章を読んだ際に、所得分配の不平等ぶりを示す指標"ジニ係数"についての記述が出て来たからである。そこでは、日本でも特にジニ係数が高い都道府県として沖縄県、大阪府、徳島県、そして長崎県の名が挙がっていた。つまり、この4府県は日本の中でも所得分配が不平等で、地域社会の中で格差が大きいと言うわけだ。
本書は特に沖縄の知られざる負の一面を炙り出す目的で書かれたものなので、その内容はかなり驚くべきものとなっている。例えば、県全体の平均年収は全国最下位なのに、年収1,000万円以上の高額所得者世帯数が全国でも10位(台?)で、地方からは唯一のランクイン(他は大都市圏のみ)だと言う。このことは、沖縄県内で凄まじい格差が存在することを意味している。同様に、県民平均所得は300万円台なのに、公務員の平均所得は700万円台等、これだけ民間と公務員の所得格差が大きいのも珍しいのではないか?本書ではそんな沖縄を、"公務員天国"と揶揄している。
これはつまり、米軍基地負担の見返りに沖縄県に交付される膨大な額の振興予算利権に群がる層(公務員、建設業者、インフラ業者、軍用地権者等)に富が一極集中し、それ以外の県民は貧困に喘いでいると言うことだ。しかも既得権益者はその利権をけっして手放そうとはしない(←尤も、既得権益者の富の独り占め~富の偏在は、日本の地方どころか、世界的な問題であると言える)。
かくて、公務員(県庁職員、市役所職員、教員)もコネ採用がまかり通り、一族郎党が公務員など、まるで世襲の職業になっているようだ。さらに軍用地権者は不労所得として年間数百万円を得、それを担保に不動産投資で資産を増やす一方で、底辺層*は貧窮に喘ぎ、我が子への教育もままならない状況が、全国でも突出した低学力県の原因となっているだけでなく、階層の固定化を促す要因となっていると言う。
*男女共に生涯未婚率が高く(←定職にも就けず、他県の自動車メーカーの季節労働従事と失業手当給付を繰り返して糊口を凌ぐ人も少なくないそうだ。貧し過ぎて結婚もできないと言うことか?)、結婚できたとしても離婚率が高く、シングルマザー世帯が多い。しかもシングルマザーの所得は全国平均を大幅に下回る低さなのに、子どもへの自治体の医療費負担率、認可保育園の割合も全国平均を下回っている。
ただし、こうした問題は沖縄県だけでなく、日本の「地方」では程度の差こそあれ、昔から何処にもあったものだと思う。地方では昔ながらの地主が土地の名士であり、企業城下町でない限り公務員が最も安定した就職先であり、「地方交付金(を当てにした公共事業)利権」と言うものが厳然と存在し、選挙結果に絶大な影響を及ぼして来たはずだ。そういう既得権益者が幅をきかせる地方で、不運にしてコネも金もない人は、才覚があっても、それを生かせる場は少なく、報われないことが多いと思う。
だったら、そういう不遇な人は生まれ故郷から飛び出して、都会に出て来れば良い。少なくとも地縁・血縁の弱さが、自分の不利に働くことはない。自分を知らない他人が殆どの中で、自分の生きたいように生きることができる。都会暮らしには、頼れる身寄りのない"孤独"と背中合わせながら、自らの責任で生じたわけでもない社会的格差から解き放たれた"自由"がある。
思うに、人生において最も不幸なことは、端から挑戦もできないことなのではないだろうか?その成否はともかく、自らの現状を変えるべく、自らの能力を信じて、何かにチャレンジする。硬直した地方の階級社会では公正な競争は望むべくもなく、そのチャレンジすら、さまざまなしがらみや既得権益者らによる妨害があって難しいのが実情だと思う。
逆に言うと、なぜ若者が故郷を捨てて出て行くのか、地方自治体は自らを省みるべきだろう。地元に残っている者の殆ど(←もちろん、全員とは言っていない。何らかの志を持って、敢えて地元に残ることを選択した人も、少数ながらいるのだろう)は、「地元での生活に何の不安もない既得権益者の子弟」か、「格差社会の現実を知ってチャレンジすることを諦め、現状に甘んじることを仕方なく受け入れた者」か、はたまた、「教育の効果・効用を知らずに育ち、自らの環境を変えるべく努力し、何かにチャレンジする発想すらなく、現状維持を良しとする底辺層」だろう。
ただし、以上のことは、震災の被災地等、特殊な事情を抱えた場所では、必ずしも当て嵌まらないのかもしれない。さらに言えば、地方出身者にしても都会出身者にしても、地元で活路を見出せないのであれば、そこを離れて、新天地でチャレンジすることが、その人の人生を変える契機になると言う意味では同じなのかもしれない。
生まれながらの環境が良くなければ、自分で変えるまでだ。それぐらいの気概がなければ、不遇の人間は不遇のまま、人生を終えてしまうことになると思う。

写真はチェスキークルムロフの川縁