こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

正月も盆も、ノルマノルマだった

2021年12月28日 04時53分48秒 | 日記
年末になると思い出す、
青年期の試練(?)
19歳で就職。
本を読むのが好きということで選んだのが書店。。
3年後に調理師専門学校へ。
卒業後はレストラン、郊外型飲食店、駅ビル内喫茶店、
喫茶店のマネージャー、独立して喫茶店オーナー、
兄弟の死でふるさとにUターン、
ふるさとでは弁当総菜製造会社へ、
最後にはマックバリューの鮮魚担当に。
なんと人生の大半を調理の世界で過ごしている。
自分で経営する場合を除くと、
各仕事にノルマが多かれ少なかれあった。
書店の場合は婦人誌新年号が、
各50~100冊有無を言わさず課せられた。
20代で内気な男性には気が遠くなる冊数だった。
店頭販売で20冊程度は何とか捌けても、
残る雑誌は自腹で購入。
当時住んでいた狭いアパートでカレンダーが付録の婦人誌を枕元に置いて寝たものだ。
当時発行されていたのは、
主婦の友、婦人倶楽部、主婦と生活、婦人生活で4大婦人雑誌と呼ばれていたっけ。
その4種類が正月だというのに、
独身男性の枕元に並んでいたのだ。(今考えれば異様だな。笑)
他に百科事典、学年雑誌の新学年号などなど結構ノルマのある仕事だった。
調理関係の仕事では、
正月のおせちのノルマがかなりきつかった。
客単価1万から3万のものを、
最低5個だから、とにかく売るしか逃げ道はなかった。
最初は自分で抱え込み、
正月からしばらくおせちを食いつづけたなんてことも。
ほかに節分の丸かじり巻きずし(10本から50本)、
土用の丑のうなぎのかば焼き、弁当にして最低10個……
自分で調理して、自分で消費するという笑い話。
人見知りする性格ながら、
懸命に売ったのは、その仕事が好きだったからに他ならない。
現場で働くのと同時に営業もというのが、つらかったのも本当だ。
考えてみれば、
自分が作ったり扱ったりするものを、
自信をもって売れるのは道理だよな。
それにしてもよく頑張ったと自分を褒めてやりたい。

来年はノルマの影はいっさいない正月を迎えられそうだ。
家族がコロナ禍で商品ノルマのない仕事に転職したせいである。(苦笑)
コメント
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