はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

『ビリギャル』(2014、日本)

2015年05月05日 | 映画(今年公開の映画を中心に)


 「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」と言う長たらしい副題が付いている本作は、昨年から今年にかけてベストセラーとなっている実話ベースの本が原作だ。

 当初は正直、"必見!"とまでは思っていなかったのだが、たまたま某テレビ番組で著者の塾講師坪田氏が紹介されていたのを見て、その先生の人柄に興味を覚え、映画を見ることに決めた。

 番組で紹介されていた坪田氏は、とにかくユニークであった。一言で表現するならば、「人材育成に時間も金も惜しまない人」であった。

 現在は塾長を務めておられるようだが、まず講師陣の教育の為に、有名無名に関わらず「この人は一流だ」と坪田氏が思う人を講演者として招き、その費用だけでも年間一千万円をかけていると言う。坪田氏曰く、こうした一流人に共通するのは「腰の低さ」

 一流人であればあるほど、他人に対して偉ぶらない謙虚さが、深く印象に残ったと言う。結局、常に他者から学ぼうとする謙虚な姿勢が、人を一流にすると言うことなのだろうか?そもそも、他者との無用な摩擦は避けることが(もちろん、より高い成果を上げる為に建設的な議論は必要。これは摩擦とは呼ばないだろう)、仕事を円滑に進める為の要諦とも言える。仕事ができる人は、そのことをよく分かっているからこそ自重して、他者とも良好な関係を築くよう心がけているのかもしれない。
 
 また、現在は東大生と言う塾の卒業生二人を、一流ホテルのレストランに招いて豪華な夕食を振る舞う様子も、テレビには映し出されていた。ひとり当たりの金額が3万円近いコース料理である。これも、将来、社会の一線で活躍するであろう彼らへの期待を込めて、「この程度の料理を食べられるような立場の人間になれ」と言う、坪田氏なりの激励のようだ。

 こうした坪田流の人材育成の原点は、彼の母にあったと坪田氏は言う。幼い頃、けっして裕福な家庭ではなかったはずなのに、坪田氏の母は常に人と食事をする時は率先して驕ったらしい。母は訝る幼い坪田氏に、その理由をハッキリとは述べなかったが、「あなたもそうするように」と約束させたと言う。

 以来、坪田氏は母の教えを守り、結果的に、そうすることで人脈を広げて行ったようだ。

 さらに多忙な中、坪田氏は、時間があれば妻と行動を共にするよう心がけているらしく、出張にもできる限り妻を帯同させるらしい。そこには良き夫、良き家庭人としての坪田氏の一面が垣間見えた。

 そんな坪田氏が生きる上で最も重視しているのは、(彼の母が身を以て教えてくれた)他者との関わりを大切にすること、だと私は見た。馬鹿正直なくらい「性善説」を前提に人と接しているように見える。

 映画『ビリギャル』でも、その原理原則は一貫していて、中学から遊び惚けて成績も学年最下位となった主人公の女子高校生を、坪田先生はひたすら励まし、その可能性を信じてあげるのだ(劇中、迷う部分も見られるが…先生だって人間だもの・笑)。講師の坪田先生との信頼関係を築く中で、女子高校生も次第に自信を得て、ひたむきに受験勉強に取り組むようになる。

 ただし、ギャルとは言え、主人公の工藤さやか嬢には、野球バカで一人息子に執心の父親はともかく(←これはこれで、我が子の英才教育に血道を上げる親への警鐘とも取れて、物語の隠れたテーマにもなっている)、きちんと娘と向き合う愛情深い母親(←見方によっては、"モンスターペアレント"な、とんでもない母親ではあるが…)と、姉を慕う可愛くて素直な妹がおり、家庭に居場所がなく深夜徘徊を繰り返しているわけでもない。

 中学時代からつるんで夜遊びをしている友人達も、基本的にエスカレータ式で大学まで行けるお嬢様学校?の生徒だけあって、世間ずれしたところはない。

 ギャルはギャルでもお上品なギャルで、世間一般で言われるところの"ギャル"とはちょっと違うのだ。

 元々中学受験を突破するほどの、ある程度ポテンシャルを持った少女が、たまたま道が逸れていたのを、ひとりの塾講師との出会いをきっかけに軌道修正して、本気を出して受験勉強に取り組んだからこその、慶應義塾大学合格なのである。親も教育に理解があり、支援を惜しまない、家庭的にも恵まれた環境にある。よくよく考えれば、副題で言うほどの奇跡でも何でもない。

 しかし、坪田先生のような人との出会いは、ありそうでないのが現実である。強いて言えば、さやか嬢にとっては、坪田先生との出会いが奇跡であった。
 
 児童生徒の長所を見抜いて、その可能性を信じ、ひたすら励ます大人。そういう大人との出会いで、自分の可能性を信じて、未来に向かって頑張れるようになった子ども達はなんと幸せなことか。
 
 その意味で、多感な時期に、可能性に溢れた未来へと、教え導いてくれる人との出会いの大切さを、改めて思い知らされる作品である。子ども達の最も身近な存在である親も教師も、自身が担っている責任の大きさを、もっと自覚すべきなのかもしれない。

 
 薫風吹く「子どもの日boygirlに。


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