はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

「世界80カ国面白体験談」~ピーター・フランクル氏講演会

2006年07月10日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)


 息子の学校のPTAが主催する講演会に家族で出席した。講師は世界的な数学者にして大道芸人であるピーター・フランクル氏。氏の著作はこれまでに数冊読んだことがある。

 少し早めに会場に着いたら、受付の横に既に氏の姿があった。長テーブルの上に著作が平積みされ、それを自ら販売されていた。本を買った人と気さくに話をされている。その様子を少し離れた距離から見ていた私に氏が笑いかけられた。人懐こい笑顔。

 今回の講演会のテーマは旅の体験談だ。数ある著作の中からそれに因んだタイトルの本を私も購入することにした。『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』(増進会出版社)。

『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』表紙と、いただいたサイン
 購入した本にサインペンで私の名前(もちろん漢字で!)を書いていただいたのだが、「珍しいお名前(苗字)ですね」と氏に言われた。その時ちゃんと九州の出ですと言えば良いものを、いつになく舞い上がっていたのか、私は何も言えなかった。いやぁ~ねぇ、私ったら。な~に緊張してんだか(^_^;)。後で購入した著作に長崎の名を見つけて、あの時一言名前を出せば話が弾んだものを、と後悔しても後のまつり。

 さて開催の時間になった。いきなりジャグリング*が始まる。器用に棒やボールやボーリングのピン状の物を複数個、交互に空中に跳ね上げては受け取る、お手玉のような動作。まるで見えない糸で操られているかのように、様々な物たちが自由自在に氏の腕と空中とを行き来する。この記事を書くにあたり下調べにグーグルしたら、ジャグリングしている氏の写真を数多く目にした。そもそも数学者と大道芸人という取り合わせは意表を突く。何でも、人とのコミュニケーションのきっかけになればとパリの大学で数学の博士号を取得後、改めて故郷ハンガリーの学校で大道芸を学んだのだそうだ。(*:Juggling)

 どんな国に行っても数学者という肩書きを離れ、土地の人々と路上で気軽に触れあうのがピーター流旅行術。その潤滑油としての大道芸。氏にとっては”言葉”と同じ。何より肩書きに拘らない他者との交わりを大切にする姿勢は父親から学んだのだという(優れた人の陰に立派な親の存在あり、ですね)。地元の名医として高名だった氏の父は、相手が有名無名に関係なく、無学の友人とも分け隔てなく
付き合っていたという。それには、自分自身がたとえ成功者として名を馳せても、けっして驕り高ぶってはいけない、という自戒が込められていた。ユダヤ人で、先の大戦では多くの親族を収容所で失った父の口癖は
「人間の財産は唯一、頭と心だ」
心豊かに過ごすには、何より多くの人々との交流が大事なのだと、父は身を以て氏に示していたらしい。「そんな父を尊敬している」と、氏は何度も口にした。

If you are smart, why aren't you rich?
 そんな氏にとって、アメリカの価値観は相容れないもののようだ。氏は20代の頃に、6人のノーベル賞受賞者を輩出した高名なベル研究所で働いた経験があるという。その時の苦い経験を語ってくださった。職場恋愛が御法度だったこともあって、同僚に勧められるまま異性との出会いを求めて地元のバーに行った氏。そこでは必ず女性から
「ところで、あなたの車は何?」
と聞かれたそうだ。つまり、所有する車の種類で男性を値踏みするのだ。氏は肩をすくめて、その場を去るしかなかった。
「なぜなら、私は自転車で来ていたんです」
賢ければ金持ちのはずだ、という価値観。それは言い方を変えれば、「お金がないのは無能を意味する」。貧しいのは悪徳であり、自業自得だという冷徹な拝金主義。そうした価値観に馴染めずに、”憧れの資本主義国家アメリカ”(氏もかつてはそんな眼差しで見ていたらしい)から早々に氏は引き揚げたのだった。

(その2)へつづく…
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ピーター・フランクル氏講演... | トップ | 『佐賀のがばいばあちゃん』... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。