老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

悪夢 超最悪 ”信じられな~い”

2020-09-19 18:04:35 | 阿呆者

1683 悪夢 超最悪 ”信じられな~い” 

今日の朝の出来事である
元気よく最初の在宅訪問を終え
キャンバスに乗り 発進した
何だかアクセルを踏む右足から
鼻がよじれるような嫌な臭いがしてくる。
1軒目の訪問先の庭で何かを踏んだ・・・・。

だんだん臭いがきつくなり
2軒目の訪問宅に到着した。
急いで車から降り右足のシューズを見てみた
なんと! 糞がベッタリ付いていた
猫の糞なのか⁉ (猫の糞は臭~い) 
悪夢 超最悪
車のマットレスには ”信じられな~い” 光景を眼にした・・・・

それは白い蛆虫(うじむし)が3ぴきも蠢(うごめ)いていた
1軒目の在宅訪問先の庭に糞があったことに気がつかなかった自分
注意力がなかった自分が悪いのか
人間、足元を見つめ行動しなければいけない・・・・

車に積んであった新聞紙と ティッシュ ペーパーで糞を取り除いたが
溝に食い込んだ糞は拭きとれず 水で洗わないとダメだ
手指に便が付いてしまい
訪問先の洗面所を借り手を洗った。
助かった。
在宅訪問先の嫁様には「手に糞が付いたとは言えずじまい」
「ありがとうございます」のお礼の言葉だけを控えめに話す。

2軒目の訪問を終え
桜デイサービスセンターに立ち寄った。
屋外の水道を借り、不用になった歯ブラシで
右足のシューズ裏側の溝にこびりついた糞を取り除いた
糞はなくなったが臭いまでは除去できなかった
明日晴れたら天日干しをしたら臭いがとれるかな

ついていない自分
付いてきたのは糞とは・・・・・


守る人がいるから 生きれる・・・・

2020-09-19 08:20:18 | 老いびとの聲
snoopyの📅から拝借

1682 守る人がいるから 生きれる・・・・


守る人がいる
その人にとり守る人は誰であろうか

家族
恋人
・・・・

自分にとり守る人は
wifeとbeagle genki
守る人がいるから 人は生きれる

まだ70歳を超えたばかりの男がいる
その男は独身を通し、ひとり暮らし
肺癌から躰のあちこちに骨転移
両親は既に他界

「家に帰りたい」と退院した割には
生きるという気迫が感じられず
ヘルパーに頼りきりで
「できる」ことは自分でやろうという意欲もない
やりたいことはないのか
唯一テレビだけがお友達
スマホはあるものの話す人もいない

彼にとり
守る人は「いる」のであろうか
(そのことを彼に尋ねたことはない)

守る人がいるか、いないか
守る人がいるから 癌という厄介な病にも立ち向かい生きていく
守る人がいるから 限りある残された時間 
最後の瞬間まで尽くし生きていこう、と思う





在宅訪問

2020-09-18 05:22:11 | 阿呆者

霧に霞む阿武隈川

1681 在宅訪問 

薬は「薬」にもなり「毒」にもなる
いま13種類服用していて
朝は13錠 夜は7錠
他に点眼薬3本あり

薬で気になるのは副作用
貧血や血漿が破壊されたり
また骨粗鬆症も進行
いま貧血が進み疲れがひどく階段の昇りがきつく
足が上がらない
長くデスクに向かうと両足が浮腫む
寝ているのが一番

在宅介護者の苦労に比べたら
愚痴や弱音を吐いてはいられない

今日は在宅訪問6件
明日は土曜日だが、在宅訪問5件
を予定している。

いま私は28人の要介護老人のケアプランを担当している
多いときは39人のときもあった。
コロナウイルス感染の影響で新規の介護相談が入って来ない

愚痴を聴いて欲しくて待っている家族介護者もおられる
8時に自宅を出て、6人目の訪問は16時30分頃である。
さあ、今からbeagle genkiの散歩に行き
その後朝風呂に入り 朝ごはんを食べ 出発だ~。


死ぬより生きる方が大変

2020-09-17 08:43:40 | 老いびとの聲

草むらに咲く秋桜

1680 死ぬより生きる方が大変

これから更に老夫婦世帯が増えてくる
老いてもお互いに元気なうちは、平穏な日々が続く。
老いを嵩ね病を患い 介護を要する状態になったとき
夫は妻に世話(介護)をしてもらいたい、と欲しているが
昭和二桁の夫婦は、どうなのであろうか。

要介護状態になる前の夫婦関係がどうであったのか
どちらかが先立たれたとき弱いのが男性(老夫)である
自分もその一人であり炊事洗濯掃除の家事をせねばならなくなるが
なかでも厄介なのが「炊事」である。

老いて要介護にならぬようにするには、「歩ける」ことが不可欠。
赤ちゃんも老人も「歩行」の意味は大きい。
赤ちゃんの「第一歩」はアポロの月面歩行以上に遥かに偉大であり
老人の「歩行維持」は移動の自由を失わない意味で大切なことである。

一昨日退院し自宅に帰ってきた春男さん(70歳)
左足に短下肢装具をつけ4点杖でどうにかトイレまで「歩ける」が
左麻痺と左右の腸骨骨転移のため転倒リスクが隣り合わせにあり、ひとりでは歩けない。
彼はひとり暮らしのため、「歩き」による移動は禁じられ、「車いす」で家の中を移動する。
夜は、紙おむつをつけ、朝8時にヘルパーが訪れる。

ず~とひとり暮らしをしてきたから
自分が思っているよりは、夜ひとりで眠ることは「慣れて」いるのか・・・・。

人間ひとりでは生きてはいけないことはわかってはいるが
「歩く」ことができない不自由さは、もどかしく情けなく諦めの気持ちになってしまうのだろうか
できることはなにか、経済的なことも絡むだけに難しい
それ以上に老い末期癌を抱えひとり生きていくのは大変である。





ゼンマイ時計

2020-09-16 20:46:10 | 阿呆者
路の真ん中で烏が2羽たむろしている


1679 ゼンマイ時計

いま、時計は電池式のものが多い
ゼンマイ時計は味があったような気がする。
ネジを巻かないと時計の針は動かなくなる。

いまの自分、ネジを巻いても巻いても動きが鈍い
ゼンマイが切れた訳でもないのだが
いまひとつパッとしない。

仕事は遅々として進まず
時間は容赦なく時を刻む。
時間は逃げないのだから
時間を無駄にせず、何事も段取りが大切なの哉・・・・。



月が雲に隠れるように

2020-09-16 05:42:08 | 読む 聞く 見る
1678 月が雲に隠れるように

認知症老人は
先ほど話したことも忘れ
また同じことを話す

同じことを「聞く」のは疲れる
こっちがおかしくなってしまう、と
認知症老人を疎む

同じようなことを話しをしていても
本人にしてみれば
常に新しい出来事として話をしている。



『すみなれたからだで』(窪美澄、河出文庫)のなかに「朧月夜のスーヴェニア」という短編小説がある。
その小説のなかで「なるほど」と膝を叩くよう文に遭遇した。
「私は認知症ではない。新しいことを覚えたくないだけ。
新しい記憶がおさまらないほど、古い記憶で頭のなかがいっぱいなのだ。
だから、時折、月が雲に隠れるように、家族の顔や、住んでいる場所や、
自分の名前や年齢がわからなくなる。」
(173頁~174頁)

認知症老人は朧月夜みたいな感じなのかな
朧げではっきりとわからなくなることもあり
「月が雲に隠れるように」、先ほどまで覚えていた記憶も忘れわからなくなる。


遺  骨

2020-09-15 08:50:20 | 老いびとの聲
1677 遺  骨

窪美澄さんの文庫本『すみなれたからだで』のなかに
老父を東京都の山奥にある特別養護老人ホームに
棄てに行く話がある(「父を山に棄てに行く」)。
(現代版楢山節考なのかな)
その老父が老人ホームでなくなり
兄弟で葬式をあげ火葬を行う話に続く(「インフルエンザの左岸から」)。

「係の人に、大きな骨は隆と俺がそれぞれ長い箸で一緒に持ち、
骨壺の中に入れるように言われる。いくつかの骨を入れていくうちに、
骨同士がぶつかる乾いた音がした。細かい骨や粉はのようになった骨の屑を、
係の人がちりとりのようなものでかき集めて骨壺に入れる。
あっけないもんだ。」
(43頁)

火葬場は遺族にとり深い悲しみに襲われながらも
焼かれ出てきた骨を骨壺の中に入れていく様子に
人間の生死の「あっけなさ」を感じたことは
自分にもあった。

それだけに人間は、死の対極で、生きていることの意味を問い思うのかもしれない。

隆の兄は「(自分が亡くなったときでも、あるいは棺に入ったときでも)額に触れてくれる
誰かの手のひらだけが欲しいと強く思った
」(49頁)
無縁仏のように独り寂しく亡くなりたくない。
亡くなる寸前まで人の温もりを、誰しも求めている。

棺のなかでどんな形で安置されるか・・・

2020-09-14 16:17:36 | 阿呆者
1676 棺のなかでどんな形で安置されるか・・・


bing.com/imagesより引用


病院からwifeの実家に戻り
昼食をとってから昼寝になった。

私が仰向けで寝ていたら
隣で寝ていたwifeは「死んだらいくらでも仰向けで寝れるから、左側に向いて寝て」
私 「死ぬまでまだ先のことだから、仰向けで寝るよ」
( 寝たら私のイビキが煩いので、左側に向いて寝て、wifeは右側に向いて寝ている)

wife「棺は仰向けで寝ているけど、私は横向けに寝せて欲しいな。
   窓は側面につけてもらって障子タイプにし引き戸にする」
私 「そうか。横向けにして安置した欲しいときは、遺言書に書いておいた方がいい哉」


止まった記憶

2020-09-14 06:21:52 | 老いびとの聲


1675 止まった記憶

今日は月曜日なので
自治医科大学附属病院感染症科外来受診の日
今日はwifeの実家から病院に行くので
6時30分に家を出る。

話は変わり
深夜に眼が覚め眠りに入れず
枕元にあった窪美澄さんの『すみなれたからだで』(河出文庫)を読みはじめた。
3時過ぎ再び眠りにつき
4時半頃 beagle genki に起こされた。

またまた話は変わり
自分の父親は43歳の若さで病死した
自分は17歳であった。
いま自分は老いの容姿になったが
老いた父の顔を思い浮かべることはできない

父の顔は43歳で止まったままである
死んだ以降の記憶はイメージすることができない

望郷の念をそそった”露営の歌”

2020-09-13 08:39:24 | 歌は世につれ・・・・
1674 望郷の念をそそった”露営の歌”



NHK連続テレビ小説『エール』が再開する
日中戦争に入り軍歌が流行り、なかでも『露営の歌』のメロディーは
哀調と望郷の念をそそった。

農村などの若者たちを赤紙1枚で戦地に駆り立てられ
親や妻、兄弟、祖父母たちは)心では泣いて見送ったのです。
戦況が思わしくなり、白い箱に入って帰還したのでした。

自分は戦争を知らない子どもとして育ち
軍歌を歌うことに忌み嫌っていた。
古関裕而さんの人柄や曲を聴いて
『露営の歌』が心に沁み、当時の若者はどんな思いを抱き
異国の地で戦闘(たたかい)に挑んだのか
あらためて軍歌や戦争を見つめなおすことができた。

「欲しがりません勝つまでは」の時代のなかで軍歌が浸透し歌われ、
国民を総動員した戦争があったことを忘れてはならない。
こうした「歴史認識」の上で、戦争を繰り返してはいけないし
また、東京大空襲、ヒロシマ、ナガサキの悲惨な状況を繰り返してはいけない。


露営の歌  
作詞:薮内喜一郎
 作曲:古関裕而
 歌唱:霧島  昇
 編曲・制作:滝野細道

勝って来るぞと 勇ましく
ちかって故郷(くに)を 出たからは
手柄たてずに 死なりょうか
進軍ラッパ 聴くたびに
瞼に浮かぶ 旗の波

土も草木も 火と燃える
果てなき曠野 踏みわけて
進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
明日(あす)の命を 誰が知る

弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
しばし露営の 草まくら
夢に出てきた 父上に
死んで還(かえ)れと 励まされ
醒(さ)めて睨むは 敵の空

思えば今日の 戦闘(たたかい)に
朱(あけ)に染まって にっこりと
笑って死んだ 戦友が
天皇陛下 万歳と
残した声が 忘らりょか

戦(いくさ)する身は かねてから
捨てる覚悟で いるものを
ないてくれるな 草の虫
東洋平和の ためならば
なんの命が 惜しかろか






 



 


 





 

幸せな爺様

2020-09-12 16:28:29 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1673 幸せな爺様


         月1回のネイル(右手親指限定)snoopyです! 皺皺の指ですね。

ショートステイ(短期入所生活介護)の利用は
認知症老人にとり「諸刃の剣」になる場合があります。

認知症老人がショートステイを利用されると
おもらしが増えたり、”ぼ~”としていて認知が進んだような感じがしたり、
自分で「できた」ことが「できなくなった」りする。
混乱や不安が増幅し、自宅に戻ってから介護者の手間が増えてしまう。
介護休息の目的で利用したが、かえって疲れてしまう・・・・。

大森昭治さん(90歳)はアルツハイマー型認知症と糖尿病を患っています。
息子夫婦家族と暮らしています
2世帯住宅のため実質的には昭治爺様は1階で「ひとり暮らし」のような状況にあります。
最近は、間に合わず、掃き出しからドアを開け立小便をしたり、紙パンツを換えずに何度も排尿をしています。
ズボンの前は尿で滲みています。

そんなこんなで自宅での生活は難しくなりつつ、長男、長女は将来は特別養護老人ホームの入所を考えています。
それに先立ち、まず特別養護老人ホームが併設しているショートを9月から2泊3日の期間で利用することになりました。

デイサービスは月、水、土と利用していたのですが
ショートの利用によりデイサービスは月と土となり
ショートは毎週水曜から金曜日です。

最初のショート利用は、スムーズにいくかいかないか、不安でした。(コロナで面会できないだけに状況がつかめないが困る)
子どもたちやケアマネの不安をよそに
本人はショートでの泊り先は、「旅館に泊まってきた、温泉に入ってきた、とてもよかった」、と
デイサービスの職員に話され、満足そうな表情でした。

特別養護老人ホームの風景が、どう旅館に映ったのか
昭治さんにしかわからないけれども、彼に「素敵な仲居(介護職員のこと)さんがいたかい」と尋ねると
ニヤッと笑っていました(施設長は支配人になります)。






”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ➌ ~家で暮らしたい~

2020-09-12 04:03:32 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

                雨に濡れ色濃く咲く露草

1672 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ➌ ~家で暮らしたい~

春男さん(70歳)は、肺癌であることは理解されているが、
癌の症状が予想以上に進んでいることについての認識は甘かった。
ステージ4の段階にあり、彼自身が癌をどう受けとめているかは、知ることはできずにいた。

東京の下町で定年近くまで働き、定年後に生まれ故郷に帰ってきた。
アパート住まいで独身生活を通してきた。
2階建ての家に憧れ、ひとりで住むにはもったいないくらいであったが2階造りの家を建てた。
映画を見るとか、お茶を飲むとか、旅行に行くとか、そんなふうなことをしたことはなく、
年に2,3回、知人と川釣りに出かけるのと盆正月に実家に帰るくらいであった(実家は甥夫婦が継いでいた)。

担当医からは「覚悟してください」、と言われたが、
いま症状は小康状態にあっても、急激に悪化し命が短くなることもあるかもしれない、という意味なのか。
”命ある間に何をしたいのか” ”やりたいことはなにか” と彼に尋ねてみたくなるが、言えずに抑えてしまっている自分。

「痛み」に打たれ弱いのは彼ばかりではなく、一般的には女性に比べ男性は痛みに打たれ弱い生き物なのであろうか・・・・。
ときどき様子を見にきてくれる実姉やヘルパーに対し
彼から「あれが食べたい、これが食べたい」、と話す人ではないので
「食べたい物」を聞き出したり、果実や饅頭が好物なので、買ってきてあげ食べさせて頂きたい、とお願いをした。

残された晩年、残された時間、春男さんの楽しみは何か、何がしたいのか、
自分が建てた家でどう過ごしていきたいのか。
(この問いかけは彼に対してだけではなく、自分自身への問いかけでもある)
癌も進行し痛みも増し拡がっていく。
自宅と病院の間を往復することも増えてくる。

9月15日に退院し、自宅での生活が始まる・・・・。




”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❷

2020-09-11 15:00:54 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

               令和2年9月11日の朝 阿武隈川の辺から

1671 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❷

総合病院の地域医療連携室を通し
呼吸外科担当医に春男さんが右足の大腿部、股関節に痛みがあり、立ち上がりや立位も大変になってきたことを
「医師とケアマネジャーの連絡票」に記載しFAXをした。
(2日後に入院を予定していた)

入院の翌日 早速検査を行い、その結果健側である右大腿骨骨頭と患側の腸骨にも骨転移が認められた。
(医師から回答を頂いた)

放射線治療の開始となったものの、痛みのため体を動かすことはできず
ベッドごと移動しながらの放射線治療となった。

コロナウイルス感染防止のため面会はできず、医療ソーシャルワーカー(医療相談員)からの情報が唯一であった。
放射線治療が終わる頃、理学療法士、看護師、ソーシャルワーカーと話し合う機会をもつことができた。
現状では、左右の腸骨や右足の大腿骨骨頭に負荷をかけないためもあり、
起き上がりや端坐位(ベッドの端に座る)をすることもできない状態にあった。
このままの状態が続くと、在宅での生活はできるかどうか・・・・。

放射線治療を終え、ナルサス錠2mg(がん疼痛治療薬)が投薬され、
春男さんは痛みの最高を10としたら、いまは痛みは1の状態で、体調はいい、と話された。
理学療法士に最低限 ベッドから立ち上がり、立位保持ができ
立位の状態から車いすへの移乗、車いすからベッドへの移乗ができることを目標としてお願いした。

1週間後に春男さんと理学療法士に面会。
担当の理学療法士から嬉しい報告を聞くことができた。
見守りにより4点杖歩行が10m程度できるようになったこと
右手でベッド柵につかまり起き上がりができる(時間はかかるが)
端坐位から立ち上がり(疲れるとできないときもある、タイミングによりできる、できないときがある)
立位保持から車いすやベッドに乗り移りができる

移乗動作をクリアしたことで、何とか在宅に帰ることができるまでになった。

しかし入院前のときは、左手足の麻痺がありながらも、オーブンからおかず皿を取り出し、テーブルまで持っていくことができた。
いまの状態では、それを望むことは無理なことであった。

ではどうするか・・・・。
悩み考えた結果、4人掛けのテーブルを設置し、テーブルの上にオーブンを置けば
座ったままでオーブンからおかず皿の出し入れができる。
宅配の食材の利用とヘルパーの調理、後片づけの支援を得ることで食事はできるのでは・・・・。
やってみないと分からない(無責任な言葉に映るが、やりながら考えていく)

トイレが一番悩みであり心配であった。
自宅ではいまの歩行レベルでは一人で歩いていくのは転倒リスクが「大」であった。
本人は「できる」と過大評価のところがあった。一人ではいかないことを何度も何度も念を押した。
ではどうするか。

自宅では、夜間は紙おむつ(テープ式)、昼間は紙パンツの着用となった。
デイサービスでは介護員が付き添いトイレで用足しを行う。
お風呂は、自宅の浴室に手すりを設置しシャワー浴を行う(ヘルパー 身体介護、浴室には暖房設備あり)。
通院、入退院のときは車いすごと乗り降りできる介護タクシーを利用。

そうした内容をケアプランに入れ
退院6日前に病院でケースカンファレンスを持った(病棟看護師、担当理学療法士、医療ソーシャルワーカー)。
医療ソーシャルワーカーにお願いし介護サービスを提供される
居宅サービス事業所も出席できるよう段取りを行った。

※訪問リハビリ;作業療法士、訪問介護(生活援助、身体介護、通院等乗降介助)、地域密着型通所介護、福祉用具貸与、住宅改修、紙おむつ受給申請
介護保険以外のサービスは食材の配達(食材宅配業者)、お姉さん(通院付き添い、安否確認)

訪問介護は 8時から9時 毎日利用 排せつ支援、調理、後片付け
      12時から12時40分 調理、後片付け(9月のみ、10月はなし)
      17時から18時 毎日利用 排せつ支援、調理、後片付け、掃除、洗濯
訪問リハビリ 20分×2回/週
地域密着型通所介護(デイサービス) 週3回
福祉用具貸与 特殊寝台 特殊寝台付属品(サイドレール、マット、介助バー) 車いす 車いす付属品(クッション) スロープ
住宅改修 トイレと浴室内の手すり

9月1日付けで要介護認定区分変更申請を行い(要介護3にある)、
今日介護保険係担当者から電話を頂き、1次判定では「要介護4」の結果がでた
ケアプランは「要介護4」で策定した。
区分支給限度額を超え、金額にして自己負担額(10割)は4万円を超えているが
介護保険高額介護サービス費の申請を行い自己負担の軽減を図っていきたい。

肝心の本人 春男さんは家に帰るにあたり
どう思っているのか、は ➌に書いていきたい。
退院は4日後である。








”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❶

2020-09-11 03:25:08 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

“不在家主” 桜の葉は色づき秋の訪れを感じる


1670 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❶

認定調査員(嘱託職員)は、認定調査(要介護認定区分変更)を終えたときに
実姉(別居)に「彼は在宅で生活するのは難しいのでは・・・・」、と話した。
不安になった姉は私のところに電話をかけてきた。

不用意な言葉をお姉さん(75歳)に話をしたものだ、と某認定調査員の言動に怒りを覚えた。
退院が決まり、明日病院でケースカンファレンスを予定していて
そのカンファレンスに春男さんが利用している介護保険のサービス業者も出席する。
病院スタッフと合同で、退院後のひとり暮らしをどう支えていくのか
検討している最中に、不用意にも認定調査員の言葉は実姉を不安になり動揺させた。

春男さん(71歳、要介護3)は、一昨年の正月に脳梗塞を患い左上下肢麻痺となった。
左足の麻痺は強く、短下肢装具を着け4点杖でどうにか歩行できるまでになった。
週に1回40分の訪問リハビリ、小規模デイサービス週に3回
生活援助(掃除、洗濯、買い物、調理)は週に6回
福祉用具貸与(特殊寝台、車いす、手すり)と住宅改修(手すりの設置と玄関から道路まで舗装にする)
通院は4週に1回 姉が車に乗せ付き添い。月1,2回見守りに訪問
村の週1回ゴミ収集を通し安否確認、救急通報システムの設置。
ケアマネジャー 月に3、4回の在宅訪問。
上記の介護サービスを使うことにより、ひとり暮らしをしてきた。

令和2年春頃、小規模デイの管理者は春男さんの躰の異変に気づき、ケアマネジャーに報告してきた。
その異変というのは左首のところが腫れ、瘤のようなしこりが感じ、左顎も腫れていた。
耳鼻科受診にするよう話をした。

春男さんは「歯が腫れたのでは・・・」ということで歯科受診をされたら
地元の総合病院耳鼻科に紹介され、その日のうちに受診した。
左首はリンパ腫(腺癌)と診断され、その他に左下葉肺癌も見つかった。
抗がん剤治療を毎月1回受けながら療養していた。

今年の7月下旬に入り右足大腿部や股関節の痛みを訴え
立ち上がりに時間がかかり、立位も不安定であった。
自宅で立ち上がり、夕方カーテンを閉めたときにバランスを崩し尻もちをついた(転倒)が
骨折に至らず胸をなでおろしたことがあった。
このときには骨転移の症状があった

小規模デイの管理者からも今治療を受けている呼吸器外科の医師に報告をされた方がいいのでは、と話があった。

《続く》

『おらはおらでひとりいぐも』❷ ~子の老いを見届ける時代になった~

2020-09-10 11:14:35 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1669 『おらはおらでひとりいぐも』❷ ~子の老いを見届ける時代になった~
 出だしから長い引用になるが、気になる言葉だったので紹介させていただく。

「だいたい、いつからいつまで親なんだか、子なんだか。
親子といえば手を繋ぐ親子を想像するけれど、
ほんとは子が成人してからのほうがずっと長い。
かての親は末っ子が成人するころには亡くなってしまったそうだけど、
今の親は自分の老いどころか子の老いまで見届ける。
そんなに長いんだったら、いつまでも親だの子だのにこだわらない。」
(60頁)

そうだな、とあらためて思いました。「手を繋ぐ親子」の時間は短く、大人になった子どものほうがずっと長い。
長寿の時代となり、老親だけでなく、子は定年や還暦を迎え老いはすぐそこまで迫ってきている。
子はいつまでも親の金をあてにせず自立せねばならないし、
親は老後は子にみてもらうという甘い期待は抱かぬほうがいいかもしれない。
親子の血縁を疎遠にするつもりはさらさらないが、親は親、子は子、それぞれの道を歩いていくことになる。

認知症になっても老親はわが子の帰りを心配し、「腹を空かして帰ってくるから、何かを作ろう」として、
台所に向かい煮物を作るも、ガス台に鍋をかけてあることを忘れ鍋を焦がしてしまう。
仕事から帰ってきた息子は、焦げた鍋を見て老母を怒ってしまう。
老母はなぜ怒られたのか、その理由がわからずのまま不安と戸惑いだけが残る。

障害を抱えたわが子と同居している老親は
老親亡きあとのわが子を心配されている。
老いたわが子の「面倒」をだれがみていくのか、
そのことを思うと老親は「まだ死んではいられない」とやりきれない気持ちになる。

老親ひとり、息子ひとりで暮らす家族もあり、
老親が亡くなったあと、息子の老後は「ひとり暮らし」となる
自分で自分のことができなくなったとき老いた息子はどう生きていくのか
そのことも気になりながら老親の介護相談をしている”わたし”

老老介護は、老夫(老妻)が老妻(老夫)を介護する言葉として使われたが、
これからは老いを迎えた子どもが80代後半から90代の老親を介護を意味として言葉が拡大していくのだろう・・・・。