こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

夢と現実

2017年12月21日 02時32分22秒 | Weblog
「親父ありがとう。
僕たちは
親父とおふくろのような
素敵な夫婦になります」
 そこで目は覚めた。
夢だった!
そうだよな、
そんなはずが
あるはずはない。
 二人の息子、
かなりいい年になっているが、
結婚の朗報は
まだ届かない。
結婚しない、
いやできない男性が
増えている昨今、
わが息子らも、
その仲間入りをしているわけだが、
やはり親としては子の結婚を望む、
よき伴侶と巡り会ってほしいと
心から切望する。
「じいちゃん、遊んで!」
 孫たちに囲まれて、
笑顔が絶えない自分がいる。
小遣いをせびられる幸福に
どっぷりと浸る
わたしの姿。
妻がそばで笑っている。
 また目が覚めた。
そうだよな、
そんなはずは……
いや、
その希望がまだあるから
夢を見たのだ。
正夢とするべき、
親と子の努力。
それが実を結べば
もう夢を見なくてすむよなあ。(笑)。
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記憶の投稿記事から

2017年12月20日 13時20分31秒 | Weblog
3月から
犬を飼うことにしたが、
3家族13人が
同居している関係で、
全員が賛成なんてわけには
いかなかった。
 中でも
最も強硬に
反対したのが、
おじいちゃんおばあちゃん。
昔飼ったこともあるはずなのに、
どうしても
首を縦に振らない。
「とにかく飼ってしまえば
気も変わるさ」
 と、見切り発車で
子犬をもらってきたものの、
「ほら、
こんなとこへウンチしたよ!」
「足が弱ってるのに、
犬がまとわりついて、
命がけで歩かなあかん」
「子どもに病気がうつるで」
 と皮肉のオンパレード。
 ところがある日、
おじいちゃん、
おばあちゃんの真意を
知ってしまった。
「ほらお食べ。
お前らは
かわいいんじゃがのう、
病気やなんやかやで
死んだりしたら、
あんまりにも
悲しいさかいにのう」
 誰もいない日中、
おばあちゃんとおじいちゃんは
目を細めて
犬に語りかけていたのだ。
優しいからこその
反対だったとは……。

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山は生きている

2017年12月19日 15時10分35秒 | Weblog
裏山に足を踏み入れて驚いた。立ち枯れて倒れた木が山道を塞ぎ、水の流れで削られた傷跡が山の地肌に幾筋も走る。目を覆う惨状が拡がっている。
「今どき誰が山の世話をするかいな。そんな酔狂な人間がおったら、お目にかかりたいわ」
同行する父は憤慨している。高齢で足腰の衰えを隠せない父だが、もし体の自由が利けば、すぐにでも何かをしかねない勢いである。
「ここが境界じゃ。おじいさんと一緒に植えた木がちゃんと育っとるやろ」
 父が指差す方を見ると、山の頂に向かって似通った生育の檜が並んでいる。
「覚えとるか?お前も手伝うてくれたやろ」
 記憶が蘇る。半世紀も前、小学生から中学生になる時期だった。休日を迎えるたびに、祖父と父の後について山に入った。
確かにこの山だった。下草や雑木を刈り込み、檜の苗を山の斜面に植え込む作業を、いやになるほど手伝った。
「こないして植えてやったら。お前らの子供が大人になる頃、そら立派な大木になっとる」
 祖父の声はデカく、山に響いた。
「昔からこないして、みなで守って来たんよ。木を伐り出して家を建てられるんも、ご先祖様の育てた木があってこそじゃ。今度はわしらが孫子に残したる番やでのう」
 祖父は明日を見据えていた。
 苗木を山に植え込む作業はキツかった。ふもとから頂にかけ斜面を往復するだけで息は切れた。それもバケツに汲んだ水を運びあげなければならない。四苦八苦の末、ようやく終わるともう困憊状態だった。
「これから守るんはお前らの役目やぞ。放っといたら山はじきに駄目になりよる。守ってやれば、山はわしらの暮らしを守り返してくれよる。持ちつ持たれつちゅうこっちゃ」
 祖父の言葉は、しっかりと記憶に刻まれた。
その記憶もいつの間にか脳裏の片隅へ追いやられた。大人になると、山は遠い存在になった。向き合う余裕がなくなったというべきだろう。時代の変化で経済的価値のなくなった山は、生活最優先のなか、無視されるのは当然の流れだった。
その結果が目の前の惨状を生みだした。もはや一人の力でどうにかできるものではない。
 村の寄り合いで里山整備の話が出た。山の崩壊は、放っておけない域にまで達していた。危機感が村を動かした。県の補助を得て、荒れた山の整備へと舵が取られた
 整備がなされた山に、町から訪れる人たちは日ごとに増えている。荒れはてた山に散策道が開かれ、山は生き返った。祖父が孫に託した山は、形を変えて次の代へ引き継がれることになった。
年に一度、総出で山の整備を図る村。山を守ろうという意識が住民の間に芽生えているのを感じる。危機感が一つになり、豊かな里山への展望は開かれた。祖父や父が求めた山の未来は、新しい時代への変貌を遂げている。
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この1年

2017年12月18日 02時23分09秒 | Weblog
市のまちライブラリー事業に参加して、
私設図書館を開設すると、
新たな出会いが続き、
老後を
精一杯楽しんでいる。
 七十を目の前に始めた断捨離。
身の回りから
片付けていくと、
物置に
本が山となっているのに
たどり着いた。
無類の本好きが高じて
買いためた本ばかり。
手に取ってみて、
一冊一冊に思い入れがあるのを
思い知らされた。
捨てるに捨てられなくなった。
 そこで私設図書館開設に
踏み切った。
蔵書は二千冊近い。
子供らが巣立ち
空き部屋になっていた子供部屋に
手製の書架を並べると、
いっぱしの図書館が誕生した。
 自分の手で
広報にイベント企画を
地道に重ね
来訪者を募った。
片田舎まで足を運ぶ
本好きの方との出会いと交流は、
最高に楽しい。
 断捨離は先送りとなった。
それどころか
新たな友達や寄贈本が
増える一方に、
嬉しい悲鳴が上がる。
いま忙しく
日々を楽しんでいる。
 老いからは逃げられないが、
老いを楽しめる場を手に入れ、
充実に満ちた
一年が送れた。
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正月への思い

2017年12月17日 00時34分58秒 | Weblog
新しい年を迎えると、
神棚へ祭る鏡餅の前に
祝い箸の袋を並べる。
晦日に家族の名前を
丁寧に書いておいたものだ。
擦った墨を筆に含ませて
書きあげる。
家族一人一人の顔を
思い浮かべながら
幸せを手にする作業である。
祝い箸の出番は元旦の朝。
家族が顔をそろえて頂く
雑煮が初箸となる。
続くおせち料理も
祝い箸はきちんと
役割を果たしてくれる。
丸みを帯びて
削られたシンプルな箸だが、
家族の健康と
幸せを祝う場には
ぴったりの趣き。
「あいつら帰って来るかな?」
「仕事じゃ
無理いえないからね」
 昨年のみそか。
妻と
なんとも寂しい会話を交わした。
「祝い箸、
いくつ用意しとく?」
「決まってるでしょ。
我が家は
六人家族なの」
「うん……そうやな、
六人や」
 複雑な思いを飲み下して、
子供たちの名前を書き上げると、
なぜかウルっと来た。
 子供は四人。
数年前までは家族六人、
食卓はいつも賑やかで
楽しかった。
もちろん正月の朝は、
自分の名前が
書かれた祝い箸を、
競い合うように
手にしたものである
名前の書かれた箸袋は、
誰もが大切に扱った。
三が日は洗った箸が
大事な役を務めてくれる。
口に出さなくても、
家族はみんな、
顔をそろえて
新しい年を迎える意味を
心得ていた。
祝い箸はその象徴だった。
数年前から
新年を祝いあう家族は
少なくなった。
名古屋のほうで働く
息子二人は
正月もなく忙しい職場。
結婚した長女は
嫁ぎ先で新年を祝うのが
当然となった。
それでも
我が家の祝い箸は、
必ず六膳
用意を欠かさない。
「今年もわが家族に
平穏で幸せな暮らし、
頂かせていただきます」
 神棚に礼をささげ、
家長から順次
祝い箸と
お供えの干し柿などを
押し頂いた。
厳かな心を味わう
ひと時だった。
妻が続き
末娘が〆る。
「今年も三人家族やな」
「ううん、
ちゃんとあの子らも
一緒に
正月を祝ってくれるよ」
 テーブルに並ぶ
祝い箸は六膳。
子供らの名前は、
はっきりと読めた。
「あけましておめでとう。
今年もよろしく」
 新年のあいさつを済ませて、
自分の祝い箸を手にする。
箸袋を外して、
真新しい白木の
優しい形状の箸を
手にすると、
目を閉じた。
瞼の裏に
賑やかしい家族団らんの
図が蘇る。
その手に
祝い箸が踊っていた。
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いつもともに

2017年12月16日 01時29分39秒 | Weblog
我が家の庭に三つの石。
大中小と
大きさの違うものを
子供たちが探して来て、
仲良く寄り添う光景を
再現している。
五年前に亡くなった
愛犬タロは、
十七年我が家で
ともに過ごした
欠けがいのない
家族の一員だった。
晩年寝たきりになった時も、
見守るわたしたちを
安心させようと、
懸命に頭を上げようと頑張り、
差し出す手を
ぺろぺろと舐めた。
「ごめんなさい。
もう一緒に遊べなくて」
そう訴える潤んだ眼に
何度も頷いてやった。
タロともに育った
我が家の子供たちは、
下宿先や仕事先から
駆け付けた。
「頑張れ!」
声をかける誰もが
同じ思いだった。
 亡くなる前夜、
タロは最後の力を振り絞って
「キューン!」と
ひと吠えした。
それが
お別れの挨拶だったと、
いまも信じている。
 タロの死に続き、
仲の良かった
嫁さんのモモに娘のトトが、
続いて寿命を全うした。
 子供たちは帰郷すると
必ず庭の石に話しかける。
まるでタロらが
生きているかのように。
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記憶の風景・さらばアパート

2017年12月15日 03時17分19秒 | Weblog
二年かかった
マイホームの完成。
やっと町からのUターンが
実現する。
「さあ!引っ越しだ」
勢い込んで、
住んでいたアパートの
片づけにかかった。
狭い部屋を
家具や家電の類が
占領していた。
(これは新しい家に合わないなあ)
 新築なったマイホームを
検分した直後だけに、
どれも不釣り合いに思えた。
新しい家に
そぐう家具や家電を
揃えたいと思った。
 二十年以上住み続けた
アパート生活で
馴染んだ家具家電に
愛着はあったが、
それが時代遅れの
役立たずなものに見えた。
 結局、
新しい家具家電を買い揃えた。
新居のイメージに合ったものに
こだわったせいで、
かなりな物入りと
なってしまった。
 すべてが新品の
家に引っ越した。
気分は最高!のはずが、
どうにもこうにも
落ち着けなかった。
慣れるまでかなり日数を要した。
 考えてみれば
無理はない。
住む人間が中古。
だった。(笑い)
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カブ

2017年12月14日 00時56分29秒 | Weblog
カブが食べごろに
成長していました。
5個引き抜きながら、
絵本「おおきなかぶ」を思い出して、
ほくそ笑んでしまいました。

冷凍しておいた豚バラとで
カブ煮を作ります。
カブと葉っぱを
適当なサイズと形に切り揃えて、
炒めた豚バラと合わせて、
油でジャジャッ!と炒めます。
そこへ水と砂糖・酒を加えてグツグツ。
さらに醤油と味醂で味を仕上げます。
落し蓋を忘れずに、
すこし火を緩めて、クツクツ!

カブの初物の調理としては邪道ですが、
美味しかったなあ。
ご飯をおかわりしてしまいました。
メタボ予備軍としては、
やってはならないおかわりを、
やってしまったのです。
明日は25000歩は、
歩いてメタボ対策をしなくては。(笑)

次はシンプルに、
カブのコンソメにを作るかな。

ただし娘には、
ハンバーグを焼いておきました。
いろいろ気を使います。
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今年は?

2017年12月13日 08時29分51秒 | Weblog
ことし
六十代も
終わりを迎えようとするのを契機に、
自分の生きた足跡を
図書館で展示することにした。
S新聞文芸エッセーと小説、
児童文学と、
入選十三作品の掲載紙面を
額に入れて展示した。
古い紙面は
変色していても、
わが人生模様の表現は
色褪せていない。
作品内容を
絶妙に描きだされた挿絵が
紙面を引き締めている。
平成二年の初入選から
今年の作品まで、
一貫して
家族の絆がテーマなのに
胸を張った。
展示する作品を
読み直してみた。
四人の子供を育て上げた
苦悩や感激の記憶が蘇る。
考えてみれば、
家族とともに体験した
喜怒哀楽あってこそ
生まれた作品といえる。
今は原稿用紙十枚だが、
以前は十五枚。
しかも手書き、
書き上げるのに四苦八苦した。
閲覧された方の賛辞に
鼓舞され、
視力も気力も頭の働きも
低下する老いに、
負けてたまるかと奮起した。
来年もS新聞文芸に
チャレンジさせて貰おうと
改めて思った。
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12月の思い出ものがたり

2017年12月12日 05時33分56秒 | Weblog
夢見ていたちひろ美術館だった。
仕事を休み、
わざわざ兵庫の田舎町から
東京まで足を運んだのは正解である。
想像以上の感動を覚え、
じっくり時間をかけて
館内を巡った。
 土産に
ちひろの絵が印刷された
色紙としおりを買った。
絵本もと思ったが、
すでに手に入れている本の陳列に、
あっさり諦めた。
 田舎町でアマチュア劇団をやっている。
参加メンバーは十数人、
年齢も仕事もいろいろで、
バラエティに富んだ仲間たちだった。
土産は彼らに渡したくて買った。
たかがしおりでも、
あのちひろの絵が描かれてある。
きっと喜んでくれるだろう。
 色紙は四枚で、
赤ちゃんと母親の
愛情と絆が満ち溢れた絵ばかり。
こちらは特別な女性への土産。
とはいっても、
彼女の方は
こちらを特別な存在には思っていない。
所詮片思いに過ぎない。
実は彼女も劇団の一員だった。
「ワー、
これ岩崎ちひろの代表的なやつよ。
ありがとう」
「たぶん好きなんじゃないかと思ったから」
「好きなんてもんじゃないよ。
わたしには
神様みたいな存在なんだから!」
 彼女のハチャメチャな喜びように
少し面喰いながらも、
幸せな気分を味わった。
 彼女はこの春
保母になったばかり。
高校生で劇団へ参加した
生真面目で
ロマンチストな女の子は、
希望の仕事につき
大張り切りの真っ最中だった。
実は
絵本の面白さを
教えてくれたのは彼女。
「おおきなかぶ」
「はらぺこあおむし」など、
絵本の魅力を語る
彼女の輝く顔に魅入られてから、
絵本を愛読している。
「でも、
なんでわたしにお土産くれるの?」
「お前だけじゃないよ。
他のみんなにも
お土産は渡してたろ」
「みんな、しおりだけ。
しおりは私も貰ったし……
あれ?もしかしたら、
わたし特別なの」
 図星をつかれて顔が赤くなった。
うろたえながらも懸命に弁解した。
「いつもの冗談なんだ。
もう慣れっこだから、
だまされへんよ」
 あっけらかんとした
彼女の言葉に救われた
。すぐ笑いに紛らわせて逃げた。
 彼女との年齢差十三。
それがいつも
自分の思いを素直に打ち明けられない
ブレーキとなった。
だとしてもどうしようもない。
劇団活動をやっていても、
根は人見知りが激しく
友達も数えるほどしかいない。
女性との付き合いなど論外で、
いつも遠くから憧れるだけの
片思いに終わった。
今回もそうなりそうだ。
「とにかくありがとう。
ほんまに嬉しいわ」
「い、いや、
そない大げさなもんじゃあらへん。
気にせんといてや」
 冷や汗をかきながら、
内心大いに悔やんだ。
思う相手に
熱い思いを素直にぶつけられない
優柔不断な性格を恨んだ。 
 十二月に入り
誕生日を迎えた。
(三十二か。
嬉しくも悲しくもないわ)
今回もアパートの殺風景な部屋で、
ひとり寂しく過ごすしかない。
ついて出るのは
溜め息だけだった。
 誰かがドアを叩いている。
開けると
彼女が立っていた。
(なぜ?)
間髪を入れず
リボンのかかった包みが
差し出された。
「誕生日だったよね。
おめでとう。
この間のお土産のお返しだから、
気にせんといて!」
 一方的にいい、
背を向けて
さっさと去った。
「え?」
 包まれていたのは
ガース・ウィリアムスの絵本
「しろいうさぎとくろいうさぎ」。
たしか一度
彼女に薦められて
読んだことがある。
 彼女の贈り物と
誕生日の昂揚気分が絡まって、
絵本の世界へ
入り込んでしまった。
前に感じなかった
心のときめきを覚えた。
 くろいうさぎの願いは
「いつまでも
一緒にいられますように」
しろいうさぎは
「これから先、いつも一緒にいるわ」
……両想い!
 思わず絵本を抱え込んだ。
(明日、
僕の思いを
正直に彼女に伝えなきゃ!)
 もう迷わない。
彼女のプロポーズに応えなくては、
男として
疑問符がついてしまう。
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