乃木坂の国立新美術館で開催中の『オルセー美術館展 印象派の誕生-描くことの自由-』を見て来た。
実はパリのオルセー美術館は、夫婦の銀婚式記念で、昨秋訪ねたばかりである。
私は新婚旅行で初めて訪れてから、フランスへは3度ほど渡航経験があるのだが、前回の旅で不愉快なことがあり、以来、20年近くご無沙汰だった。だから、2年間の改修工事を経て2011年にリニューアルオープンしたオルセー美術館も、実に20年ぶりの再訪であった。
前回訪問が20年前ということもあり、以前の記憶も朧気で、リニューアルと言っても、正直ピンと来なかったが、印象派の展示室の壁が深い藍色になったことで、印象派絵画の色彩が一層華やいで輝いて見えたのが印象的だった。それはあたかも、紺地のベルベッドのドレスが、バラ色の肌を引き立てるようなものだ。
後日、竹橋の国立近代美術館を訪ねたら、同じような藍色の壁になっていて、オルセー美術館に倣ったのかと思った。
今回は美術館の名を冠した展覧会の為、オルセー美術館の理事長ギィ・コジュヴァル氏自らが総括コミッショナーを務め、企画・運営を含め、(開催館である国立新美術館からもスタッフは出ているものの)オルセー主導で開催されているような印象がある。それだけに、オルセー側が明確な意図を持って、西洋美術におけるオルセー美術館のアイデンティティを、日本の美術ファンに表明しているようにも見える。
今回の展覧会の出品作品は84点。絵画のみである。「印象派の父」とも称されるエドゥアール・マネに始まり、マネに終わる9章構成となっている。
私個人にとっては、昨秋以来の再会作品もあれば、そうでない作品、初めて見る?作品もあった。
19世紀フランス近代美術作品を収蔵したオルセー美術館の、印象派以外の作品も過不足なく網羅して、展覧会のタイトルにもある"描くことの自由"と言うテーマに沿った、同時代を生きた画家達のきら星の如き個性が、館内を賑々しく彩っている。
実は、この"描くことの自由"こそが、19世紀の画家達が獲得した、画家のアイデンティティにも関わる重要なモチーフであり、19世紀フランス芸術を、西洋美術史上、重要な存在と位置づけていると言える。端的に言えば、19世紀以前と以後とでは、前者の画家は注文主の要望や各時代の需要(中世からルネサンスにかけての神話画・宗教画、17世紀の静物画、ヴァニタス画、風景画、18世紀の風俗画等)に応じて、その技量を存分に生かして絵を描く「職人」であり、後者は特にマネの登場以降、自らの欲するままに描きたいテーマを、描きたい手法で描く「芸術家」と、画家のアイデンティティが、自他共に明確に区分されることになるのだ(もっとも、どの時代にも、その枠組みから大きく外れた天才が存在するのだけれど)。
もちろん、それは後年になって言われたことで、19世紀当時は、旧来のアカデミスム派と、印象派を中心とする新興勢力とのせめぎ合いが繰り広げられていたのだろう。
個人的に特に面白いと思ったのは4章の「裸体」である。当時、主流であったアカデミズム派の画家アレクサンドル・カバネルの神話に取材した《ヴィーナスの誕生》や、ジュール・ルフェーヴルの寓意画としての《真理》が、古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻を彷彿とさせる理想美の女性の裸体を描いているのに対し、徹底したリアリズムを旨としたギュスターヴ・クールベは、《裸婦と犬》で、女性の身体にたっぷりとついた脂肪や黒く汚れた足裏など、容赦なくリアルに、その裸体を描いている。
鑑賞の途中、「クールベは裸婦を描くなら描くで、もう少し描きようがなかったのかしらね?」と言う、若い女性の声が聞こえて来た。あまりにも現実的な描写の女性の裸体に幻滅したのか、クールベの作風に不満げな口ぶりだった(←作品鑑賞の入口としては、その第一印象で良いのだと思う。そこから、なぜアカデミスムの画家達のような美しい裸体像をクールベは描かなかったのか、その理由まで自分なりに掘り下げて行けば、さらに鑑賞の面白さが広がるだろう。美術史は謎解きのようなものだから…)。
一方で、私はクールベの勇気に快哉を叫びたい気分だった。当時はまだ理想美の裸体像こそ芸術であるとの価値観が支配していた時代である。その価値観に敢えて抗い、独自の裸体像を描いて見せたクールベの気概に、彼の画家としての矜恃を感じて、私は感銘を受けたのだ。当時の人々もクールベ作品に嘲笑を浴びせたらしいが、今回の展覧会で、すぐ近くに展示されたアカデミスムの作家の作品の4分の一にも満たないこの小品に、私は強く心惹かれて、何度も立ち止まって見ずにはいられなかった(女性の裸体像で、クールベの写実主義の真骨頂と言えば、おそらく来日することはないであろう《世界の起源》だろう。あれは衝撃的である。どこまでリアルに描くのかの際限を知らない、画家の飽くなき好奇心と探求心には圧倒される)。
さらに展覧会解説でも言及しているように、当時のカバネルらの作品には、神話の名を借りて女性の官能性を表現するポルノグラフィックな側面があることも否めなかった。画壇デビュー以来、賛否両論を巻き起こすような作品を次々と描いた反骨精神溢れるレアリスト(写実主義者)クールベは、そう言うアカデミスム派の欺瞞に対しても、反旗を翻したかったのかもしれない。
結局、新しい芸術のうねりは、既存の価値観を疑うことから始まるのだと思う。そこには旧主派の抵抗もあり、直中にいる芸術家達は、「自分の進むべき道は正しいのだ」と言う根拠なき自信と、なかなか世に認められないことへの苦悩とのせめぎ合いの中で、作品を作り続けたのだろうか?時代の先端を行っているがゆえに、同時代の多くの人々には認めて貰えず、その評価は後の時代に高まるのが常である。今、こうしている間にも、次代の天才が産みの苦しみを味わっているのかもしれない。その作品の価値を、誰よりも先んじて認める慧眼を、一体どれだけの人間が持っているのだろう?
《夜》(1902-09、国立西洋美術館)
最近、彫刻家アリスティード・マイヨールについて調べる必要があって、彼に関する文献情報を読んだ。それによれば、彼は当初画家として出発し、途中タペストリーに傾注するなど紆余曲折を経て、40代で彫刻家を志したと言う。当時は近代彫刻の巨人、ロダンの作品が頂点とされていた時代だ。
ロダンの作品に見られるような躍動する筋肉の表現もなく、身体を不自然なまでに捻ったようなポーズでもない、マイヨール作品のつるんとした質感とシンプルなフォルムは、あまりにも個性的で、当初奇異の目で見られたらしい。ところが、そこに新しい時代の風を感じたのが、他ならぬロダンなのである。まさに「天才は天才を知る」のか、ロダンは生活に困窮するマイヨールの為に、パトロンまで紹介している。ロダン自身下積みが長く、遅咲きの作家だったからなのか、絵画のジャンルにおいて、印象派等の新興勢力に対して旧主派のアカデミスムが見せたような抵抗感が、ロダンにはなかったのが、正直なところ驚きである。
次いで面白かったのは、7章の「肖像」である。壁一面に並んだ、ほぼ同サイズの肖像画4点。弥が上にも比較しながら見てしまう。
旧来の手法に則った肖像画~カロリュス・デュラン《手袋の婦人》(←画家の妻がモデル)、レオン・ボナ《パスカ夫人》~は、人物に焦点が当たるよう、背景は単色塗りかせいぜい2色止まりで、一切の装飾も排しているのに対し、印象派のクロード・モネの《ゴーディベール夫人の肖像》やオーギュスト・ルノワールの《アルトマン夫人の肖像》は、丹念に背景が描き込まれている。
特に人物と背景の境界線が曖昧なルノワールの作品などは人物と背景とが渾然一体となって溶け込んだようにも見える。また、モネの作品は夫人の肖像でありながら、夫人は後方に視線を向け、顔がはっきりとは見えない。後年、モネは「(戸外の)人物を風景のように描きたい」と言って、人物を風景と同じ色の絵の具を使って表現したり、女性の顔を敢えて描かなかったりしている。
印象派の彼らにとっては、肖像画も人物そのものを描くと言うより、彼らが追い求める光、それに照射された色をいかにカンヴァス上で表現するかが、興味の中心にあるのだろう(そうだとしても、ルノワールの描く肖像画は、画家の人柄によるものなのか、その何れもが幸福感に溢れている)。ただし、モネの《ゴーディベール夫人の肖像》は彼が28歳頃の作品と比較的初期の作品で、色彩云々と言うのは強引すぎるのかもしれない。それでも人物の顔(表情)を敢えて描かないところに、後年の彼の拘りの片鱗を感じるのである(まあ、西洋絵画の肖像画には伝統的に横顔像<プロフィール>もあるのだけれど、当該作品は目さえ描いていない)。
他にも…
■若き日のモネが、マネの先行する作品にインスパイアされて描いたと言う、本邦初公開の《草上の昼食》(←払えない家賃のカタに大家に取られてしまった作品で、後年買い戻した時には一部が損傷してしまっていたと言う、笑えないエピソードも)
■死の床にある妻を描き、モネの画家魂を感じさせる《死の床のカミーユ》(←最愛の妻の今わの際さえも描く対象にするところに、画家の哀しき性と凄みを感じる)
■展覧会カタログの表紙を飾っているマネの《笛を吹く少年》(←彼に会うのはたぶん20年ぶり。ただただ懐かしい。マネの何が新しかったのか、この絵からも感じられるのが嬉しい)
■雪景色の中に小さく描かれた鳥がタイトルとなっているモネの《カササギ》(←結局、本作の主題は、明らかにタイトルのカササギではないと思うのだが、そのタイトルと描かれた題材との乖離に近代性を感じて、印象深い作品である。解説にも、「一面の雪景色も実は繊細な色遣いで雪が描き分けられている」旨の言及があった。改めて見ると、陽の光を浴びて目映いばかりの雪景色である。モネは、冬の晴れた日の雪景色の美しさを、カンンヴァスに描き止めたかったのだろうか?また、近世、西洋では女性の白い肌を際立たせる為に、わざと顔に付け黒子をする習慣があったと記憶しているが、同様に、本作におけるカササギの黒い点は、一面の雪景色の白さを強調する役割を担っていたのかな、とも思った。また、一般的に日本ではモネと言えば「睡蓮の画家」と言う印象が強いが、友人曰く、意外にも本国フランスの子ども達には、モネと言えば、「雪景色の作品」が想起されるらしい。季節や時間の移ろいの中で刻一刻と変化する風景と言う意味で、「睡蓮」に負けず劣らず「雪景色」も、モネの重要な創作のモチーフのひとつだったのだろう)
■若き詩人達を描いたアンリ・ファンタン=ラトゥールの集団肖像画《テーブルの片隅》(←向かって左から2番目のランボーなど、この作品を見て映画「太陽と月に背いて」(1995)にキャスティングしたのではないかと思えるほど、L・ディカプリオにそっくり!てんでバラバラな全員の視線の行く先も気になる)
■先だってブリジストン美術館で開催された『カイユボット展』では来日することのなかったギュスターブ・カイユボットの《床に鉋をかける人々》(←私には《床削り》と言う題名の方が馴染み深い。筋肉を躍動させながら黙々と床を削る男たちの姿が、端正な筆致で描かれている。リズミカルに鉋が床を削る音が、今にも聞こえてきそうな臨場感がある。お気に入りのひとつ!)
など、いろいろな意味で印象に残る作品が数多くあった。
ただひたすらに世に認められたいと切望して描き続けた画家達の野心と呻吟の痕跡とも言える作品群、究極的には描くことの喜び(←とどのつまり、生涯をかけて打ち込めるものに出会えた人は、どんな人生であっても幸福だったのではないか?)に溢れた作品群を、しばし堪能できて良かった。
もちろん、オルセーの作品群は、パリのオルセー美術館で見るのが鑑賞の王道なのだろうが、今回のような出張展覧会では、キューレーターが提示した"テーマに基づいて"、数あるコレクションの中から"作品が厳選され"、パリのオルセーとは"違った構成で展示される"。これにより鑑賞者は、各々の作品への新たな視点を提供される面白さがあると思う。パリのオルセーでは気付かなかった作品の魅力に、今回、改めて気付かされるかもしれない。さらに数が絞られているからこそ、一点一点をじっくり鑑賞できる楽しみもあると言える。
こうした超有名美術館の展覧会は混雑するのが常だが、会期前半の平日や、休日でも入館直後や閉館間際なら、ある程度混雑は避けられるはずだ。また、最近は美術館も混雑緩和の対応で開館時間を延長するケースが多く、本展覧会も午後8時まで開館の日が大幅に増えているようだ。公式HPでは当日の混雑状況もほぼリアルタイムに教えてくれているので、それも参考になるだろう。
因みに私は展覧会始まって最初の土曜日の開館30分前に美術館に到着したが、既に50人程の待ち行列が出来ていた。定刻に入場が開始されたが、時間の経過と共に入場者は増える一方だったので、朝一番に入館して正解だった。混雑はしていたものの、(中には入場時に行列が動くのに乗じて、どんどん前に割り込んで行く人もいたが…)入場者のマナーが比較的良く、見終わった方が快くスペースを譲って下さったので、全ての作品をちゃんと見られたのが嬉しかった。
混雑状況について
今回は、館内入り口に従来のA4サイズ大の作品リストに替えて、カラー刷りの小冊子が置かれている。その表紙には、セーヌ川縁に建つオルセー美術館を背景に、本展覧会の音声ガイドも担当した俳優の東出昌大の姿がある。作品リストの他に、東出君による見どころ案内や、第1回印象派展が開催された1847年当時の印象派と対立するアカデミスム派の画家達の「イラスト入り相関図」も収められた小冊子は携帯にも便利で、なかなか面白い趣向である。他にも、カフェで入手した『ミュージアム・カフェ・マガジン 7月号』も、本展覧会を特集していて、専門家らによるミニ解説は読み物としても面白いし、参考になった。
★美術館に行く前に、公式サイトは是非チェックしましょう!
『オルセー美術館展』公式サイト
実はパリのオルセー美術館は、夫婦の銀婚式記念で、昨秋訪ねたばかりである。
私は新婚旅行で初めて訪れてから、フランスへは3度ほど渡航経験があるのだが、前回の旅で不愉快なことがあり、以来、20年近くご無沙汰だった。だから、2年間の改修工事を経て2011年にリニューアルオープンしたオルセー美術館も、実に20年ぶりの再訪であった。
前回訪問が20年前ということもあり、以前の記憶も朧気で、リニューアルと言っても、正直ピンと来なかったが、印象派の展示室の壁が深い藍色になったことで、印象派絵画の色彩が一層華やいで輝いて見えたのが印象的だった。それはあたかも、紺地のベルベッドのドレスが、バラ色の肌を引き立てるようなものだ。
後日、竹橋の国立近代美術館を訪ねたら、同じような藍色の壁になっていて、オルセー美術館に倣ったのかと思った。
今回は美術館の名を冠した展覧会の為、オルセー美術館の理事長ギィ・コジュヴァル氏自らが総括コミッショナーを務め、企画・運営を含め、(開催館である国立新美術館からもスタッフは出ているものの)オルセー主導で開催されているような印象がある。それだけに、オルセー側が明確な意図を持って、西洋美術におけるオルセー美術館のアイデンティティを、日本の美術ファンに表明しているようにも見える。
今回の展覧会の出品作品は84点。絵画のみである。「印象派の父」とも称されるエドゥアール・マネに始まり、マネに終わる9章構成となっている。
私個人にとっては、昨秋以来の再会作品もあれば、そうでない作品、初めて見る?作品もあった。
19世紀フランス近代美術作品を収蔵したオルセー美術館の、印象派以外の作品も過不足なく網羅して、展覧会のタイトルにもある"描くことの自由"と言うテーマに沿った、同時代を生きた画家達のきら星の如き個性が、館内を賑々しく彩っている。
実は、この"描くことの自由"こそが、19世紀の画家達が獲得した、画家のアイデンティティにも関わる重要なモチーフであり、19世紀フランス芸術を、西洋美術史上、重要な存在と位置づけていると言える。端的に言えば、19世紀以前と以後とでは、前者の画家は注文主の要望や各時代の需要(中世からルネサンスにかけての神話画・宗教画、17世紀の静物画、ヴァニタス画、風景画、18世紀の風俗画等)に応じて、その技量を存分に生かして絵を描く「職人」であり、後者は特にマネの登場以降、自らの欲するままに描きたいテーマを、描きたい手法で描く「芸術家」と、画家のアイデンティティが、自他共に明確に区分されることになるのだ(もっとも、どの時代にも、その枠組みから大きく外れた天才が存在するのだけれど)。
もちろん、それは後年になって言われたことで、19世紀当時は、旧来のアカデミスム派と、印象派を中心とする新興勢力とのせめぎ合いが繰り広げられていたのだろう。
個人的に特に面白いと思ったのは4章の「裸体」である。当時、主流であったアカデミズム派の画家アレクサンドル・カバネルの神話に取材した《ヴィーナスの誕生》や、ジュール・ルフェーヴルの寓意画としての《真理》が、古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻を彷彿とさせる理想美の女性の裸体を描いているのに対し、徹底したリアリズムを旨としたギュスターヴ・クールベは、《裸婦と犬》で、女性の身体にたっぷりとついた脂肪や黒く汚れた足裏など、容赦なくリアルに、その裸体を描いている。
鑑賞の途中、「クールベは裸婦を描くなら描くで、もう少し描きようがなかったのかしらね?」と言う、若い女性の声が聞こえて来た。あまりにも現実的な描写の女性の裸体に幻滅したのか、クールベの作風に不満げな口ぶりだった(←作品鑑賞の入口としては、その第一印象で良いのだと思う。そこから、なぜアカデミスムの画家達のような美しい裸体像をクールベは描かなかったのか、その理由まで自分なりに掘り下げて行けば、さらに鑑賞の面白さが広がるだろう。美術史は謎解きのようなものだから…)。
一方で、私はクールベの勇気に快哉を叫びたい気分だった。当時はまだ理想美の裸体像こそ芸術であるとの価値観が支配していた時代である。その価値観に敢えて抗い、独自の裸体像を描いて見せたクールベの気概に、彼の画家としての矜恃を感じて、私は感銘を受けたのだ。当時の人々もクールベ作品に嘲笑を浴びせたらしいが、今回の展覧会で、すぐ近くに展示されたアカデミスムの作家の作品の4分の一にも満たないこの小品に、私は強く心惹かれて、何度も立ち止まって見ずにはいられなかった(女性の裸体像で、クールベの写実主義の真骨頂と言えば、おそらく来日することはないであろう《世界の起源》だろう。あれは衝撃的である。どこまでリアルに描くのかの際限を知らない、画家の飽くなき好奇心と探求心には圧倒される)。
さらに展覧会解説でも言及しているように、当時のカバネルらの作品には、神話の名を借りて女性の官能性を表現するポルノグラフィックな側面があることも否めなかった。画壇デビュー以来、賛否両論を巻き起こすような作品を次々と描いた反骨精神溢れるレアリスト(写実主義者)クールベは、そう言うアカデミスム派の欺瞞に対しても、反旗を翻したかったのかもしれない。
結局、新しい芸術のうねりは、既存の価値観を疑うことから始まるのだと思う。そこには旧主派の抵抗もあり、直中にいる芸術家達は、「自分の進むべき道は正しいのだ」と言う根拠なき自信と、なかなか世に認められないことへの苦悩とのせめぎ合いの中で、作品を作り続けたのだろうか?時代の先端を行っているがゆえに、同時代の多くの人々には認めて貰えず、その評価は後の時代に高まるのが常である。今、こうしている間にも、次代の天才が産みの苦しみを味わっているのかもしれない。その作品の価値を、誰よりも先んじて認める慧眼を、一体どれだけの人間が持っているのだろう?
《夜》(1902-09、国立西洋美術館)
最近、彫刻家アリスティード・マイヨールについて調べる必要があって、彼に関する文献情報を読んだ。それによれば、彼は当初画家として出発し、途中タペストリーに傾注するなど紆余曲折を経て、40代で彫刻家を志したと言う。当時は近代彫刻の巨人、ロダンの作品が頂点とされていた時代だ。
ロダンの作品に見られるような躍動する筋肉の表現もなく、身体を不自然なまでに捻ったようなポーズでもない、マイヨール作品のつるんとした質感とシンプルなフォルムは、あまりにも個性的で、当初奇異の目で見られたらしい。ところが、そこに新しい時代の風を感じたのが、他ならぬロダンなのである。まさに「天才は天才を知る」のか、ロダンは生活に困窮するマイヨールの為に、パトロンまで紹介している。ロダン自身下積みが長く、遅咲きの作家だったからなのか、絵画のジャンルにおいて、印象派等の新興勢力に対して旧主派のアカデミスムが見せたような抵抗感が、ロダンにはなかったのが、正直なところ驚きである。
次いで面白かったのは、7章の「肖像」である。壁一面に並んだ、ほぼ同サイズの肖像画4点。弥が上にも比較しながら見てしまう。
旧来の手法に則った肖像画~カロリュス・デュラン《手袋の婦人》(←画家の妻がモデル)、レオン・ボナ《パスカ夫人》~は、人物に焦点が当たるよう、背景は単色塗りかせいぜい2色止まりで、一切の装飾も排しているのに対し、印象派のクロード・モネの《ゴーディベール夫人の肖像》やオーギュスト・ルノワールの《アルトマン夫人の肖像》は、丹念に背景が描き込まれている。
特に人物と背景の境界線が曖昧なルノワールの作品などは人物と背景とが渾然一体となって溶け込んだようにも見える。また、モネの作品は夫人の肖像でありながら、夫人は後方に視線を向け、顔がはっきりとは見えない。後年、モネは「(戸外の)人物を風景のように描きたい」と言って、人物を風景と同じ色の絵の具を使って表現したり、女性の顔を敢えて描かなかったりしている。
印象派の彼らにとっては、肖像画も人物そのものを描くと言うより、彼らが追い求める光、それに照射された色をいかにカンヴァス上で表現するかが、興味の中心にあるのだろう(そうだとしても、ルノワールの描く肖像画は、画家の人柄によるものなのか、その何れもが幸福感に溢れている)。ただし、モネの《ゴーディベール夫人の肖像》は彼が28歳頃の作品と比較的初期の作品で、色彩云々と言うのは強引すぎるのかもしれない。それでも人物の顔(表情)を敢えて描かないところに、後年の彼の拘りの片鱗を感じるのである(まあ、西洋絵画の肖像画には伝統的に横顔像<プロフィール>もあるのだけれど、当該作品は目さえ描いていない)。
他にも…
■若き日のモネが、マネの先行する作品にインスパイアされて描いたと言う、本邦初公開の《草上の昼食》(←払えない家賃のカタに大家に取られてしまった作品で、後年買い戻した時には一部が損傷してしまっていたと言う、笑えないエピソードも)
■死の床にある妻を描き、モネの画家魂を感じさせる《死の床のカミーユ》(←最愛の妻の今わの際さえも描く対象にするところに、画家の哀しき性と凄みを感じる)
■展覧会カタログの表紙を飾っているマネの《笛を吹く少年》(←彼に会うのはたぶん20年ぶり。ただただ懐かしい。マネの何が新しかったのか、この絵からも感じられるのが嬉しい)
■雪景色の中に小さく描かれた鳥がタイトルとなっているモネの《カササギ》(←結局、本作の主題は、明らかにタイトルのカササギではないと思うのだが、そのタイトルと描かれた題材との乖離に近代性を感じて、印象深い作品である。解説にも、「一面の雪景色も実は繊細な色遣いで雪が描き分けられている」旨の言及があった。改めて見ると、陽の光を浴びて目映いばかりの雪景色である。モネは、冬の晴れた日の雪景色の美しさを、カンンヴァスに描き止めたかったのだろうか?また、近世、西洋では女性の白い肌を際立たせる為に、わざと顔に付け黒子をする習慣があったと記憶しているが、同様に、本作におけるカササギの黒い点は、一面の雪景色の白さを強調する役割を担っていたのかな、とも思った。また、一般的に日本ではモネと言えば「睡蓮の画家」と言う印象が強いが、友人曰く、意外にも本国フランスの子ども達には、モネと言えば、「雪景色の作品」が想起されるらしい。季節や時間の移ろいの中で刻一刻と変化する風景と言う意味で、「睡蓮」に負けず劣らず「雪景色」も、モネの重要な創作のモチーフのひとつだったのだろう)
■若き詩人達を描いたアンリ・ファンタン=ラトゥールの集団肖像画《テーブルの片隅》(←向かって左から2番目のランボーなど、この作品を見て映画「太陽と月に背いて」(1995)にキャスティングしたのではないかと思えるほど、L・ディカプリオにそっくり!てんでバラバラな全員の視線の行く先も気になる)
■先だってブリジストン美術館で開催された『カイユボット展』では来日することのなかったギュスターブ・カイユボットの《床に鉋をかける人々》(←私には《床削り》と言う題名の方が馴染み深い。筋肉を躍動させながら黙々と床を削る男たちの姿が、端正な筆致で描かれている。リズミカルに鉋が床を削る音が、今にも聞こえてきそうな臨場感がある。お気に入りのひとつ!)
など、いろいろな意味で印象に残る作品が数多くあった。
ただひたすらに世に認められたいと切望して描き続けた画家達の野心と呻吟の痕跡とも言える作品群、究極的には描くことの喜び(←とどのつまり、生涯をかけて打ち込めるものに出会えた人は、どんな人生であっても幸福だったのではないか?)に溢れた作品群を、しばし堪能できて良かった。
もちろん、オルセーの作品群は、パリのオルセー美術館で見るのが鑑賞の王道なのだろうが、今回のような出張展覧会では、キューレーターが提示した"テーマに基づいて"、数あるコレクションの中から"作品が厳選され"、パリのオルセーとは"違った構成で展示される"。これにより鑑賞者は、各々の作品への新たな視点を提供される面白さがあると思う。パリのオルセーでは気付かなかった作品の魅力に、今回、改めて気付かされるかもしれない。さらに数が絞られているからこそ、一点一点をじっくり鑑賞できる楽しみもあると言える。
こうした超有名美術館の展覧会は混雑するのが常だが、会期前半の平日や、休日でも入館直後や閉館間際なら、ある程度混雑は避けられるはずだ。また、最近は美術館も混雑緩和の対応で開館時間を延長するケースが多く、本展覧会も午後8時まで開館の日が大幅に増えているようだ。公式HPでは当日の混雑状況もほぼリアルタイムに教えてくれているので、それも参考になるだろう。
因みに私は展覧会始まって最初の土曜日の開館30分前に美術館に到着したが、既に50人程の待ち行列が出来ていた。定刻に入場が開始されたが、時間の経過と共に入場者は増える一方だったので、朝一番に入館して正解だった。混雑はしていたものの、(中には入場時に行列が動くのに乗じて、どんどん前に割り込んで行く人もいたが…)入場者のマナーが比較的良く、見終わった方が快くスペースを譲って下さったので、全ての作品をちゃんと見られたのが嬉しかった。
混雑状況について
今回は、館内入り口に従来のA4サイズ大の作品リストに替えて、カラー刷りの小冊子が置かれている。その表紙には、セーヌ川縁に建つオルセー美術館を背景に、本展覧会の音声ガイドも担当した俳優の東出昌大の姿がある。作品リストの他に、東出君による見どころ案内や、第1回印象派展が開催された1847年当時の印象派と対立するアカデミスム派の画家達の「イラスト入り相関図」も収められた小冊子は携帯にも便利で、なかなか面白い趣向である。他にも、カフェで入手した『ミュージアム・カフェ・マガジン 7月号』も、本展覧会を特集していて、専門家らによるミニ解説は読み物としても面白いし、参考になった。
★美術館に行く前に、公式サイトは是非チェックしましょう!
『オルセー美術館展』公式サイト