老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1411;頭空っぽにし、ベンチャーズを聴く

2020-02-22 11:30:32 | 歌は世につれ・・・・


頭空っぽにし、ベンチャーズを聴く

中学生の頃かな
当時、エレキギターは「不良」、とレッテル貼りされた

テケテケの音に乗り 気持ちがよかった

今日は 頭が呆けたような状態
ベンチャーズを聴きながら
ミカンを食べたあと、

いまは、橋本治さんの『九十八歳になった私』講談社文庫を読み始めた。

1410;夜明け前の光

2020-02-21 16:20:38 | 阿呆者


夜明け前の光



腕時計をみたら5時28分だった。
beagle元気はまだ夢の中
顔に手をあて寝ている。

beagle元気を起こし、夜明け前の薄暗い路を歩く。
三日月をスマホで撮ってみたが、三日月に見えず。
(一番上の光が、三日月)

阿武隈川に架けられた橋
オレンジ色の街燈が光る。

関東平野とは違い
いま自分が棲む辺境の地では
狭隘な空間から陽が昇る。

懐中電灯に照らされた霜柱は
ダイヤモンドの如く輝き光を放す。

いまの自分の中に
輝くものが有るのであろうか

beagle元気の眼は
光に照らされ青色に輝いている






1409;永井均著 『子どものための哲学対話』 講談社文庫

2020-02-20 21:32:16 | 読む 聞く 見る
永井均著 『子どものための哲学対話』 講談社文庫


中学2年の「ぼく」と、
家に住む着いた猫・ペネトレの哲学対話

ペネトレは人間の言葉を話す不思議な猫

子どものだけでなく、大人が読んでも「ためになる」哲学対話である

正しいとされてきた常識を疑ってみる
180度ものの見方を変えてみる
そうすると、考え方が変わる。そんな感じ方をさせる文庫本である

序章 最初の5行にこんなことが書いてある
 人間は遊ぶために生きている。
 学校なんか行かなくたっていい。
 うそをついてもいい。
 クジラは魚だ。
 地球は丸くない。

人間は何のために生きているのか?
高校生のときから悩み、老いたいまも悩んでいる。
猫ペネトレは「遊ぶために生きている」、と。
「遊ぶ」というのは、自分のしたいことをして「楽しむ」ことさ。(19頁)

社会のために生きるとか、誰かのために生きるとか、ということではなく。
自分自身に生きる。

ペネトレは「友だちはいらない」と、「ぼく」に話す。
ぼく:人間は、自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなんだよ。
ペネトレ:人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってこそが、
     人間が学べき、なによりたいせつなことなんだ。(69頁)

ペネトレは友だちはいらない、とは言ってはいない。
人間は友だち(他人)や大人の考えに影響されやすい。
そのことに対し、自分は何を感じ、何を思い、
自分という存在をみつめ深めていくことが大切。

自分が中学生のときは、そんなことを考えることもなく
その日暮らしに終わっていた。

中学生は多感であり思春期にあるからこそ、
自分をみつめ、自分のことを知っていく。
自分は いま、なにをしたいのか。

生きていくのは自分である
何ものにも左右されず 自分がしたいことをして
満ち足りた気持ちになっていく

老いたからこそ、残り少ない時間のなかで
したいことを「楽しみ」ながら行っていく
そう思いながらも、遊びの境地に浸ることができずにいる
いつの日か、知らない町や知らない海辺を歩いてみたい

自分が育った北海道
井の蛙大海知らずであり
のんびりと過ごした純朴な中学生だった

文庫本があることも知らず
手にしていたのは少年マガジン、少年サンデーなどであった






1408;1年以上も受診していない・・・・

2020-02-20 04:59:32 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1年以上も受診していない・・・・

自分がいま担当させていただいている
昭和二桁生まれの人は、4分の1おられる。

自分より10歳年上の芳治(よしはる)爺さんも昭和二桁生まれ。
彼は、糖尿病と陳旧性心筋梗塞の持病を抱え
昼夜ベッド上で過ごされている。
歩行器につかまりトイレまで行き用足しをしている。

芳治爺さん、朝食前にインスリン注射を行っているのだが
1年1ヶ月余り、内科受診しておらず
残ったインスリン製剤を使い
1年前に主治医から指示された20単位の量でインスリン注射をしている。

未使用のインスリン製剤があったから
「受診しなくても大丈夫」、と思った。
そう答える老いた妻。

「何も体に異常はなかったの?」、と尋ねるも
「大丈夫」。

「お父ちゃんは苦労して仕事をし、家族を養ってきたから
 好きな酒を飲ませてあげたい、と思い 毎晩ワンカップを
 飲ませている」、と話す長女。

「何故、病院に行けなかったのか」
妻は、「車に乗せてくれる人がいない」「お金がない」「インスリン製剤があったから」などと
答え、受診せずに自己判断でインスリン注射をされていることの重大さに気づいてはいない。

年金などの収入が入ると、使い切ってしまうため
医療費に充てるお金が無くなってしまう。

通院等乗降介助(ヘルパーによる通院介助)のサービスを組み
来週の火曜日 内科を受診できるよう、病院内科外来に電話連絡をした。
自分も診察のときは同席しようと思っている。
予約なしの受診なので、午前中3時間待ちとなり、溜息が出てしまう。



1407;探しものは見つかりましたか

2020-02-19 04:47:44 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


探しものは見つかりましたか

在宅訪問に行ったとき、小竹婆さん(85歳)の話
最近、物忘れが出始めてきたのかな?
耳が遠いので補聴器を使用している小竹婆さん。

補聴器をどこに置いたのか
60分近く ベッドなどあちこち探し続けたが
まだまだ見つかりません。

失くすので息子は、高い補聴器は買わない。
いままで何個の補聴器を失くしてきたのか
探し疲れた彼女

ふと、右耳に手をやると、硬いものが手に触れた
「あった ❣」
大切な補聴器は耳の中へしっかりとはめ込まれていた。


井上陽水さんの『夢の中へ』の歌も
探しているけど なかなか見つかりません

探しもので一番見つかりにくいものは
人生の目的なのかもしれない



1406;いま、していることを大切に・・・

2020-02-18 03:48:06 | 阿呆者
橋の向うは明るい未来が待っている

いま、していることを大切に・・・

老いに入り
残り時間が少なくなってきた、と思うか
いや、まだまだこれから、だと思い直し
いま、していることを大切に
やれるところまでやることだ。

老いても
いま、していることの他に
新しいことに興味関心がわき、やってみたい、と思うときがある。
チャレンジしてみようか、と不図頭の中を過るが止めることにした。

いまの自分は老いの最中(さなか、”もなか”ではない)にあり
まずは、いま、していることを大切にしていく
欲張らないことだ
あれもこれもできる齢(とし)ではない。

不図、そんなことを思った老いびと此処に在り

1405;いま、生きていたひとが、 亡くなり、「いま」、居ない

2020-02-17 04:47:29 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
いま、生きていたひとが、 亡くなり、「いま」、居ない

昨日の朝 散歩しているとき
浩子婆様の長男が運転する軽ワゴンが止まった。
「昨日 婆さんが亡くなった」
「最期は見送りができたんですか」、と尋ねると
「前の日から泊りこみで付き添っていたので見送りはできた」
「それはよかった。本当に長い間お疲れ様でした」

介護用ベッドと歩行器の利用だけで
在宅介護を8年間してきた長男
老いた母と長男の二人暮らし
兼業農家をしながらの介護

今年の一月末、尿管結石からくる尿路感染症で入院
齢、97歳になる
日中はベッドで生活するも
ポータブルトイレで排せつを行い
歩行器を使い、寝室から居間で歩き
炬燵で長男が用意してくれた食事を摂っていた彼女

またひとり90歳を超えた老いびとが亡くなった
「な(亡)くなる」は「居なくなる」ことであり、寂しく切ない
血のつながった家族ならば、それ以上に寂しさや哀しさは深い

いま、生きていたひとが、
亡くなり、「いま」、居ない

「今」「居間」「在る(存在)」という3つの言葉から、思うことがある
「今」は、いま自分は生きている
それは自分がこうして、家族とともに「存在」していること
家には「居間」があり、家族がみんなが「今」、「居間」に顔を揃え
食事や語らいのひとときを過ごす。
家族と「居る」「時間」をともにする場所が「居間」なのだ。

居間から、浩子婆様が居なくなる
昨日居たひとが
今日は居ない
そう思うと切なく悲しく寂しさが襲ってくる

昨日彼女の顔を拝ませていただいた
安らかな顔をしていた。



1404;再び「老い楽の詩」にブログ名を変えました

2020-02-17 03:21:22 | 老い楽の詩
朝陽が昇る前の阿武隈川風景

再び「老い楽の詩」にブログ名を変えました

移り気な性格なのか
それとも飽きっぽいのか
一貫性がないのか 持続性がないのか
自分でも呆れかえっているけれど

ブログ名を「老いびとの詩」から
「老い楽の詩」に戻した。
自分はれっきとした老人の範疇にあり
複数の病を抱え、ときには杖を頼りに歩くときもある
疲れたり気が落ち込んだりすると
なんのために生きているのか、わからなくなるときがある

気持ちを入れ替え
「したいことをして老いを”楽しむ”」こと
老春の季節を楽しんでいく
そう思い、ブログ名を変えてみた。

引き続きよろしくお願いします。

1403;牛も人間も同じ

2020-02-16 05:57:25 | 阿呆者
昨年、北海道帰省したときの写真

牛も人間も同じ

ご両親とも要介護認定を受け
介護サービスを利用されている家族がある。

老いた父母は、戦後、未開の地を開墾し
酪農牛乳を始め、いまは長女夫婦が継いでいる。

冷え込みが強い朝でも4時半過ぎには起き
牛舎に向かい搾乳を始める。
毎月のようにお産があり、徹夜で赤ちゃん牛の出産を見守る。

長女夫婦に「牛も人間と同じで、性格はそれぞれ違うのでしょうね」と尋ねる。
「気の強い牛もいれば、穏やかな牛もいます。気が荒い牛のときは、蹴られない
よう搾乳のときは注意して行います」

「難産して生まれきた子牛や病弱な子牛などは育てるの手がかかってきたような牛は、
可愛いでしょうね」
「可愛いですね。苦労し手をかけ育ててきたことは牛もわかっています。性格は穏やかで
優しさを感じることもあります」。

手をかけ愛情を注ぐ
病弱な体質を乗り越え、苦労や辛い思いをしてきた分
牛も優しい性格になる
牛も人間も同じ

そんなことを思い出しながら
牛乳の味を噛みしめたい、と思った。



1402;枯  葉

2020-02-15 19:51:14 | 阿呆者
枯  葉

夜明け前の暗闇
犬に連れられ路を歩いていたら
裸木の枝から枯葉の落ち、カサッと落とがした
そのとき息を引き取った老人がいた
春の風が吹き 枯葉が空に舞い上がった
枯草の間から蕗の薹が顔を出していた


1401:河島英五 「石仏」

2020-02-15 08:23:22 | 歌は世につれ・・・・


河島英五 「石仏

河島英五の歌は、人生哲学や思想がある
「酒と泪と男と女」「時代おくれ」などが歌い継がれているなかで
「石仏」という歌がある

いつ作詞作曲されたかわからないけれど
聴いていると 石仏の情景が浮かぶ

貧しい時代の貧しい村に
貧しい家族があった
子どもが産まれても育てることはできず
間引きされた時代もあった

嗚咽混じりに子どもを死なせた母親が
涙で固めて作った石仏

貧しい農家にも
赤紙一枚(召集令状)が届き
お父や息子たちは戦争にかり出された
異国の戦死した男のために
戦恨み弔いながら作った石仏

人を殺した哀れな男が
生きてる事の 悲しみを
背負いきれずに 作った石仏

名も知れぬ村の外れ路傍の石仏
ずっと昔その昔の前から
石仏は雪に埋もれ雨風にうたれ
時代の流れをみつめてきた

貧しい人の悲しみや辛さ
石仏は分かち合ってきた
石仏は雪に埋もれ雨風にうたれ
じっとその場所で
貧しい人の悲しみや辛さを背負ってきた

だから石仏の目は慈愛に溢れているのだろう


作詞 作曲 河島英五 「石仏」 

山の奥の 道のはずれの
小さな石の仏
何百年も昔から
時の流れを じっと見ていた
子供死なせた 母親が
涙で固めて 作ったか
戦で死んだ 男の為に
戦 うらんで 作ったか

女を犯した 哀れな男が
やむにやまれず 作ったか
生きてる事の 悲しみを
背負いきれずに 作ったか
だけどこれは
どこかのお金持ちが
作った物ではないだろう

いく度か 季節の移り変りの中で
喜びを分かちあってきただろう
雪に埋もれ 雨風にうたれ
悲しみを 分かちあってきただろうだから
こんなにしっかりと目を閉じている

いく度か 季節の移り変りの中で
喜びを分かちあってきただろう
雪に埋もれ 雨風にうたれ
悲しみを 分かちあってきただろうだから
こんなにしっかりと目を閉じている



1400;99歳のお婆さん 2月15日退院となります

2020-02-14 19:23:32 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳のお婆さん 2月15日退院となります

98歳のお婆さん
実は99歳になっていました
年齢早見表の見間違い、失礼しました

昨日、登喜子婆さんが入院している総合病院地域医療連携室の担当医療相談員に電話をかけた
「食事も摂り、元気になり、退院できるかもしれないよ」、と話され、
彼女の生命力、回復力に驚くと同時にホッとしました。

「今日午後2時に病室を訪問したい」、と医療相談員に電話により伝えた。
午後2時、長男夫婦と待ち合わせ、退院に向け医師とも話し合う機会を持つことができた。

医師からは「軽い肺炎は治癒した。99歳であり、入院が長引けば、退院できなくなってしまう。
早く家に帰り普通の生活に戻すことが大切です。
老人には白い壁は”害”になるだけで、認知症も進んでしまう」、
と話されたことに、心のなかで拍手喝采の心境でした。

明日、退院できることになり
登喜子婆さんにそのことを耳元で伝えると
皺がある顔は、皺が動き満面な笑顔になる。

明日は土曜日だけれども
在宅訪問し、これから在宅でどう介護をすすめていくのか
本人交え長男夫婦と話し合うことになった。


1399; 運転免許証

2020-02-14 05:07:08 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
運転免許証

wifeは疲労困憊
自分の「せいかな」(自分が原因かな)
入退院後は1週間に1回の通院付き添い
片道110㎞の道のり
休みを通院付き添いにあて 休む暇もない

昨日はしばらくぶりで
行き帰りの大半は自分がハンドルを握る
白内障もありサングラスをかけ運転
ガラの悪い不良爺爺に見られたことであろう

躰が不自由になったり、80歳を超えたりすると
運転免許証を返納することになるんだろうな、と
運転しながら「ふと」思った

朝夕の一便しかバスが走っていない地域では
車がないと不便で陸の孤島のような感じ
在宅訪問すると
介護されている伴侶(老夫)から
1週間に1回の買い物と月に1回の通院は
車(軽自動車)がないと困る

80歳を超え物忘れを出始め
心配した子ども夫婦は車のカギをとりあげた
それを契機に 認知症が進行した父親

人、地域社会とつながりが切れ、家にいるだけの「暮らし」は
刺激がなくなり萎れた花のように生気が失せる

そんなことを思いながら、運転してきた。

1398; 入院した98才のお婆さん

2020-02-13 10:00:58 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
朝6時頃の阿武隈川と那須連山の風景

入院した98才のお婆ちゃん

先日のブログ 高齢者の脱水症状のところで
登場した98才のお婆ちゃん
一昨日の朝、訪問した。

朝食を終え、ベッドで寝ていた。
「登喜子さん〜、おはよう〜」と言葉をかけると、
かけ蒲団から顔を出し、私の顔がわかりニッコっと笑う。

朝食のとき一口二口のお茶を口にしただけで
唇や口の中は乾いていた。

心配し、訪れてくれたことが登喜子婆さんにとり
凄く嬉しく、翌朝3時に起き出し
デイサービスに行く用意をしていた(昨日の話)。

デイサービスに行き、登喜子さんを迎えた。
午前中は、張り切りよく話をされ、昼食も完食。
その後は、疲れたのか、ベッドで休まれた。

15時半頃、登喜子婆さんは、突如怒り出し
意味不明な言動も見られ、せん妄状態になった。
脱水症状によりせん妄が出現することもある。

登喜子婆さんは興奮し、介護員の手指を
物凄い力で握り締めていた。
デイサービスのスタッフから呼ばれ
私は腰を屈め、「登喜さん〜」、と声をかけ、
片方の手指に手をだすと、手指の力を抜き
握り返してくれた。

SPO2は測定できず、意識も朦朧としていたこともあり
救急車を呼び地元の 総合病院に搬送された。
軽い肺炎と脱水症により入院となった。

登喜子婆さんは、自宅に居る時は
救急車を読んでも「乗車拒否」をされ受診しようとはしない。



他人様や長男嫁の手を煩わせることが許せなく
自分のことは自分でする、といった気丈さを保ち続けている。

今回は、デイサービスに来てくれたお陰で
救急車に乗り受診することができた。

入院し肺炎や脱水症は完治に向かうが
嚥下の低下、認知症の進行など杞憂され
98才のお婆ちゃんは幾たびの峠を乗り越えていかねばならない。

いま、自分は、自治医科大学附属病院外来待合室にいる。
今日は、腎臓外科と感染症科の受診
採血の結果、クレアチニンの数値が1.4になり、ホッとしているところである。





1397;死に向かって生きる

2020-02-12 05:08:05 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


死に向かって生きる


人間、おぎゃあ、と産まれた瞬間から
死に向かって生きる運命を背負う。
即ち、「人間、死ぬために生きる」。

「お前は死ぬために生きているのか」、と反論、反感を買ってしまう。
人間に限らず 草花木や人間以外の動物も含めた生き物は、
みな「始まりがあって終わり」がある、といったように有限の生き物である。

どうせ死ぬのだったら、努力や苦労して生きても意味がない
好きなように自由に生きた方がいい、ということで
刃物を振りかざし他人を殺傷するという自己中心的な言動も甚だ迷惑であり、
許されるべきものではない。

「人間、死ぬために生きる」
それは、死ぬまでつまり生きている間は、どう生きてきたか、ということが問われてくる。
蝉のように、俺は此処に生きているぞ、と短い夏の間必死に鳴き叫んでいる。

『365日の紙飛行機』の歌が好き
歌詞のなかに「その距離を競うより
どう飛んだか、どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ」


死に向かって、「どう生きたか」が大切なんだ、と
紙飛行機は空に舞い上がり、心のままに飛んでいった。