マレーシアの首相だったマハティール氏が思いがけず同国の首相に返り咲いた。辞任した首相が再び首相の座に就くことは稀有なことではない。日本の安倍晋三氏は2006年に日本国首相を任期途中で辞した。後でわかったことだが、病気だったという。病気から回復して2012年にふたたび首相に就任した。
しかし、マハティール氏の返り咲きは稀有な事である。安倍氏が最初の首相のポストを辞したのは53歳のときで、2度目の首相職に就いたのが58歳の時である。マハティールが20余年にわたってマレーシア首相を務めたのち首相のポストを明け渡したのは、日本風にいえば間もなく「傘寿」というすでに後期高齢者だった。今回、野党連合「パカタン・ハラパン(希望の連盟)」を率いて、独立以来マレーシアの連邦政府を独占してきたUMNO(統一マレー国民組織)を中心とした与党連合「国民戦線」に総選挙で勝利し、首相のポストについたとき、彼はすでに「卒寿」を過ぎていた。
セピア色になったフィルム写真の人物が突然色鮮やかなデジタル写真の人物に変貌した。驚愕に値する稀有な出来事である。それほどまでにUMNOによる政治にマレーシア国民は飽きていたのである。
と、同時に、マハティール氏の首相返り咲きは、マレーシアという国のディレンマも示している。マレーシアの政権党であるUMNOで頭角を現していたころ、マハティール氏は『マレー・ディレンマ』という本を書いたことがある。マレーシアのマレー系人口が社会的ステータスにおいて中国系マレーシア人に後れを取っていることを問題し、マレー系市民が中国系市民と肩を並べる社会的ステータスを獲得できるように、マレー系市民に対して優遇措置をとらねばならないと訴えた。いまように言えば「マレー・ファースト」の政策である。この本は政府によって発禁となり、マハティール氏はUMNOから追放された。
だが、マハティール氏はまもなくUMNOに復帰して、やげて首相となった。『マレー・ディレンマ』は発禁の書からマレーシア国民の必読書に代わった。首相時代のマハティール氏の強権的手法によるマレーシアの近代化路線や、UMNO内での主導権争いの数々や、首相の座に肉薄してきたアンワル・イブラヒム氏の追放劇など、長くなるのでここでは書かない。筆者が13年前に書いたマハティール氏の政治的評伝「誇りと偏見――マハティール 1981-2003」を読んで往時をふり返っていただきたい。
マレーシアの有権者の多くが、このところの経済の不調とUMNO政権の腐敗を嫌って、剛腕マハティール氏を呼び戻した。あるいは、マハティールを神輿に担げば、UMNOを倒せると野党連合の人々は考えたのであろう。つまりは、マハティールという名がまとっている名望が票になると考えたのである。これはアジアにおいては不思議なことではなく、マレーシアのナジブ・ラザク前首相はアブドゥラ・ラザク元首相の子で、シンガポールのリー・シェンロン首相はリー・クアンユー元首相の子、パク・クネ前韓国大統領はパク・チョンヒ元大統領の子だ。インドネシアのメガワティ元大統領はスカルノ初代大統領の子である。日本国の首相も、岸信介―安倍晋三、鳩山一郎―鳩山由紀夫、吉田茂―麻生太郎、福田赳夫―福田康夫と首相の座が親から子や孫にバトンタッチされてきた。
生活が以前より豊かになり、教育が普及し、勤労者に成果主義が押し付けられる時代になっても、能力の有無より名望によって政治権力者を選ぶというならいが変わらない不思議な社会がある。
今回、UMNOを主体にした政権連合「国民戦線」に対して、野党が終結して「希望の連盟」を組織し、マハティール氏を担いだ。だが、希望の連盟の有力なメンバーの人民正義党の党首ワン・アジサ氏はマハティールによって政治から追放されたため前面に出ることができないアンワル・イブラヒム氏の妻である。アンワルも隠れた人民正義党の指導者である。
アンワル氏は同性愛行為で有罪判決を受けて収監されているが、アンワル氏の支持者たちの間では、アンワル氏を政治から遠ざけるためのマハティール氏とナジブ前首相の陰謀との考え方が強い。マハティール氏はアンワル氏が恩赦を受ける日は遠くなく、恩赦によって政治に復帰できるようになれば、首相の座をアンワル氏に禅譲すると言って総選挙を戦った。
新たに政権を担う「希望の連盟」は人民正義党と、華人系人口に支持者が多い民主社会主義寄りの民主行動党やイスラム系の諸政党の多様なイデオロギーの集まりで、政権の先行きに金融市場は不安がっているが、政治は市場のためにやっているわけではない。
(2018.5.13 花崎泰雄)
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