はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

全ての子どもに居場所を

2007年04月23日 | はなこのMEMO
 子育て中は、親同士の助け合い、情報交換が欠かせない。先日は中学の時のPTA役員活動を通じて親しくなった母親同士のランチ会に出席した。かつて中2、中1だった子供達も今では高2、高1である。自ずと自分達の時代とは全く変わってしまった大学入試についての話題が中心となったが、皆で一致した意見は、今の時代、子育てに頑張る親とそうでない親、教育熱心な親と無関心な親の二極化が顕著ではないか、ということだ。

 出席者のひとりが、ある少年院の院長の講演会を聞いたそうである。その講演の中で彼女を愕然とさせたのは、その少年院に入院している少年達を調査したところ、全員が物心ついた頃から自宅で朝ご飯を食べたことがない、という驚くべき事実だった。飢餓で苦しむ地でもなく、紛争地でもない日本で、子どもがまともな朝食も食べずに成長するとは一体どういうことか?

 近年、夜間に特に何をするわけでもなく、外でたむろする少年達の姿も目立つ。本来ならば自宅で家族と団らんしているか、そうでなくても自宅にいるべき時間に、彼らはなぜ外にいるのか?夜間に我が子が自宅にいなくても平気な親。せっかくお腹を痛めて産んだ子供(古めかしい表現だが、しかし事実だ)なのに、大事には思わないのか?私なんか、いつもより遅い時間まで息子が帰宅せず、連絡も取れなかったら、心配のあまり息子の友達の家に電話をかけまくるぞ。それでも分からなかったら、警察に通報するかもしれない。

 食事にしても、家庭の団らんにしても、子どもが家庭の中で大事な存在として位置づけられているか、家庭の中に子どもの居場所がちゃんとあるのか、ということを意味するものだ。そのどちらも当てはまらない子どもは、寂しい心を抱えて、自分の居場所を家庭の外に求めるしかないのではないか?その結果が非行であり、少年院なのではないか?

 この世に生を受けた子ども達が皆等しく、温かい愛情のもとに育って欲しい。子どもが欲しくてもなかなか授からず不妊治療を受けている人がこの日本には140万人もいる。一方で、せっかく授かった命をないがしろにする親がいるとは、なんという矛盾だろう。産んだからには、もちろん人によってできることは違うが、精一杯の愛情を親として注ぐべきだ。それが親になった者の義務だろう。たとえ不器用でも、けっして経済的に豊かでなくても、子どもに真摯に向き合う親の姿は、深い愛情として子どもに伝わるものだ。できるだけ多くの(できればすべての)親がそうすれば、きっと少年非行も激減するだろうに。
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