展覧会カタログです。ブルー地が鮮やか!
「文化・芸術」のカテゴリーとしましたが、別にたいそうなことは書きません。悪しからず。
以前、西美や新美の展覧会にご一緒したお礼に、ママ友のNさんから出光美術館で開催中の『没後50年 ルオー大回顧展』の招待券をいただいたので、今日夫と行って来ました。
表題にもあるように、今年は20世紀フランスを代表する宗教画家ジョルジュ・ルオーの没後50年に当たり、それに因んで世界有数のルオー・コレクション(400点以上)を誇る出光美術館が大回顧展を開催するに至ったようです。今回は油彩画を中心に、銅版画の連作群、珍しいところでは陶器の絵付、七宝焼、挿絵など、約230点の作品が一堂に会した展覧会となっています。
ルオーは一旦ステンドグラス職人となった後に国立美術学校へ入学し、画家の道を志した異色の経歴の持ち主です。彼の絵画作品の持ち味である黒々とした輪郭線は、彼のアーティストとしての出発点とも言うべきステンドグラスのそれを彷彿させます。実はこの太い輪郭線が、出光美術館の創設者である出光佐三氏との縁を結んだと言っても過言ではないでしょう。
ルオーの連作集《受難》の散逸を危惧した小林勇氏(岩波書店元会長)によって、その一括購入をもちかけられた当時、佐三氏は既に白内障で視力を失いかけていました。このため、ルオー作品を見る際にも大きな懐中電灯をかざし、顔を作品にくっつけんばかりに近接して、部分ごとに見るしかなかったようです。その佐三氏の視界に飛び込んで来たのは紛れもなく、色と色とを繋ぐ、その太い輪郭線でした。佐三氏はその時のことを、後年以下のように述懐しています。
「《受難》を見た瞬間、ルオーのこころとわたしのこころがぴしゃりときた。仙がい和尚の『指月布袋』を最初に見たときと全く同じですよ。因縁ですねえ…。キリストの顔がピューと太い線で書いてある。あれは日本画ですねえ。日本画の線です。さっそく引き取りましたよ」
鮮やかな色彩と太い輪郭線が特徴であるルオーの油彩画の作風に、佐三氏は一説には「日本の浮世絵のようだ」と語ったとか。いわゆる19世紀末~20世紀初頭のフランスにおける「ジャポニスム運動」の影響を見て取った、その慧眼が、ルオー渾身の作《受難》の散逸を防いだとも言えます。そのおかげで、後世の私たち美術ファンは、日本にいながらにしてルオー作品を堪能できるのです。これを至福と言わずして何と言いましょう!以下は今回の展示作品の中でも個人的に気に入った作品です。すべてカタログからの撮影です。
《女の顔》…夫の一番のお気に入り
《キリスト》…通称:青いキリスト。鮮やかな青と共に、珍しく描きこまれた円らな瞳が印象的
《連作受難2 聖顔》…目を閉じた表情の静謐さに引き込まれる
《連作版画ミセレーレより 母親に忌み嫌われる戦争》…そのタイトルに甚だ納得の一作
《連作版画ミセレーレより ”死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順なれば”》
…私が最も惹かれた作品。この作品に魅入っている間、左肩後方に"誰か"の存在を感じた。
今や画集だけでなく、テレビ、インターネットと、さまざまなメディアで目に触れることのできる美術作品ですが、作品のマチエール(材質的効果)を堪能できるのは、実際に美術館に足を運び、本物を目の前にしてこそ。特にその意味(効果)を実感できるのが、ルオー作品と言えるのかもしれません。油彩画の独特の色遣いとレリーフと見紛うばかりの絵の具の厚みには、ルオーの執念すら感じます(中期の作品では、スクレイパーにより絵の具を削り取ってはその上に描くを繰り返し、独特の質感を作り出しているものもある)。
今回初めて知ったのですが、彼のタブロー作品の殆どは直接カンヴァスに描かれたのではなく、紙の上に水彩、グワッシュ、パステル、油彩で描かれ、その後カンヴァスで裏打ちが施されているのですね。芸術愛好の大衆化に伴う複製芸術の勃興を反映してか、出版物への挿絵や版画もさまざまな技法を試みながら数多く手がけている。主題もけっして宗教画一辺倒ではなく、道化師、娼婦、裁判官、ブルジョワと言ったモチーフが繰り返し描かれている。また、宗教的主題を出発点としながらも、彼自身の戦争体験に基づく反戦思想を色濃く滲ませた連作版画《ミセレーレ》(Miserereとはラテン語で”憐れみ給え”の意)も。しかも作品すべてに一貫して、「神の御前で人間は謙虚であるべきだ」とのメッセージが読み取れ、彼の厚い信仰心が窺い知れて印象的。
今回の展覧会では、ルオー作品の意外なまでの多彩さと奥深さを知って、嬉しい驚きでした。主催者の言う「深遠なるルオーの作品世界」に甚だ納得の展覧会と言えるでしょうか。
会期は8月17日(日)まで。
「文化・芸術」のカテゴリーとしましたが、別にたいそうなことは書きません。悪しからず。
以前、西美や新美の展覧会にご一緒したお礼に、ママ友のNさんから出光美術館で開催中の『没後50年 ルオー大回顧展』の招待券をいただいたので、今日夫と行って来ました。
表題にもあるように、今年は20世紀フランスを代表する宗教画家ジョルジュ・ルオーの没後50年に当たり、それに因んで世界有数のルオー・コレクション(400点以上)を誇る出光美術館が大回顧展を開催するに至ったようです。今回は油彩画を中心に、銅版画の連作群、珍しいところでは陶器の絵付、七宝焼、挿絵など、約230点の作品が一堂に会した展覧会となっています。
ルオーは一旦ステンドグラス職人となった後に国立美術学校へ入学し、画家の道を志した異色の経歴の持ち主です。彼の絵画作品の持ち味である黒々とした輪郭線は、彼のアーティストとしての出発点とも言うべきステンドグラスのそれを彷彿させます。実はこの太い輪郭線が、出光美術館の創設者である出光佐三氏との縁を結んだと言っても過言ではないでしょう。
ルオーの連作集《受難》の散逸を危惧した小林勇氏(岩波書店元会長)によって、その一括購入をもちかけられた当時、佐三氏は既に白内障で視力を失いかけていました。このため、ルオー作品を見る際にも大きな懐中電灯をかざし、顔を作品にくっつけんばかりに近接して、部分ごとに見るしかなかったようです。その佐三氏の視界に飛び込んで来たのは紛れもなく、色と色とを繋ぐ、その太い輪郭線でした。佐三氏はその時のことを、後年以下のように述懐しています。
「《受難》を見た瞬間、ルオーのこころとわたしのこころがぴしゃりときた。仙がい和尚の『指月布袋』を最初に見たときと全く同じですよ。因縁ですねえ…。キリストの顔がピューと太い線で書いてある。あれは日本画ですねえ。日本画の線です。さっそく引き取りましたよ」
鮮やかな色彩と太い輪郭線が特徴であるルオーの油彩画の作風に、佐三氏は一説には「日本の浮世絵のようだ」と語ったとか。いわゆる19世紀末~20世紀初頭のフランスにおける「ジャポニスム運動」の影響を見て取った、その慧眼が、ルオー渾身の作《受難》の散逸を防いだとも言えます。そのおかげで、後世の私たち美術ファンは、日本にいながらにしてルオー作品を堪能できるのです。これを至福と言わずして何と言いましょう!以下は今回の展示作品の中でも個人的に気に入った作品です。すべてカタログからの撮影です。
《女の顔》…夫の一番のお気に入り
《キリスト》…通称:青いキリスト。鮮やかな青と共に、珍しく描きこまれた円らな瞳が印象的
《連作受難2 聖顔》…目を閉じた表情の静謐さに引き込まれる
《連作版画ミセレーレより 母親に忌み嫌われる戦争》…そのタイトルに甚だ納得の一作
《連作版画ミセレーレより ”死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順なれば”》
…私が最も惹かれた作品。この作品に魅入っている間、左肩後方に"誰か"の存在を感じた。
今や画集だけでなく、テレビ、インターネットと、さまざまなメディアで目に触れることのできる美術作品ですが、作品のマチエール(材質的効果)を堪能できるのは、実際に美術館に足を運び、本物を目の前にしてこそ。特にその意味(効果)を実感できるのが、ルオー作品と言えるのかもしれません。油彩画の独特の色遣いとレリーフと見紛うばかりの絵の具の厚みには、ルオーの執念すら感じます(中期の作品では、スクレイパーにより絵の具を削り取ってはその上に描くを繰り返し、独特の質感を作り出しているものもある)。
今回初めて知ったのですが、彼のタブロー作品の殆どは直接カンヴァスに描かれたのではなく、紙の上に水彩、グワッシュ、パステル、油彩で描かれ、その後カンヴァスで裏打ちが施されているのですね。芸術愛好の大衆化に伴う複製芸術の勃興を反映してか、出版物への挿絵や版画もさまざまな技法を試みながら数多く手がけている。主題もけっして宗教画一辺倒ではなく、道化師、娼婦、裁判官、ブルジョワと言ったモチーフが繰り返し描かれている。また、宗教的主題を出発点としながらも、彼自身の戦争体験に基づく反戦思想を色濃く滲ませた連作版画《ミセレーレ》(Miserereとはラテン語で”憐れみ給え”の意)も。しかも作品すべてに一貫して、「神の御前で人間は謙虚であるべきだ」とのメッセージが読み取れ、彼の厚い信仰心が窺い知れて印象的。
今回の展覧会では、ルオー作品の意外なまでの多彩さと奥深さを知って、嬉しい驚きでした。主催者の言う「深遠なるルオーの作品世界」に甚だ納得の展覧会と言えるでしょうか。
会期は8月17日(日)まで。