老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1019 電気停止5日間

2019-03-23 04:01:34 | 老いの光影 第4章
夕陽が深く沈む阿武隈川と黒い森には“トトロ”が棲むでいる

 電気停止5日間

私が毎月在宅訪問している家は
アル中の夫は
いまどうにか酒を飲まずに1年が経過した

百円硬貨3枚を見つけると
笑いを噛み殺し
その硬貨をポケット
妻に悟られないよう
散歩する振りして
2㎞先にあるコンビニをめざし歩く

コンビニでワンカップを買い
帰り道は店員にタクシーを呼んでもらい
着払い乗車で、自宅に無事帰還する

この日は
運悪く
コンビニで
デイサービスの生活相談員に遭遇

ワンカップの代わりに
アサヒのノンアルコールビール500ccを買わされ
事業所の車で送ってもらった

妻は気が抜けず
ストレスが溜まる


隣りの家に住む独り暮らしのおババの話になった
認知症が進み
電気が止められたまま5日間暮らしていた
水も出なくなった

心配でおにぎりなど差し入れをした
市内には娘はいるが
電気が停止になったことは知らない

今日は電気工事の人が来ていた
電気が繋がったのかな、と安堵したのもつかの間

隣りの隣りの雄の柴犬に
太腿と踵の上、2個所もざっくりと噛まれ
歯型が深く刻み込まれ 9針も縫った

電気停止 犬に噛まれ
踏んだり蹴ったりの春の生活

管轄の地域包括センターに電話をかけた

1033;「終わり」から「始まり」へ

2019-03-22 04:09:50 | 阿呆者
 「終わり」から「始まり」へ

「始まり」から「終わり」までなら理解できるが
「終わり」から「始まり」へ 
何だろう、と思ってしまう
「平成」が終わり「新しい年号」にバトンタッチする

平成30
平成元年に
老人介護の世界に足を踏み入れ
いまなお介護を止めずに居る

最初は老人保健施設や特別養護老人ホームに身を置き
「家に帰りたい」と呟く老人の本音が聴こえてきた
自分が家に居ることで 家族関係が壊れる
戦争や戦後の貧困に耐え忍んできた老人たち
自分さえ我慢すれば施設で暮らすことなどいくらでも耐えられる

老人保健施設に入所している老人ほど
自分の居場所が定まらないことに不安感や焦燥感を抱き
「家に帰りたい」と叫ぶ

介護施設を飛び出し
在宅介護の世界に軸足を変えた自分

9060  8050
老親だけでなく 子も老い始め
老老介護の様相が更に親子のなかも絡み始めてきた

介護施設では見ることができなかった
老人が家族のなかで
どのような立場や位置に置かれているのか
舅姑と息子夫婦の柵(しがらみ)が根深くあるだけに
介護に深い影を落している

新しい年号に入り
これからの30年は
どんな老いの時代(老人介護)に変化していくのか
他人事ではなく自分自身の事として
老いていくことや老人介護の有り様を
考え実行していく時代の始まりでもある


1018 老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

2019-03-22 03:37:09 | 老い楽の詩
老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

老人は
辛辣な言葉
味のある言葉
人生を振り返る言葉
「無言」の言葉
いろいろな言葉を発する

老老介護
老夫婦共々
長寿の時代になった
喜寿 卒寿を迎え

連れ合いのどちらかが
寝たきりや重度の認知症を患い
重度の要介護(要介護3~要介護5)になると
老いた身の介護はしんどく辛い

それ以上に
昼夜ベッド上で臥床し
ジッと天井を見つめながら呼吸(いき)をし
拾年が過ぎた

寝返りも起きあがりも
老妻(老夫)の手を借りなければできない
我が身の不甲斐なさ辛さ
私は拾年もジッとベッド上で耐えることができるであろうか
そう想うと
寝たきり拾年
凄い忍耐力だと想う

介護を「受ける」
介護を「される」

受身のある生活に見えてしまうけれど
実際は
そうではなく
痛みや辛さにジッと耐え
無言のうちに生きてきた


長年連れ添った妻(夫)から世話(介護)を受けてきたことに
「すまなさ」と「ありがとう」の気持ちが複雑に交錯する

我が身の下肢や体を動かすこともままならぬ不甲斐なさ
「死にたい」と思ったり言葉にしても
死ぬことすらできない

それでも妻(夫)に生かされながら生きてきた
どこまで生きれば
神様は生きることを
許してくれるのだろうか

痩せ衰え
骨が出たところがあたり
体のあちこちに
床ずれ(褥瘡)ができてきた
飲み込むこともしんどく
十分な栄養も摂れず
暑い日々は
熱中症(脱水症)から熱発の繰り返し

それでも生きる老人たちの姿から
私が感じたり想うことは様々


  《私の呟き》

  老いてはじめて
  長い時間
  無駄に生きてきたことに
  気づかされた
  
  後悔しても
  過ぎ去った時間を取り返すこともできないし
  逆戻りすることもできない
  「被介護保険者証」を手にした私は要介護老人予備軍
  老人の仲間になった

  いまさらながら
  老いの身になって
  頑張ったところで
  できることは限られている
  
  青い空の下で
  碧い海の上で
  鴎が飛んでいる風景に
  小さな夢を重ね
  あと数年の短い時間であっても
  いままで無駄に生きてきた時間を
  埋め合わせていければと思う

  何ができるか
  何がしたいか

  老人になった私は
  老人たちに向き合い
  老人の後姿から学び
  老人たちと生きて往く


  ※201866日のブログ771を再掲 一部書き直し

1017 春は草木も老人も元気にする

2019-03-21 13:46:07 | 老いの光影 第4章
白河会津橋から / 阿武隈川と那須連山 


 春は草木も老人も元気にする

8時30分 朝一番に在宅訪問
愛車キャンバスは走る

青山ツヤさん(85歳)
冬の季節は
好きな草取りも出来ず
外に出ることはなく
ジッと炬燵にうずくまったり寝たりしている

家に閉じ籠りのためか
青白い顔で精気が失せ
もんぺと紙ぱんつはずり落ち
腰とお尻を半分露出したまま

訪問するたびに
「〇月△日で死ぬのだ」と
聞こえるように呟くが
その日に死んだことは一度もなかった

うつと認知症が重なりあい
「死にたい」症候群が
蟷螂の首のようにもたげる

阿武隈川が流れる東北の南外れ
桜の枝を見ると蕾が膨らみ
春の訪れを感じる

ツヤさんの家は農家
野菜畑や畦道は
枯草のなかに青草(みどり色の草)が生えてきた
それはまだ処々の青草でまだ背丈も短い

青草を目にしたツヤさんは
意気揚々と右手に小さな鎌を持ち
(草取りにはまだ早い)幼い草を根こそぎ堀起しとってしまう

春になり
草取りをすることで元気回復
春の陽射しを浴びたことで
顔肌はツヤツヤ

春が来た
土から這い出す虫のように
ツヤさんの心も躰も
蠢いてきた

枯草のなかから青草が生え
木々は蕾を膨らませ
桜が咲くのももう少し
春よ来い









1016 倚りかからず

2019-03-21 05:22:35 | 読む 聞く 見る
茨木のり子『倚りかからず』ちくま文庫

倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ

本当~に 暫くぶりに 詩集を手にした
いまの私には、単行本は高くて買えないので、いつも文庫本にしている

『倚りかからず』は早くに単行本として
書店に山積みにされていたことは知ってはいた
先日 文庫本コーナーに
『倚りかからず』が並べられてあり手が伸びてしまった

  
  倚りかからず
          茨木 のり子

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なにを不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


                  『倚りかからず』62~64

じぶんの耳と目で
生きている社会を学ぶ

思想も学問も報道(新聞、テレビ)も社会で起きていることも
じぶんの耳や目や頭を通し見つめてみる
なにが嘘で なにが真実か

詩の終わりの3行
本当に鮮やかなラスト

 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ


背もたれの椅子に
倚りかかっているのは
じぶん
それはじぶんだけの時空間

要介護老人になると
背もたれの椅子は
なくてはならないもの

とくにお風呂に入るときは
背もたれと両肘付きのシャワー椅子があると
安楽に体を洗うことができる

日々介護に追われ先の見えない介護者にとって
背もたれの椅子に 倚りかかり
ゆっくりしたい・・・・

老い往き 
夫婦のどちらかが介護を「受ける」身になったとき
老夫は 老妻に「倚りかかり」が多い



1014 あなたがいるから

2019-03-20 11:47:11 | 犬と人間
 あなたがいるから

beagle元気の呟き

あなたがいるから
あなたを一途に頼りに生きている

散歩にしたって
フードを食べれるのだって
水の補給だって
オムツの取り換えだって

あなたがいるから
生きていける
だからあなたに
精一杯尻尾を振る「ぼく」

日中独りになっても
寝ながら
あなたの帰りを待つ「ぼく」

あなたが休日のとき
キャンバスの助手席に乗り
ドライブのときは最高~
鼻で春の匂いを感じる「ぼく」

1013 要介護老人は弱い人? 強い人!!

2019-03-20 03:56:48 | 老いの光影 第4章
 要介護老人は弱い人 強い人!!

90の齢を超えた寝たきり老人の寝息は
途切れることなく続いている
脳梗塞後遺症、認知症を抱え
寝たきり10年を数えた

10年一昔、と昔の人はよく話していた
今は時代の移り変わりがめまぐるしく一昔は、10年から5年に短縮された

“寝たきり10年”と一言で簡単に済んでしまうけれど
実際に明けても暮れても10年間
ただ只管(ひたすら)滲みがついた天井板や柱に刻み込まれた傷を
じっと見つめながら生き耐えてきた姿に
脱帽することしきり

高熱や肺炎、褥瘡にも罹ることなく
生きてきた
両膝、両肘は拘縮し膝を抱え寝る姿は胎児のよう

おむつ交換をされるたび
拘縮した脚は痛みが走り抜ける
「痛い」と唸り声を出すことなく耐えている寝たきり老人

欲しがりません勝まで、と食べることにも事欠いた戦前
戦争に敗れた日本は
廃墟と貧困のなかで
子どもに食べさせ 親は食べずに生きてきたこともあった
貧困と病気を乗り越えてきた老人たちは
弱い人ではなく強い人であった

大正、昭和そして平成の時代を生き抜いてきた
90歳を越えた老人たちは
頑固 我儘 他人の噂や言動は気にしない(マイペース) 我が路を行くの性格であった
だから90歳を越え寝たきりの状態にあっても生き続けている

要介護老人は
他人の手を借りなければ生きてくことができない「弱者」とみられている
弱者であるどころか「強い人」である
寝たきり10年に象徴される


いま自分が寝たきりなったとしよう
10年間介護ベッドにジッと臥すことができ得ようか
否である




1012 ぼた餅

2019-03-19 13:24:56 | 老いびとの聲
 ぼた餅

彼岸が近づき
いまは亡き人の墓参り

子どもの頃
春秋の彼岸のときには
いつも
母親はぼた餅(おはぎ)を作り
仏壇にあげていた

弁当の代わりにぼた餅を
弁当箱に詰め
持たせてくれた母

もうその母はこの世にはいない

おにぎりに餡子を包んだ
ぼた餅

1011 たくさん生きてしまった

2019-03-19 05:37:27 | 老いの光影 第4章
 たくさん生きてしまった

要介護老人の家々を訪れ
思うこと

昨日は今年の正月
寝たきりの夫を看取った
85歳を超えた妻から
「たくさん生きてしまった」
「(介護から解放され)長男から、これから楽しんで暮らしな」、と言われた。

彼女も要介護認定を受けていた。
日中は独居
同敷地内別棟に長女は住み、夜遅く仕事から帰って来る。

伴侶を長い間世話をした介護者
その後の心のケアも大切

介護終わっても
介護者にとっては
心の整理がつくまで終わりではないのかもしれない

彼岸を間近にして想う

1010  あるがままの自分を受け入れる

2019-03-19 04:30:05 | 読む 聞く 見る
京極夏彦『ヒトでなし』新潮文庫


 あるがままの自分を受け入れる 

3月4日に『ヒトでなし』を手にし
3月18日にようやく読み終えた
仕事も家も妻子も、全てを失った男の話

“ニンゲンの屑”と言われ
全てを捨て いまの地に移り棲んだ
それだけに“ヒトでなし”のタイトルに魅かれ手にした
760頁余りの厚い文庫本

自分の本質(性格)は
そう簡単に変わるものでない、ことを
この『ヒトでなし』を読み
改めて知った。

尾田慎吾は、娘の事故死(殺された)が引き鉄となり
「ヒトでなし」と
もう他人である元妻から言われた


 学習したって修行したって、人は変わらんのだ。
「反省すりゃ失敗は減る。
 学習すれば成功も増える。
 経験積めば効率は良くならァ。
 でも、根っこのところはおんなじだ。
 伸びた枝葉は刈ることもできるだろうが、根っこは弄(いじ)れねえ。
 下手に掘りゃ枯れるよ。
 だから解ったってどうすることもできねえのよ。
 そうでなくっちゃ後悔なんて言葉はうまれなえだろうが」(544頁)


「どうやら俺は、生きてはいたが、生きてたってだけで、人としての生活はしていなかったーようだ」(124頁) 

自分の怠惰な性格は
中学生のときから続いており
いまも変えられずにいる
老いては もう変えることのできない性格
変わらぬ根っこを弄ってみても枯れるだけ
本当にそう思う

いまの自分をあるがままに受け入れる
怠惰、意志薄弱な性格を変えることができなかった、と後悔したところで
今更どうしようもないし、時間は戻らない

「あるものをあるがままに受け入れる、それだけである」(765頁)

本当に生きた、と実感できる日々を
高校生のときに読んだ柴田翔の『されどわれらが日々』(新潮社)
ほろ苦く思い出す

本当に生きた、と実感できる日々がない自分
いったい何をしてきたのか

老境の身にあり残された日々は僅か
いまからでも 本当に生きた、と実感できる日々を
青春に返ったつもりで生きてみる・・・・






 

1009  犬  生

2019-03-18 19:23:47 | 犬と人間
 犬  生

ときどき本ブログに登場する
我家族のbeagle元気
今年の4月8日で 6歳の誕生日を迎える

人が生きる、それは人生とも書く
犬が生きる 「犬生」と書けるが
何だかしっくり来ない
しかし、犬それぞれに生き様がある

野良犬
どういう理由(わけ)で野良犬になったか
それは野良犬自身しかわからない
なかには人間の身勝手な行動で
棄てられた犬もいる

野良犬は
鎖も紐もなく
青空の下を自由に走り駆け抜ける
自分の意思で好きなように過ごす

他方、餌にありつけず「飢餓」状態になったり
犬小屋がないために酷暑や厳寒に晒されたりする
もっと恐ろしいのが
突然やって来る保健所の捕獲だ
「犬殺し」の危険性が自由の反対側にある

犬には罪がない
こんな野良犬に、誰がした


飼い犬
人間様に虐待されない限り
飼い犬は幸せ

二度の食事もあり、寝床もある
散歩は紐(ベルト)に繋がれ
怖い野良犬からも
ご主人様が守ってくれる

自由に歩けない不自由さはあるけど
保障された暮らしは代え難い

飼い犬も
定期受診とドッグフード等による食生活により
人間様と同じく長生きをするようになり
犬にも認知症を患ったり
尿便失禁になり紙おむつの世話になったり
認知症を患ったりして、失「犬」当識になる(笑い)

尿失禁や認知症になるのか
犬が先か 飼い主が先か
わからないが
日々の散歩で互いに足(脚)を鍛え老化防止に励んでいる

1008 働けど働けど・・・・?

2019-03-18 03:21:25 | 阿呆者
 
たんぽぽ


 働けど働けど・・・・? 

今日は、独り言それとも愚痴
自己嫌悪
年金受給者といっても
少ない受給額
働かねば暮らしていけない

働けど働けど・・・・
わが老後は楽にならず
鏡の前に立ち
老けた顔を見る

民家を借り小さなデイサービス始めて4年
融資返済終えるには後6年7ヶ月 働かねばならない
いろいろ悩みは尽きないけど
73歳までは
妻とbeagle元気のために
頑張る

再透析と骨折しないよう躰に気をつけ
こうしてケアマネジャーとして働けることに
感謝し
今日を生きる

在宅老人の後姿から
力(エネルギー)をもらい
今日を生きる


 明けない夜はない
 冬は必ず春になる
 雨は降りやむ
 坂道はいつまでも続かない
 
ちあきなおみの『喝采』は
幕が開き ライトが光る
寂しい歌
いま、彼女はどこでどうしているか・・・

あと6年7ヶ月
明日のために
生きる

そしたら
綿毛のタンポポのように
風を感じながら
知らない町、知らない海に
行こう、と夢見るジジ~です

今日のブログは「読み流し」です(苦笑)



1007 「サザエさん」の音楽が流れると・・・ 

2019-03-17 20:33:43 | 阿呆者
  「サザエさん」の音楽が流れると

サザエさんの音楽が流れると
日曜(休日)の終わりになり
月曜(明日)から仕事や学校が始まる
憂鬱な気持ちになってしまう

休日の前の夜が最高
“今夜は最高”であり至福のとき

旅行でも休日でも
待っているときが
いいのかもしれない

1006 (蒲団のなかで見る)夢の話

2019-03-17 07:27:01 | 阿呆者
(蒲団のなかで見る)夢の話 

《夢》
子どもの頃や若いときは
「将来の夢は何ですか?」と聞かれる。

蒲団のなかで見る夢は
未来よりも過去の風景を見る

夢のなかで思いがけず
逢いたい人に出逢えたときは
懐かしかったり恋しかったりする

今の自分は老けているのに
夢に出てくる人は
最後に逢ったとき(または、別れたとき)の顏や姿であり
その後 成長した顔や年齢を重ねた顔ではない
時間が止まったまま

夢は過去を映し出してくれるが
未来を映し出してはくれない
そういう意味では
夢は認知症の世界に似ているのかもしれない