娘が年頃になったころから、自然と父親は仕舞い風呂に。それまでは「働くお父さんが一番風呂」だったのが一転した。
といっても仕舞い風呂が嫌なわけではない。
家族が寝静まったころ、風呂をひとりじめできるのは気分がいい。もともと風呂ギライで。若い頃は何日も入らないなんてザラだった。それに入れば烏の行水だから、一番であろうと最後であろうと同じである。
考えて見れば一番風呂はそれほどいいことはない。まず「熱い!」水を足しての湯加減は面倒だし、程よい湯加減になるまで目は離せない。油断すると水風呂だ。寒い冬場は風呂を目の前に我慢を強いられる。その点、家族が入った後なら、熱すぎるなんてことはまずない。いい湯加減なのは決まっている。
定年退職してから、食事と風湯に呂を担当。妻や娘の帰宅時間に合わせて用意するが、沸きあがった湯に時々入る。家族に内緒の一番風呂は、やはり熱い!
最近の風呂事情は上記のごとし。
私が風呂ギライなのは、
天性の怠けもののせいもあるが、
五右衛門風呂に原因があるのも否めない。
子供頃の我が家は五右衛門風呂だった。
ずん胴になった鉄窯の大きいのがデーンと据えられて、
下のかまどで割木を燃やしていた。
鉄の底は熱くなるので、
足は直接つけられない。
木の底板に乗っかってずぶりと浸かるのだ。
釜一杯の水を沸かすのだが、時間がかかり、
これがかなり大変な仕事だった。
子供の私らも変わりばんこに
焚口で薪を継ぎ足したものだ。
いまみたいに浴室があるわけではない、
吹き晒し(?)といっていい土間だけに、
湧いた湯も冷めるのが早かった。
「おい、ぬるうなったど。焚いてくれ」
風呂に浸かる家族が呼べば、
すぐかまど番に走る。
なかなかわかないが、
風呂に入っている家族の顔を見ていれば、
いい湯加減に沸き上がったのが分かったものだ。(笑)
といっても仕舞い風呂が嫌なわけではない。
家族が寝静まったころ、風呂をひとりじめできるのは気分がいい。もともと風呂ギライで。若い頃は何日も入らないなんてザラだった。それに入れば烏の行水だから、一番であろうと最後であろうと同じである。
考えて見れば一番風呂はそれほどいいことはない。まず「熱い!」水を足しての湯加減は面倒だし、程よい湯加減になるまで目は離せない。油断すると水風呂だ。寒い冬場は風呂を目の前に我慢を強いられる。その点、家族が入った後なら、熱すぎるなんてことはまずない。いい湯加減なのは決まっている。
定年退職してから、食事と風湯に呂を担当。妻や娘の帰宅時間に合わせて用意するが、沸きあがった湯に時々入る。家族に内緒の一番風呂は、やはり熱い!
最近の風呂事情は上記のごとし。
私が風呂ギライなのは、
天性の怠けもののせいもあるが、
五右衛門風呂に原因があるのも否めない。
子供頃の我が家は五右衛門風呂だった。
ずん胴になった鉄窯の大きいのがデーンと据えられて、
下のかまどで割木を燃やしていた。
鉄の底は熱くなるので、
足は直接つけられない。
木の底板に乗っかってずぶりと浸かるのだ。
釜一杯の水を沸かすのだが、時間がかかり、
これがかなり大変な仕事だった。
子供の私らも変わりばんこに
焚口で薪を継ぎ足したものだ。
いまみたいに浴室があるわけではない、
吹き晒し(?)といっていい土間だけに、
湧いた湯も冷めるのが早かった。
「おい、ぬるうなったど。焚いてくれ」
風呂に浸かる家族が呼べば、
すぐかまど番に走る。
なかなかわかないが、
風呂に入っている家族の顔を見ていれば、
いい湯加減に沸き上がったのが分かったものだ。(笑)