ゆらゆらゆ~らりゆるぎ岩
リューゴの住んでいる村は、豊かな山々に囲まれた盆地にあります。春、夏、秋、冬と季節が変わるたびに、いろんな表情を見せて楽しませてくれる、深い森がいっぱいの山々です。その山には、ズーッと昔からある神社とか、伝説の場所とかいろいろあるのです。
リューゴは山の中腹にある『ゆるぎ岩』が大好きでした。小さい頃から、お父さんにしょっちゅう連れて行って貰っています。お父さんは山歩きが大好きなのです。
リューゴは今年から小学一年生になりました。小さな胸がドキドキしっ放しだった入学式も終わって、リューゴがお母さんと家に帰ってくると、お父さんが待っていました。ニコニコしてリューゴを迎えてくれました。
「おめでとう。リューゴもやっと一年生になったんだな」
「うん。ぼく、一年生なんだ」
リューゴは得意そうに胸を張って言いました。
「よーし、それじゃ、あの約束を果たしてやろう」
「本当。じゃあ、服着がえてくるからね。待っててよ」
「ああ、いいよ」
お父さんはポンとリューゴの頭に手をやりました。
慌てて服を着がえたリューゴは、お父さんと一緒に山へ登りました。もちろん、『ゆるぎ岩』のある山です。でも、きょうはいつもとちょっと違って、楽しいことが待っています。そうですお父さんとの約束が実現するのです。一年生になったら(ゆるぎ岩をお父さんと一緒に揺すってみようか)との約束でした。
『ゆるぎ岩』は四メートルもありそうな、大きな岩がふたつ並んで寄り添っているのがそうです。ひとつは三角おにぎりみたいな形だけど、もうひとつの岩は随分不思議な形をしています。卵を縦に立てたのと同じで、いまにも倒れてしまいそうなぐらい根元が細いのです。でも、絶対倒れたりしません。
「さあ、リューゴ、よく見てろよ」
お父さんは『ゆるぎ岩』を前にして立つと、リューゴをチラッと見て言いました。
「うん」
リューゴはちょっぴり緊張気味で返事をします。
お父さんはパンパンとかしわ手を打って、さあいよいよです。お父さんは『ゆるぎ岩』の表面に描かれてある手形へ手を伸ばしていきます。白いペンキで輪かくだけの手形です。ペッタリとお父さんの手は手形に合わさりました。
「それ!」
お父さんは掛け声とともに『ゆるぎ岩』を押しました。
リューゴは固唾を呑んで『ゆるぎ岩』のてっぺんを見つめます。力いっぱい小さなコブシを握り締めました。
一回、二回、三回……お父さんは『ゆるぎ岩』を押し続けます。
「アッ!」
リューっが驚きの声を上げました。
「ゆれてるよ、ゆれてる…お父さん!ゆれてるよ」
リューゴはもう夢中で歓声を上げています。
お父さんはリューゴを振り返ると、ニヤリと笑いました。
「お父さん、今度はリューゴの番だよ。ちゃんと約束してたんだからね」
「ああ」
お父さんは大きく頷きました。
そうなんです。お父さんは去年の夏に約束してくれたのです。
「リューゴが一年生になったら、『ゆるぎ岩』を思いっきり押させてやるぞ!でも、ちゃんといい子にならないと、この岩は絶対に揺れてくれないからな。よーく覚えておけよ、忘れないように」
だから、リューゴは一生懸命に優しいいい子になろうと頑張って来たのです。
「この『ゆるぎ岩』には、お父さんがまだ子どもだったころよりズーッとズーッと昔から不思議な言い伝えがあるんだ」
約束をした日、お父さんはこう話しだしました。リューゴ化お父さんの目を見つめて真剣に聞きました。
「もう何千年も昔のことだ。とても偉いお坊さんがこの村にやって来たんだ。空海ってお坊さんだけどな、この村にとても不思議な力で、すごい奇跡をいろいろ与えてくれたんだ」
「へえ、不思議な力?奇跡って?どんな?」
リューゴは目を真ん丸に見開いて、お父さんをジーッと見つめたまま尋ねました。
(続く)
(1994年8月創作)
リューゴの住んでいる村は、豊かな山々に囲まれた盆地にあります。春、夏、秋、冬と季節が変わるたびに、いろんな表情を見せて楽しませてくれる、深い森がいっぱいの山々です。その山には、ズーッと昔からある神社とか、伝説の場所とかいろいろあるのです。
リューゴは山の中腹にある『ゆるぎ岩』が大好きでした。小さい頃から、お父さんにしょっちゅう連れて行って貰っています。お父さんは山歩きが大好きなのです。
リューゴは今年から小学一年生になりました。小さな胸がドキドキしっ放しだった入学式も終わって、リューゴがお母さんと家に帰ってくると、お父さんが待っていました。ニコニコしてリューゴを迎えてくれました。
「おめでとう。リューゴもやっと一年生になったんだな」
「うん。ぼく、一年生なんだ」
リューゴは得意そうに胸を張って言いました。
「よーし、それじゃ、あの約束を果たしてやろう」
「本当。じゃあ、服着がえてくるからね。待っててよ」
「ああ、いいよ」
お父さんはポンとリューゴの頭に手をやりました。
慌てて服を着がえたリューゴは、お父さんと一緒に山へ登りました。もちろん、『ゆるぎ岩』のある山です。でも、きょうはいつもとちょっと違って、楽しいことが待っています。そうですお父さんとの約束が実現するのです。一年生になったら(ゆるぎ岩をお父さんと一緒に揺すってみようか)との約束でした。
『ゆるぎ岩』は四メートルもありそうな、大きな岩がふたつ並んで寄り添っているのがそうです。ひとつは三角おにぎりみたいな形だけど、もうひとつの岩は随分不思議な形をしています。卵を縦に立てたのと同じで、いまにも倒れてしまいそうなぐらい根元が細いのです。でも、絶対倒れたりしません。
「さあ、リューゴ、よく見てろよ」
お父さんは『ゆるぎ岩』を前にして立つと、リューゴをチラッと見て言いました。
「うん」
リューゴはちょっぴり緊張気味で返事をします。
お父さんはパンパンとかしわ手を打って、さあいよいよです。お父さんは『ゆるぎ岩』の表面に描かれてある手形へ手を伸ばしていきます。白いペンキで輪かくだけの手形です。ペッタリとお父さんの手は手形に合わさりました。
「それ!」
お父さんは掛け声とともに『ゆるぎ岩』を押しました。
リューゴは固唾を呑んで『ゆるぎ岩』のてっぺんを見つめます。力いっぱい小さなコブシを握り締めました。
一回、二回、三回……お父さんは『ゆるぎ岩』を押し続けます。
「アッ!」
リューっが驚きの声を上げました。
「ゆれてるよ、ゆれてる…お父さん!ゆれてるよ」
リューゴはもう夢中で歓声を上げています。
お父さんはリューゴを振り返ると、ニヤリと笑いました。
「お父さん、今度はリューゴの番だよ。ちゃんと約束してたんだからね」
「ああ」
お父さんは大きく頷きました。
そうなんです。お父さんは去年の夏に約束してくれたのです。
「リューゴが一年生になったら、『ゆるぎ岩』を思いっきり押させてやるぞ!でも、ちゃんといい子にならないと、この岩は絶対に揺れてくれないからな。よーく覚えておけよ、忘れないように」
だから、リューゴは一生懸命に優しいいい子になろうと頑張って来たのです。
「この『ゆるぎ岩』には、お父さんがまだ子どもだったころよりズーッとズーッと昔から不思議な言い伝えがあるんだ」
約束をした日、お父さんはこう話しだしました。リューゴ化お父さんの目を見つめて真剣に聞きました。
「もう何千年も昔のことだ。とても偉いお坊さんがこの村にやって来たんだ。空海ってお坊さんだけどな、この村にとても不思議な力で、すごい奇跡をいろいろ与えてくれたんだ」
「へえ、不思議な力?奇跡って?どんな?」
リューゴは目を真ん丸に見開いて、お父さんをジーッと見つめたまま尋ねました。
(続く)
(1994年8月創作)
周囲の好意
「もう限界だな、店を閉めよう」
夫の沈痛な言葉に頷くしかなかった私です。
夫がこの店を始めて一年後に私と結婚、以来八年間夫婦が手を携えて切り盛りして来た愛着の深い店を閉めてしまう話では明るくなれるはずもありません。
夫の体調不安、店の経営不振、三人目の赤ん坊誕生……と正に身動きの取れない状態にありました。これ以上店を続けることは、何か大きな犠牲を強いられるところまで来ていたのです。一年以上も続いた夫婦の話し合い。その結果が夫の言葉に集約されていました。
「またいつか頑張ればいいわよ。私たち若いんだから、ねっ」
夫を元気付けながら目が潤んで来た私です。
後片付けに一か月ぐらいかかり、私たち家族は失意のまま夫の実家を頼りました。三人の子どもを抱え、収入源を失った私たちに他の道は許されなかったのです。蓄えだってそうある訳ではなく、、実家の世話になるのが一番の方法でした。
実家の納屋を何とか住めるようにして貰い、住むところだけはやっと確保できたので、今度は生活費の目処を立てなければいけません。
まだ体調の回復していない夫は、実家の家業を手伝いながら、子育てをやって貰うことにして、私は保母として働くことにしました。
「済まんなあ、男の俺が、こんなザマで……」
夫は私の前に頭を下げました。自信いっぱいに生きて来た夫に、今回のことは相当こたえたようです。夫の目は涙で光っていました。
でも私は夫を信頼しきっていたのです。こんなことで落ち込んだままになってしまう夫ではないと確信を持っていました。
「八年間、家族のために身を粉にして働いて来たんだから、神様が休めるようにしてくれたと思えば気が楽よ。しばらくは私が交代して頑張るから、早く体調を取り戻してね」
夫は私の言葉に素直に頷きました。
結婚する直前まで保母をやっていた私ですが、八年ぶりの現場復帰とあって、仕事のリズムを取り戻すまで、大変な苦労!朝六時半には家を出て夜九時過ぎに帰り着くという毎日も、相当身にこたえ、クタクタになる始末です。
「無理するなよ。身体こわしたら元も子もないからな。しんどかったら休んだらええ。収入が減ったかて、家族の心さえしっかりしとったら持ちこたえられるんや!」
夫は私の足をさすってくれながら励ましてくれました。
「当たり前のことや。嫁はん働いとったら、亭主がその分カバーせな、夫婦やあらへん」
それまでやったことのない家事と育児にてんてこまいしながらも弱音を見せまいとする夫の姿に、私はどれだけ励まされたことでしょう」
先行きを考えると暗く落ち込みがちの私を明るくさせてくれたのは子どもたちです。すでに物事が分かりかけた長女と長男は、私の悪戦苦闘ぶりを見て、彼らなりの方法で手助けをしてくれました。それに「あれが欲しい!」「これが欲しい!」と困らせることなんか全くありません。親の苦境を目の前に、自然と我慢を覚えてくれたに違いありません。
「ごめんね、もう少し我慢してちょうだい。一生懸命頑張って、君たちの欲しいものを買えるようになるからね」私は子どもの顔を見るたびに、胸の中でそう繰り返していました。
子どもたちには、父親が他のお父さんみたいに働けない理由も、ちゃんと話して聞かせました。
「お父さんは、今まで大変なお仕事してたんだから、少し休んで貰うんだよね」
長男は進んで夫の手助けをするようになり、長女は洗濯物の片付けや赤ん坊の面倒を見るのが、自分の仕事なんだと思ってくれたので、夫の家事、育児の負担も少し軽くなったのです。それも、みんないい子を授かったおかげです。
「俺たちには勿体ない子どもたちだよ。あいつらのためにも頑張らなきゃな」
「うん!みんな揃ってれば頑張れるよ」
私たち夫婦は決意を新たにしたのです。
また夫の両親や兄弟のみんなに、手を差しのべて貰い、実家の畑で取れる野菜や米をよく頂きました。食べ盛りの子どもたちを抱えているので大助かりです。
「うちの息子の甲斐性がないで、嫁さんに迷惑ばっかりかけてしもうて申し訳あらへんが」
顔をあわすたびに夫の両親は頭を下げられますが、夫婦が共に手を取り合って来た八年間の結果は、どちらの責任と極めつけられるものではありません。あえて言うなら夫婦ともに責任を負うべきものなのですから。
この四月でようやく一年過ぎました。相変わらず貧乏な経済状態のままですが、長女が新一年生に、長男は幼稚園にと順調に育ちました。夫も再び体調を取り戻し、自分に合った仕事探しを始めました。わが家にも着実に春がやって来てくれている感じが強くします。
私自身も臨時保母の契約が四月で切れ、(さて、どうしようかな?)と思いかけた矢先に、精薄児施設の保母の話が来ました。実はその仕事は若い頃からの夢だったのです。夫の励ましも受け、その仕事を引き受けることに決めました。
私の夢とともに、わが家はもう一度浮上しようとしているのです。
(1991年2月掲載)
「もう限界だな、店を閉めよう」
夫の沈痛な言葉に頷くしかなかった私です。
夫がこの店を始めて一年後に私と結婚、以来八年間夫婦が手を携えて切り盛りして来た愛着の深い店を閉めてしまう話では明るくなれるはずもありません。
夫の体調不安、店の経営不振、三人目の赤ん坊誕生……と正に身動きの取れない状態にありました。これ以上店を続けることは、何か大きな犠牲を強いられるところまで来ていたのです。一年以上も続いた夫婦の話し合い。その結果が夫の言葉に集約されていました。
「またいつか頑張ればいいわよ。私たち若いんだから、ねっ」
夫を元気付けながら目が潤んで来た私です。
後片付けに一か月ぐらいかかり、私たち家族は失意のまま夫の実家を頼りました。三人の子どもを抱え、収入源を失った私たちに他の道は許されなかったのです。蓄えだってそうある訳ではなく、、実家の世話になるのが一番の方法でした。
実家の納屋を何とか住めるようにして貰い、住むところだけはやっと確保できたので、今度は生活費の目処を立てなければいけません。
まだ体調の回復していない夫は、実家の家業を手伝いながら、子育てをやって貰うことにして、私は保母として働くことにしました。
「済まんなあ、男の俺が、こんなザマで……」
夫は私の前に頭を下げました。自信いっぱいに生きて来た夫に、今回のことは相当こたえたようです。夫の目は涙で光っていました。
でも私は夫を信頼しきっていたのです。こんなことで落ち込んだままになってしまう夫ではないと確信を持っていました。
「八年間、家族のために身を粉にして働いて来たんだから、神様が休めるようにしてくれたと思えば気が楽よ。しばらくは私が交代して頑張るから、早く体調を取り戻してね」
夫は私の言葉に素直に頷きました。
結婚する直前まで保母をやっていた私ですが、八年ぶりの現場復帰とあって、仕事のリズムを取り戻すまで、大変な苦労!朝六時半には家を出て夜九時過ぎに帰り着くという毎日も、相当身にこたえ、クタクタになる始末です。
「無理するなよ。身体こわしたら元も子もないからな。しんどかったら休んだらええ。収入が減ったかて、家族の心さえしっかりしとったら持ちこたえられるんや!」
夫は私の足をさすってくれながら励ましてくれました。
「当たり前のことや。嫁はん働いとったら、亭主がその分カバーせな、夫婦やあらへん」
それまでやったことのない家事と育児にてんてこまいしながらも弱音を見せまいとする夫の姿に、私はどれだけ励まされたことでしょう」
先行きを考えると暗く落ち込みがちの私を明るくさせてくれたのは子どもたちです。すでに物事が分かりかけた長女と長男は、私の悪戦苦闘ぶりを見て、彼らなりの方法で手助けをしてくれました。それに「あれが欲しい!」「これが欲しい!」と困らせることなんか全くありません。親の苦境を目の前に、自然と我慢を覚えてくれたに違いありません。
「ごめんね、もう少し我慢してちょうだい。一生懸命頑張って、君たちの欲しいものを買えるようになるからね」私は子どもの顔を見るたびに、胸の中でそう繰り返していました。
子どもたちには、父親が他のお父さんみたいに働けない理由も、ちゃんと話して聞かせました。
「お父さんは、今まで大変なお仕事してたんだから、少し休んで貰うんだよね」
長男は進んで夫の手助けをするようになり、長女は洗濯物の片付けや赤ん坊の面倒を見るのが、自分の仕事なんだと思ってくれたので、夫の家事、育児の負担も少し軽くなったのです。それも、みんないい子を授かったおかげです。
「俺たちには勿体ない子どもたちだよ。あいつらのためにも頑張らなきゃな」
「うん!みんな揃ってれば頑張れるよ」
私たち夫婦は決意を新たにしたのです。
また夫の両親や兄弟のみんなに、手を差しのべて貰い、実家の畑で取れる野菜や米をよく頂きました。食べ盛りの子どもたちを抱えているので大助かりです。
「うちの息子の甲斐性がないで、嫁さんに迷惑ばっかりかけてしもうて申し訳あらへんが」
顔をあわすたびに夫の両親は頭を下げられますが、夫婦が共に手を取り合って来た八年間の結果は、どちらの責任と極めつけられるものではありません。あえて言うなら夫婦ともに責任を負うべきものなのですから。
この四月でようやく一年過ぎました。相変わらず貧乏な経済状態のままですが、長女が新一年生に、長男は幼稚園にと順調に育ちました。夫も再び体調を取り戻し、自分に合った仕事探しを始めました。わが家にも着実に春がやって来てくれている感じが強くします。
私自身も臨時保母の契約が四月で切れ、(さて、どうしようかな?)と思いかけた矢先に、精薄児施設の保母の話が来ました。実はその仕事は若い頃からの夢だったのです。夫の励ましも受け、その仕事を引き受けることに決めました。
私の夢とともに、わが家はもう一度浮上しようとしているのです。
(1991年2月掲載)
挫折からの挑戦
多感な高校時代。希望に胸ふくらませて入学した普通高校を、ある事件を起こして中途退学を余儀なくされた。このことで刻み込まれた挫折感は、改めて受験し直して通学するようになったS工業高校にまで尾を引くはめになった。
クラスメートは一年後輩ばかりで、まるで落第生気分だった。それに学びたくて選んだ電気科ではなかったことも禍した。将来大学へ進みたいという夢を捨てざるを得ない工業高校生活に、何も希望を見出せない状態だった。
興味のない科目は全く勉強する意欲も湧かず、特に電気専門科目は最悪だった。いつも赤点スレスレの成績だったが、それをどうこうする気にもならない自分のだらしなさを持て余す毎日だった。
私は自分の殻に閉じ籠りがちになった。とにかく誰に対しても心を開かなくなった。クラスで浮き上がった存在になってしまったのは仕方のないことだった。
ある日、国語の教科担任だったT先生が私を呼び出した。何を叱られるのかとオズオズしながら職員室に顔を出す私を、意外にもT先生はにこやかに迎えてくれた。
「君を地区弁論大会の本校の代表選手にと思ってね」
予想もしないことだった。私は狼狽したが、結局、渋々ながら頷いた。
T先生の指導で始まった放課後の練習も、私のやる気をなかなか燃え上がらせなかったが、T先生は我慢強かった。
「住職の家に生まれて揉まれてんのや。少々のことには動じへんわな」
と、授業でよく口にしたT先生は、それを実行していった。そして、決して絶やさない笑顔は、しだいに私との距離感を縮めた。弁論のやり方、進め方から、アクセントの矯正に発声訓練等々……。T先生の指導は本格的だった。
「ボクなあ、昔、大学の弁論部に入りたかったんやけど、気が弱うて結局あきらめてしもうたんや。そんなボクの分も君に頑張って貰うで」
そんな冗談口を叩くT先生に、いつしか私は笑顔で応じていた。そして弁論の原稿は、T先生の助言で、いま自分が最も欲しいと願う『友情』について、本音を吐露したものになった。毎日が孤独だったせいで、『友達』と『友情』が高校生活においてどんなに大切な意味を持つものなのか、私は切実に感じ取っていた。
それでも、練習が進む中、不安が募り弱気を生じ止めたくなったときがあった。そんな私の気配を敏感に感じ取ったT先生は、珍しく真剣な表情を作って私と向き合った。
「もうちょっとやのに、いま止めたら何もならへんやないか。人間、挫折は一番簡単に出来るこっちゃ。それは君ならよう知ってるはずや。簡単に出来るもんは後回しにしい。ゴールした後の結果で決めたかて遅うないで。そやろ?大体、君を臆病にしてるもんて何やねん。長い人生から見たらチッポケなもんや。そんなもんに拘ってたら、あかん。君はまだまだ希望に溢れた年齢を生きとるんやから」
その時、私は初めて悟った。T先生が私の過去を知っていることを。ただT先生は、その過去にひと言も直接触れることはしなかった。ポンと肩を叩いてニコッと笑顔を見せるだけだった。それがT先生の優しさだった。
「ボクなぁ、君の素直さに賭けとるんやで」
私の耳に先生の言葉はとても温かく響いた。
加印地区(兵庫県加古川市周辺)青少年防犯弁論大会高校生の部に出場した私は、予期もせぬ二位入賞、続く東播磨地区大会の代表になった。
T先生はまるで我がことのように喜んでくれた。
「そら見てみい、やったやないか。先生が言うたとおりやろが。君は、やったら出来る生徒なんや。自信持たなあかん。昔のことなんかより、今や、今がいっちゃん(一番)大事なんやからな。それを証明したやないか」
「はい」
私は工業高校に進んでから初めて素直に喜びを表現した。胸のうちの嬉しさは」、隠しようがないくらい大きいものだった。
東播磨地区大会もT先生との二人三脚で参加した。三位入賞したが、県大会の代表から外れて、弁論大会へのチャレンジは終わった。それはT先生の人間味あふれた教えとの別れでもあった。
「先生、力いっぱいやったんやけど……」
「うん」
T先生は私の両肩に手を置いて頷いた。
「よう頑張ったやないか、齋藤くん。これで君はS工業高校の堂々たるひとりの生徒や。何も恥じることはないんやからな」
T先生の言葉を私は面映ゆい思いで聞いた。
「そいでもな、国語だけやのうて、他の科目も勉強せなあかんで。担任のA先生も、君が落第せえへんか心配してる。ボクもA先生も、一年遅れでもやり直そうと本校に入って来た君に、何かきっかけを探したろ思うてたんや」
私は言葉を失った。誰からも疎外されてると思っていじけていたのに、ちゃんと私を気にかけていてくれた先生たちがいた、二人も!
T先生に感謝の言葉をと思ったが、胸が熱くなってどうしようもなくなった。頭を下げたまま、込み上げてくるものを必死に堪えるのが精一杯だった。頑張らなきゃ!と思った。
翌年、T先生は他校に移られたが、先生と二人三脚で目指した弁論大会の体験を通じて得た自信は、私を大きく変え、私の心はもう揺らがなかった。T先生の教えと優しさのおかげだった。
多感な高校時代。希望に胸ふくらませて入学した普通高校を、ある事件を起こして中途退学を余儀なくされた。このことで刻み込まれた挫折感は、改めて受験し直して通学するようになったS工業高校にまで尾を引くはめになった。
クラスメートは一年後輩ばかりで、まるで落第生気分だった。それに学びたくて選んだ電気科ではなかったことも禍した。将来大学へ進みたいという夢を捨てざるを得ない工業高校生活に、何も希望を見出せない状態だった。
興味のない科目は全く勉強する意欲も湧かず、特に電気専門科目は最悪だった。いつも赤点スレスレの成績だったが、それをどうこうする気にもならない自分のだらしなさを持て余す毎日だった。
私は自分の殻に閉じ籠りがちになった。とにかく誰に対しても心を開かなくなった。クラスで浮き上がった存在になってしまったのは仕方のないことだった。
ある日、国語の教科担任だったT先生が私を呼び出した。何を叱られるのかとオズオズしながら職員室に顔を出す私を、意外にもT先生はにこやかに迎えてくれた。
「君を地区弁論大会の本校の代表選手にと思ってね」
予想もしないことだった。私は狼狽したが、結局、渋々ながら頷いた。
T先生の指導で始まった放課後の練習も、私のやる気をなかなか燃え上がらせなかったが、T先生は我慢強かった。
「住職の家に生まれて揉まれてんのや。少々のことには動じへんわな」
と、授業でよく口にしたT先生は、それを実行していった。そして、決して絶やさない笑顔は、しだいに私との距離感を縮めた。弁論のやり方、進め方から、アクセントの矯正に発声訓練等々……。T先生の指導は本格的だった。
「ボクなあ、昔、大学の弁論部に入りたかったんやけど、気が弱うて結局あきらめてしもうたんや。そんなボクの分も君に頑張って貰うで」
そんな冗談口を叩くT先生に、いつしか私は笑顔で応じていた。そして弁論の原稿は、T先生の助言で、いま自分が最も欲しいと願う『友情』について、本音を吐露したものになった。毎日が孤独だったせいで、『友達』と『友情』が高校生活においてどんなに大切な意味を持つものなのか、私は切実に感じ取っていた。
それでも、練習が進む中、不安が募り弱気を生じ止めたくなったときがあった。そんな私の気配を敏感に感じ取ったT先生は、珍しく真剣な表情を作って私と向き合った。
「もうちょっとやのに、いま止めたら何もならへんやないか。人間、挫折は一番簡単に出来るこっちゃ。それは君ならよう知ってるはずや。簡単に出来るもんは後回しにしい。ゴールした後の結果で決めたかて遅うないで。そやろ?大体、君を臆病にしてるもんて何やねん。長い人生から見たらチッポケなもんや。そんなもんに拘ってたら、あかん。君はまだまだ希望に溢れた年齢を生きとるんやから」
その時、私は初めて悟った。T先生が私の過去を知っていることを。ただT先生は、その過去にひと言も直接触れることはしなかった。ポンと肩を叩いてニコッと笑顔を見せるだけだった。それがT先生の優しさだった。
「ボクなぁ、君の素直さに賭けとるんやで」
私の耳に先生の言葉はとても温かく響いた。
加印地区(兵庫県加古川市周辺)青少年防犯弁論大会高校生の部に出場した私は、予期もせぬ二位入賞、続く東播磨地区大会の代表になった。
T先生はまるで我がことのように喜んでくれた。
「そら見てみい、やったやないか。先生が言うたとおりやろが。君は、やったら出来る生徒なんや。自信持たなあかん。昔のことなんかより、今や、今がいっちゃん(一番)大事なんやからな。それを証明したやないか」
「はい」
私は工業高校に進んでから初めて素直に喜びを表現した。胸のうちの嬉しさは」、隠しようがないくらい大きいものだった。
東播磨地区大会もT先生との二人三脚で参加した。三位入賞したが、県大会の代表から外れて、弁論大会へのチャレンジは終わった。それはT先生の人間味あふれた教えとの別れでもあった。
「先生、力いっぱいやったんやけど……」
「うん」
T先生は私の両肩に手を置いて頷いた。
「よう頑張ったやないか、齋藤くん。これで君はS工業高校の堂々たるひとりの生徒や。何も恥じることはないんやからな」
T先生の言葉を私は面映ゆい思いで聞いた。
「そいでもな、国語だけやのうて、他の科目も勉強せなあかんで。担任のA先生も、君が落第せえへんか心配してる。ボクもA先生も、一年遅れでもやり直そうと本校に入って来た君に、何かきっかけを探したろ思うてたんや」
私は言葉を失った。誰からも疎外されてると思っていじけていたのに、ちゃんと私を気にかけていてくれた先生たちがいた、二人も!
T先生に感謝の言葉をと思ったが、胸が熱くなってどうしようもなくなった。頭を下げたまま、込み上げてくるものを必死に堪えるのが精一杯だった。頑張らなきゃ!と思った。
翌年、T先生は他校に移られたが、先生と二人三脚で目指した弁論大会の体験を通じて得た自信は、私を大きく変え、私の心はもう揺らがなかった。T先生の教えと優しさのおかげだった。
父
父であることは
さほど
難しくはありません
それでもー
結婚を決めた
娘に
ニコニコと
笑顔で頷いてやった
それでもー
父であると
自信を
取り戻すための
時間は
もうほとんどありません
それでもー
父であることは
さほど
難しくはありません
それでもー
結婚を決めた
娘に
ニコニコと
笑顔で頷いてやった
それでもー
父であると
自信を
取り戻すための
時間は
もうほとんどありません
それでもー
太吉が長男の忠行の事故死で受けたショックから解放されるまで一年以上かかった。良一は仕事を終えると毎日太吉の様子を見るために家に通った。憔悴しきった叔父を見る度に居たたまれなくなったが。それでも良一は通い続けた。太吉は実の父親以上の存在だったのだ。その叔父がくるしんでいるのを見て見ぬふりなど出来なかった。
太吉がショックから脱した一年後、今度は長女由梨絵が家を出てしまった。妻子持ちの男と駆け落ち同然に姿を消したのだった。太吉は相手の家族への申し訳なさに、後日電話で連絡してきた由梨絵に円切りを宣言した。太吉は実の息子と娘を失う憂き目を体験しているのだ。
「いくら世間様に顔向けできんことしでかしたかてなあ、娘は娘や。親が唯一の味方やないか。それを……わしは縁を切ってしもうたがな。もう取り返しはつかん……」
太吉は良一と酒を呑んだ時、酔った勢いでクドクドと泣き言を言い続けた。良一は黙って合槌をうちながらとことん聞いてやった。
良一は知っている。太吉が家を新築しようとしているのは、良一との約束の履行をタテマエに使って、娘の由梨絵がいつか帰ろうとしたとき、その帰る場所を設けて置いてやろうという親心にあることを。
過去のつらい体験があるからこそ、太吉は自分の愚かさと同じ道を良一に踏ませまいとしていた。それは分かり過ぎるほど判っているのだが……。
「おとうさん、おとうさん!」
「ん?」
目を開けると、娘のなつみがせっぱつまった顔で覗き込んでいる。
「なんや?どないしたんや?」
「叔父さんが、丸岡の叔父さんが倒れはったって!いま電話があったんや」
「なに!」
良一は耳を疑った。しかし、なつみのかおから消えない切迫感が、良一を布団から飛び出させた。
太吉が倒れた原因は脳溢血だった。蟒蛇みたいに酒を呑んでいた太吉には、来るべきもの来たのだ。集中治療室のドアを穴が開きそうなほど睨みつけて、良一は懸命に伯父の無事生還を願って祈った。
(おっちゃん、まだ早いやないか。約束の家建てるまで頑張らな、尾rw、おっちゃん恨むで)
良一は、あの日を鮮明に思い出した。一方的に大工になることを決めつけられたあの日、あの時が、まるできのうきょうのように浮かんだ。
湯気のたつ旨そうな天丼、働き盛りで自信満々だった叔父の姿。進路を押し付けた叔父への反感、貧しい暮らしを支えた母の苦衷を思いやってくれた太吉を知って感謝した……心の振幅が克明に思い出される。涙を噛みしめながらしがんだ海老のしっぽは、なんとも複雑な味だった。
太吉はなんとか持ち直した。軽い後遺症は残ったものの、日常生活に支障はないだろうと、若い担当医師が胸を張っていった。ただブリキ屋の現役はもう無理だろう。遅かれ早かれやってくる引退の時期が早まったと思えばいい。
「心配したがな、おやっさん」
太吉を見舞った良一は、にやりと笑い返した太吉の顔を見ると、もうたまらず目を潤ませた。鼻をかんで誤魔化してはみたが、どうにもこうにもままならない。
太吉は目敏く甥の様子に気付くと、
「情けないやっちゃのう、良は。大の男がピーピー泣いたら恥やど」
すこし不明瞭に聞こえる震え声で言った。
「おやっさん、喋れるんか?よかった、よかったのう」
良一の声は上擦った。
「良よう」
「何や?」
「ええか、約束通り家は建ててくれよ。わしがお前に約束させた家や。あれ建てなんだら、わしがお前を大工にさせた値打ちがのうなってしまうがな」
「わかっとるわい。おやっさん、いらん心配せんと任しとかんかい。おやっさん恨んで死にもの狂いで必死になって身に着けた大工の腕見せたるさかい。家が完成するまで、ちゃんと生きとって貰わななあ」
「おう、おう」
太吉は震えるちいさな声ながら、懸命に絞り出した。
「ありがとうね、良ちゃん。ほんまに…おおけに」
叔母の里子が良一の手を掴んで何度も頭を下げた。
「おい、良よ」
太吉がぎごちなく手を上げて良一を呼んだ。
「なんや?まだ何かいいたいんか?」
「残念や……なっちゃんの花嫁姿見られんで……」
なにか答えなくてはと思ったが、結局良一は軽く笑って頷いた。
「……ええか、良。お前の自慢の娘や。なっちゃんの晴れの門出やさかいに、気持ちよう送ったれ。わしみたいに後で後悔したら、そらもう苦しいぞ!」
「分かってる」
良一は力強く頷いてみせた。
病室を出た良一は、廊下の向こうに見覚えのある顔を見た。太吉の娘、由梨絵だった。二人の子どもの手を引いている。
「由梨絵ちゃん、来てくれたんか?」
良一は会釈して言った。
「お父さん、どんなん?機嫌ええ?この病室か?」
「ああ、そうや。おやっさん、大喜びやぞ」
「憎まれ娘やのに」
由梨絵は冗談を口にすると、照れくさげに頬笑んでペコッと頭を下げた。手をひかれている子供らも母親にならってペコッとお辞儀した。
病院の横手にある引き戸を開けると、駐車場に続いている。良一は大股で自分の軽トラックに向かって歩いた。
運転席に落ち着くと、煙草に火を点けた。ひと思案するのにタバコはもっとも効果がある。何気なく前に目を泳がせた。
良一は白い乗用車が駐車場へ滑り込んできたのに気が付いた。
乗用車は良一の軽トラックの左隣にある枠内に停まった。
「!」
良一は言葉を失った。乗用車の助手席から姿を見せたのは、娘のなつみだった。なつみのほうもすぐ父親の軽トラックに気づいた。{あら?}と口を押えている。すると……?乗用車の運転手は……!良一は慌てて車外に出た。
なつみの横に男性が立った。優しい表情をなつみに向けている。娘が一度あって欲しいと良一に望んで快諾されなかった、その相手だった。
「はじめまして、おとうさん。このたびは縁がありまして……」
律儀に挨拶をする男性に、良一はなすすべもなく立ち尽くした。 (完結)(1994年・オール文芸「独楽」掲載)
太吉がショックから脱した一年後、今度は長女由梨絵が家を出てしまった。妻子持ちの男と駆け落ち同然に姿を消したのだった。太吉は相手の家族への申し訳なさに、後日電話で連絡してきた由梨絵に円切りを宣言した。太吉は実の息子と娘を失う憂き目を体験しているのだ。
「いくら世間様に顔向けできんことしでかしたかてなあ、娘は娘や。親が唯一の味方やないか。それを……わしは縁を切ってしもうたがな。もう取り返しはつかん……」
太吉は良一と酒を呑んだ時、酔った勢いでクドクドと泣き言を言い続けた。良一は黙って合槌をうちながらとことん聞いてやった。
良一は知っている。太吉が家を新築しようとしているのは、良一との約束の履行をタテマエに使って、娘の由梨絵がいつか帰ろうとしたとき、その帰る場所を設けて置いてやろうという親心にあることを。
過去のつらい体験があるからこそ、太吉は自分の愚かさと同じ道を良一に踏ませまいとしていた。それは分かり過ぎるほど判っているのだが……。
「おとうさん、おとうさん!」
「ん?」
目を開けると、娘のなつみがせっぱつまった顔で覗き込んでいる。
「なんや?どないしたんや?」
「叔父さんが、丸岡の叔父さんが倒れはったって!いま電話があったんや」
「なに!」
良一は耳を疑った。しかし、なつみのかおから消えない切迫感が、良一を布団から飛び出させた。
太吉が倒れた原因は脳溢血だった。蟒蛇みたいに酒を呑んでいた太吉には、来るべきもの来たのだ。集中治療室のドアを穴が開きそうなほど睨みつけて、良一は懸命に伯父の無事生還を願って祈った。
(おっちゃん、まだ早いやないか。約束の家建てるまで頑張らな、尾rw、おっちゃん恨むで)
良一は、あの日を鮮明に思い出した。一方的に大工になることを決めつけられたあの日、あの時が、まるできのうきょうのように浮かんだ。
湯気のたつ旨そうな天丼、働き盛りで自信満々だった叔父の姿。進路を押し付けた叔父への反感、貧しい暮らしを支えた母の苦衷を思いやってくれた太吉を知って感謝した……心の振幅が克明に思い出される。涙を噛みしめながらしがんだ海老のしっぽは、なんとも複雑な味だった。
太吉はなんとか持ち直した。軽い後遺症は残ったものの、日常生活に支障はないだろうと、若い担当医師が胸を張っていった。ただブリキ屋の現役はもう無理だろう。遅かれ早かれやってくる引退の時期が早まったと思えばいい。
「心配したがな、おやっさん」
太吉を見舞った良一は、にやりと笑い返した太吉の顔を見ると、もうたまらず目を潤ませた。鼻をかんで誤魔化してはみたが、どうにもこうにもままならない。
太吉は目敏く甥の様子に気付くと、
「情けないやっちゃのう、良は。大の男がピーピー泣いたら恥やど」
すこし不明瞭に聞こえる震え声で言った。
「おやっさん、喋れるんか?よかった、よかったのう」
良一の声は上擦った。
「良よう」
「何や?」
「ええか、約束通り家は建ててくれよ。わしがお前に約束させた家や。あれ建てなんだら、わしがお前を大工にさせた値打ちがのうなってしまうがな」
「わかっとるわい。おやっさん、いらん心配せんと任しとかんかい。おやっさん恨んで死にもの狂いで必死になって身に着けた大工の腕見せたるさかい。家が完成するまで、ちゃんと生きとって貰わななあ」
「おう、おう」
太吉は震えるちいさな声ながら、懸命に絞り出した。
「ありがとうね、良ちゃん。ほんまに…おおけに」
叔母の里子が良一の手を掴んで何度も頭を下げた。
「おい、良よ」
太吉がぎごちなく手を上げて良一を呼んだ。
「なんや?まだ何かいいたいんか?」
「残念や……なっちゃんの花嫁姿見られんで……」
なにか答えなくてはと思ったが、結局良一は軽く笑って頷いた。
「……ええか、良。お前の自慢の娘や。なっちゃんの晴れの門出やさかいに、気持ちよう送ったれ。わしみたいに後で後悔したら、そらもう苦しいぞ!」
「分かってる」
良一は力強く頷いてみせた。
病室を出た良一は、廊下の向こうに見覚えのある顔を見た。太吉の娘、由梨絵だった。二人の子どもの手を引いている。
「由梨絵ちゃん、来てくれたんか?」
良一は会釈して言った。
「お父さん、どんなん?機嫌ええ?この病室か?」
「ああ、そうや。おやっさん、大喜びやぞ」
「憎まれ娘やのに」
由梨絵は冗談を口にすると、照れくさげに頬笑んでペコッと頭を下げた。手をひかれている子供らも母親にならってペコッとお辞儀した。
病院の横手にある引き戸を開けると、駐車場に続いている。良一は大股で自分の軽トラックに向かって歩いた。
運転席に落ち着くと、煙草に火を点けた。ひと思案するのにタバコはもっとも効果がある。何気なく前に目を泳がせた。
良一は白い乗用車が駐車場へ滑り込んできたのに気が付いた。
乗用車は良一の軽トラックの左隣にある枠内に停まった。
「!」
良一は言葉を失った。乗用車の助手席から姿を見せたのは、娘のなつみだった。なつみのほうもすぐ父親の軽トラックに気づいた。{あら?}と口を押えている。すると……?乗用車の運転手は……!良一は慌てて車外に出た。
なつみの横に男性が立った。優しい表情をなつみに向けている。娘が一度あって欲しいと良一に望んで快諾されなかった、その相手だった。
「はじめまして、おとうさん。このたびは縁がありまして……」
律儀に挨拶をする男性に、良一はなすすべもなく立ち尽くした。 (完結)(1994年・オール文芸「独楽」掲載)
あれからもう四十年も経った。良一は立派に一人親方で仕事をこなしている。妻と娘二人のしあわせな家庭も得た。そんな今も、あの海老の尻尾に涙の味が加わった記憶が時々よみがえる。
「もうすぐやったな?」
太吉に訊かれて、真一は現実に引き戻された。パチパチと火の粉を勢いよく跳ねながらたき火は燃え盛っている。「いや、建て前はちょっと遅れそうなんや。通り柱の調達が手間取ったさかい……」
「アホ!そんなことやないわい」
太吉が呆れて怒鳴った。相変わらず馬鹿でかい声である。
「なっちゃんの結婚式や」
「ああ、あれ……来月のかかりやけど」
「もうじきやないか。ちゃんと親の役目果たしてやっとるんやろな?」
良一はすぐに返答できなかった。
目にいれても痛くない娘の上の方が結婚するのである。嬉しくはないはずはないのだが、良一の気持ちは少しも上向きになれないでいる。理由はちゃんと分かっている。
「お前、娘の結婚に、そないな難しい顔しとってどないするんや。なっちゃん、かわいそうやろが」
太吉が非難するように言った。
「そら、お前の顔つぶす結果になったんやろけどなあ。あのなっちゃんが自分で婿はんを掴んで来よったんやないか。父親やったら、お前、素直に喜んだらなあかんで」
太吉はしゃがむと、火のついた板切れを拾うとタバコに近づけた。フーッと紫煙を吐き出すと、太吉は宙に目を泳がせた。
「なっちゃんの花嫁姿、よう似合って綺麗やろなあ、別嬪さんやでのう」
まるで自分の孫娘のように、太吉は目を細めて呟いた。
良一は意識的に顔をそむけると、尻を突き出して火に炙った。冷え切った尻はすぐ暖まって気持ちがよくなる。しかし、胸のうちにあるわだかまりのほうは一向にきえる気配はなかった。
あれは、適齢期を過ぎた娘のために、工務店の社長がワザワザ持って来てくれた見合い話だった。文句のつけようがない好条件の相手に、良一の方が乗り気になってしまった。当然、娘のなつみも自分と同じ気持ちになっていると思ったのが、大変な間違いだった。
見合いして二度ばかりデートに出かけた娘に、順調だと良一が内心ほくそ笑んでいると、なつみはいきなり深刻な顔になると、この話を断ってくれと切りだした。恋人がいたのである。
工務店の社長に不義理をしてしまうが、それはそれで仕方ないと思った。ところが、紹介された娘の恋人が気に入らなかった。娘とひと回り以上も違う四十男。息子の年齢ではない、良一と兄弟に思われる。しかも離婚歴があって子連れとは、もう何をかいわんやではないか。
あれ以来、なつみと言葉を交わす機会が減った。良一が避けるほうだった。
「父親が折れてやらなんだら、なっちゃん、どないしてええか分からんで。このままやったらすっきりせんままに晴れの日を迎えてしまうぞ。……後で後悔をいくらしたかて追っつかん。苦しいだけや、違うか?」
太吉は自嘲めいた口調になった。
そういえば太吉もふたりの子どもがいた。そう、いたのである。
太吉の長男、忠行は自動車事故に巻き込まれて死んでいる。太吉と口げんかして家を飛び出した直後の事故だった。急の知らせに泡食って病院に駆け付けた良一は、魂がぬけた後の抜け殻の太吉を目にした。
太吉は良一に気付くとヘナヘナと床に崩れ落ちた。あわてて走り寄った良一に抱えられた太吉は、消え入りそうな声で叫び続けた。
「忠行よー!お前、あいつと結婚するんやなかったんかい?しあわせにしたる言うとったやないか。ボケ!当のお前がおっちんでしもうて、誰が幸せになるんじゃい!展…アホタレ…親不孝もんが」
ボロボロと太吉は涙をこぼし続けた。初めて見せられた、あんなに逞しかった叔父の弱弱しい姿だった。良一はその叔父を他人の目に曝すまいと、太吉に覆いかぶさる態勢でで太吉の身体を抱きしめた。太吉の身体の震えが無性に悲しかった。
忠行が結婚しようと決めていた相手はフィリピン女性だった。ダンサーとして出稼ぎに来日していた。知り合った事情はよく知らなかったが、優しい女性で二人は似合いだった。だが、昔気質の太吉は、断固許さなかった。
「言葉が通じん外国人の嫁はん貰うて、親を困らせる気か?お前。この親不孝もんが、わしゃ絶対に許さへんぞ」
と、良一がいくらとりなしても、太吉は頑として意見を変えなかった。
(続く) (1994年・オール文芸「独楽」掲載)
「もうすぐやったな?」
太吉に訊かれて、真一は現実に引き戻された。パチパチと火の粉を勢いよく跳ねながらたき火は燃え盛っている。「いや、建て前はちょっと遅れそうなんや。通り柱の調達が手間取ったさかい……」
「アホ!そんなことやないわい」
太吉が呆れて怒鳴った。相変わらず馬鹿でかい声である。
「なっちゃんの結婚式や」
「ああ、あれ……来月のかかりやけど」
「もうじきやないか。ちゃんと親の役目果たしてやっとるんやろな?」
良一はすぐに返答できなかった。
目にいれても痛くない娘の上の方が結婚するのである。嬉しくはないはずはないのだが、良一の気持ちは少しも上向きになれないでいる。理由はちゃんと分かっている。
「お前、娘の結婚に、そないな難しい顔しとってどないするんや。なっちゃん、かわいそうやろが」
太吉が非難するように言った。
「そら、お前の顔つぶす結果になったんやろけどなあ。あのなっちゃんが自分で婿はんを掴んで来よったんやないか。父親やったら、お前、素直に喜んだらなあかんで」
太吉はしゃがむと、火のついた板切れを拾うとタバコに近づけた。フーッと紫煙を吐き出すと、太吉は宙に目を泳がせた。
「なっちゃんの花嫁姿、よう似合って綺麗やろなあ、別嬪さんやでのう」
まるで自分の孫娘のように、太吉は目を細めて呟いた。
良一は意識的に顔をそむけると、尻を突き出して火に炙った。冷え切った尻はすぐ暖まって気持ちがよくなる。しかし、胸のうちにあるわだかまりのほうは一向にきえる気配はなかった。
あれは、適齢期を過ぎた娘のために、工務店の社長がワザワザ持って来てくれた見合い話だった。文句のつけようがない好条件の相手に、良一の方が乗り気になってしまった。当然、娘のなつみも自分と同じ気持ちになっていると思ったのが、大変な間違いだった。
見合いして二度ばかりデートに出かけた娘に、順調だと良一が内心ほくそ笑んでいると、なつみはいきなり深刻な顔になると、この話を断ってくれと切りだした。恋人がいたのである。
工務店の社長に不義理をしてしまうが、それはそれで仕方ないと思った。ところが、紹介された娘の恋人が気に入らなかった。娘とひと回り以上も違う四十男。息子の年齢ではない、良一と兄弟に思われる。しかも離婚歴があって子連れとは、もう何をかいわんやではないか。
あれ以来、なつみと言葉を交わす機会が減った。良一が避けるほうだった。
「父親が折れてやらなんだら、なっちゃん、どないしてええか分からんで。このままやったらすっきりせんままに晴れの日を迎えてしまうぞ。……後で後悔をいくらしたかて追っつかん。苦しいだけや、違うか?」
太吉は自嘲めいた口調になった。
そういえば太吉もふたりの子どもがいた。そう、いたのである。
太吉の長男、忠行は自動車事故に巻き込まれて死んでいる。太吉と口げんかして家を飛び出した直後の事故だった。急の知らせに泡食って病院に駆け付けた良一は、魂がぬけた後の抜け殻の太吉を目にした。
太吉は良一に気付くとヘナヘナと床に崩れ落ちた。あわてて走り寄った良一に抱えられた太吉は、消え入りそうな声で叫び続けた。
「忠行よー!お前、あいつと結婚するんやなかったんかい?しあわせにしたる言うとったやないか。ボケ!当のお前がおっちんでしもうて、誰が幸せになるんじゃい!展…アホタレ…親不孝もんが」
ボロボロと太吉は涙をこぼし続けた。初めて見せられた、あんなに逞しかった叔父の弱弱しい姿だった。良一はその叔父を他人の目に曝すまいと、太吉に覆いかぶさる態勢でで太吉の身体を抱きしめた。太吉の身体の震えが無性に悲しかった。
忠行が結婚しようと決めていた相手はフィリピン女性だった。ダンサーとして出稼ぎに来日していた。知り合った事情はよく知らなかったが、優しい女性で二人は似合いだった。だが、昔気質の太吉は、断固許さなかった。
「言葉が通じん外国人の嫁はん貰うて、親を困らせる気か?お前。この親不孝もんが、わしゃ絶対に許さへんぞ」
と、良一がいくらとりなしても、太吉は頑として意見を変えなかった。
(続く) (1994年・オール文芸「独楽」掲載)
縁ある人たち
世間は暖冬だ暖冬だと姦しいが、こう朝が早いと結構寒さはきつく感じられる。なによりもたき火が恋しくてたまらない。
浅香良一は、かなり暖房をきつく効かせている軽トラックの運転席を出ると、ブルッと身震いした。バチバチと薪の爆ぜる音が心地よく耳に響いた。良一は足早にたき火のほうへ向かった。
「おはようさん。今朝は冷えるのう」
充分暖を取ったらしく、顔を赤くした丸岡太吉が好々爺面で迎えてくれる。
「おはようっす。おやっさん、えらい早いのう」
良一は足早に手をあぶって揉みながら口を合わせた。
「年取ったら、用もないのに直に目が開きよるでのう、しゃあないわ。もう引退も近いっちゅうこっちゃな」
「みんな笑いよるで、おやっさんが引退やなんて言うとったら」
「そらそうや。まだまだお前ら若いのんに負ける気遣いあらへんさかいなあ」
太吉は歯のない口を遠慮なく開けて笑った。入れ歯の具合が悪いと、二、三日前から文句タラタラで、飯を食う時だけ仕方なくはめていた。
太吉は年季の入った板金加工の老職人で、もう七十近いのに堂々たる現役のひとり親方を誇っている。その仕事ぶりは文句の付けようがないほど確実なものだった。地区板金組合の組合長も務めていて、組合員の評判はすこぶる好かった。
良一の叔父にあたる太吉は、幼くして父を亡くした良一の親代わりでもあった。良一が現在立派に一人前の大工で通用しているのも太吉のおかげだといっていい。
四十年前、良一は別に大工になるつもりなどなかった。中学を卒業したら周りのみんなと同じように高校へ進む気でいたのだ。
あの日、太吉はいきなり迎えにやってきた。中学の卒業をまぢかに控えた良一に「前祝いだ!」と引っ張り出すと、駅前の一膳めし屋でご馳走してくれた。
「遠慮せんと何でも注文せえや。お前の祝いなんやからな」
太吉はやけに機嫌がよかった。すでに一杯ひっかけていたらしく目のふちがほんのりと赤く染まっていた。
良一は前から食べたくてたまらなかった極上の天丼を、(ほんとうにええんかな?)と伯父の顔色を窺いながらおそるおそる注文した。
尾っぽばかり大きく目立つ、それでもかなり大ぶりのエビが天ぷらに揚げられてのっかっていた。じつに美味かった。だいたい食堂に入るのが夢みたいな環境だった。なにせ母親ひとりが必死に働いて暮らしを立てているのだ。ちょっとした贅沢も許されるはずがなかった。
まるで餓えきった浮浪児のように、ガツガツと天丼を平らげた。残しておいた海老の天麩羅を夢見心地で口に運ぶ良一を、顔をクシャクシャにして見ていた太吉は、「さて」といった調子で切りだした。
「なあ、両よ。お前、中学卒業したら大工になれ。職人は食いっぱぐれせえへんさかいな。わしのブリキ屋もええんやけど、親せきがブリキ屋ばっかりじゃ家は建たんでのう。そやさかい、お前は大工や。大工で一人前になれ」
さっきまでの笑顔が消えて真剣みを帯びた太吉の言葉には有無をいわせぬものがあった。良一はあ然と叔父を見やって言葉を失った。
「わしはお前に夢を託すんや。一人前の大工になったお前に、わしの家丸ごと建てて貰うんじゃ。ええか、良。このおっさの夢、叶えてくれや。わしの夢よう覚えとって、わしが老いぼれんうちに、一人前の大工になるんや」
太吉はポンと良一の肩をたたいた。良一は思わず目を伏せてしまった。そんな甥の様子を知ってか知らずか、太吉は大口を開けて笑った。この瞬間、良一の進路は否応なしに決められてしまったのだ。
良一には自分なりに思い描いていた進路があった。大の親友と同じ高校に上がる約束をしていた。むろんそれが無理な家庭環境なのは承知の上だった。それでもわずかな望みを捨てきれなかった。しかし、良一のはかない希望は太吉の独断であっさりと最後の根まで断ち切られようとしている。
良一はカーッと頭に血をのぼらせた。太吉に文句を返そうとグイッと頭を上げた。そして、見た。
太吉は両目を閉じていた。口をへの字に曲げて腕組みをしたまま、肩先をブルブルと震わせていた。
さすがに良一も太吉の立場を感じ取った。叔父も辛いのだ。太吉は良一の母親に頼まれて、憎まれ役を引き受けさせられているのだ。
もう良一は何も言えなかった。あわてて海老のしっぽをしがんだ。うまいのかまずいのかサッパリ分からない味が口の中に広がった。悲しくなって、グッと歯を噛みしめた。涙を叔父に見られたくなかった。泣いたと母に知られたくなかった。
(続く)
(1994年・オール文芸「独楽」掲載)
世間は暖冬だ暖冬だと姦しいが、こう朝が早いと結構寒さはきつく感じられる。なによりもたき火が恋しくてたまらない。
浅香良一は、かなり暖房をきつく効かせている軽トラックの運転席を出ると、ブルッと身震いした。バチバチと薪の爆ぜる音が心地よく耳に響いた。良一は足早にたき火のほうへ向かった。
「おはようさん。今朝は冷えるのう」
充分暖を取ったらしく、顔を赤くした丸岡太吉が好々爺面で迎えてくれる。
「おはようっす。おやっさん、えらい早いのう」
良一は足早に手をあぶって揉みながら口を合わせた。
「年取ったら、用もないのに直に目が開きよるでのう、しゃあないわ。もう引退も近いっちゅうこっちゃな」
「みんな笑いよるで、おやっさんが引退やなんて言うとったら」
「そらそうや。まだまだお前ら若いのんに負ける気遣いあらへんさかいなあ」
太吉は歯のない口を遠慮なく開けて笑った。入れ歯の具合が悪いと、二、三日前から文句タラタラで、飯を食う時だけ仕方なくはめていた。
太吉は年季の入った板金加工の老職人で、もう七十近いのに堂々たる現役のひとり親方を誇っている。その仕事ぶりは文句の付けようがないほど確実なものだった。地区板金組合の組合長も務めていて、組合員の評判はすこぶる好かった。
良一の叔父にあたる太吉は、幼くして父を亡くした良一の親代わりでもあった。良一が現在立派に一人前の大工で通用しているのも太吉のおかげだといっていい。
四十年前、良一は別に大工になるつもりなどなかった。中学を卒業したら周りのみんなと同じように高校へ進む気でいたのだ。
あの日、太吉はいきなり迎えにやってきた。中学の卒業をまぢかに控えた良一に「前祝いだ!」と引っ張り出すと、駅前の一膳めし屋でご馳走してくれた。
「遠慮せんと何でも注文せえや。お前の祝いなんやからな」
太吉はやけに機嫌がよかった。すでに一杯ひっかけていたらしく目のふちがほんのりと赤く染まっていた。
良一は前から食べたくてたまらなかった極上の天丼を、(ほんとうにええんかな?)と伯父の顔色を窺いながらおそるおそる注文した。
尾っぽばかり大きく目立つ、それでもかなり大ぶりのエビが天ぷらに揚げられてのっかっていた。じつに美味かった。だいたい食堂に入るのが夢みたいな環境だった。なにせ母親ひとりが必死に働いて暮らしを立てているのだ。ちょっとした贅沢も許されるはずがなかった。
まるで餓えきった浮浪児のように、ガツガツと天丼を平らげた。残しておいた海老の天麩羅を夢見心地で口に運ぶ良一を、顔をクシャクシャにして見ていた太吉は、「さて」といった調子で切りだした。
「なあ、両よ。お前、中学卒業したら大工になれ。職人は食いっぱぐれせえへんさかいな。わしのブリキ屋もええんやけど、親せきがブリキ屋ばっかりじゃ家は建たんでのう。そやさかい、お前は大工や。大工で一人前になれ」
さっきまでの笑顔が消えて真剣みを帯びた太吉の言葉には有無をいわせぬものがあった。良一はあ然と叔父を見やって言葉を失った。
「わしはお前に夢を託すんや。一人前の大工になったお前に、わしの家丸ごと建てて貰うんじゃ。ええか、良。このおっさの夢、叶えてくれや。わしの夢よう覚えとって、わしが老いぼれんうちに、一人前の大工になるんや」
太吉はポンと良一の肩をたたいた。良一は思わず目を伏せてしまった。そんな甥の様子を知ってか知らずか、太吉は大口を開けて笑った。この瞬間、良一の進路は否応なしに決められてしまったのだ。
良一には自分なりに思い描いていた進路があった。大の親友と同じ高校に上がる約束をしていた。むろんそれが無理な家庭環境なのは承知の上だった。それでもわずかな望みを捨てきれなかった。しかし、良一のはかない希望は太吉の独断であっさりと最後の根まで断ち切られようとしている。
良一はカーッと頭に血をのぼらせた。太吉に文句を返そうとグイッと頭を上げた。そして、見た。
太吉は両目を閉じていた。口をへの字に曲げて腕組みをしたまま、肩先をブルブルと震わせていた。
さすがに良一も太吉の立場を感じ取った。叔父も辛いのだ。太吉は良一の母親に頼まれて、憎まれ役を引き受けさせられているのだ。
もう良一は何も言えなかった。あわてて海老のしっぽをしがんだ。うまいのかまずいのかサッパリ分からない味が口の中に広がった。悲しくなって、グッと歯を噛みしめた。涙を叔父に見られたくなかった。泣いたと母に知られたくなかった。
(続く)
(1994年・オール文芸「独楽」掲載)