酔い日は佳い日

日々の食卓、晩酌事情。by こたりん

ごはん な幸せ

2012-11-08 | こしらえた話。
先日は余り物チャーハン。


大根の葉をまぜて。

いや、余り物というのは大根に失礼か。もともと食べようと思って葉の良さそうな大根を選んだので、余っているわけではない。

大根の葉がしゃくしゃくとほろ苦く、滋味な感じが実に旨い。
ちなみにご飯は九部づき玄米だ。近頃、我が家の食卓。炊くご飯の二度に一度を玄米にしている。している、というか、たまたま買った物が気に入ったので、それが続いているという言い方が正しい。

我が居住地は、北海道でも上川百万石と称される米どころ。生産者さんから直接お米を買う機会にも恵まれている。顔の見える食べ物は、それだけで美味しい気がする。

ちなみに(2度目だな)、九分づき玄米。玄米には興味があるが、扱いが難しそうだし、買ったはいいが口に合わなかったら…と、ためらっていたら、これなら初心者向きと勧められたのがこれ。炊き方も普通の白米と変わらないとのことだった。結果、正解である。

一杯のご飯が旨いというのは、色々な意味を持って幸せなことなのである。


もひとつオマケ ちなみに

幸せという言葉で思い出した、ここのところずっと気になっているCMのこと。

某社のタブレットを夫、妻、娘という一家で使っているという設定。
中で美人妻がこう言う。

私の幸せは彼の幸せでもあるの。

ちょっと ? である。「妻の幸せ=夫の幸せ」は定理であるが、これを自分から口に出すのは立場をわきまえてないというか、セリフとしては陳腐な気が。展開上必要なら、せめて、夫:「君が幸せなら僕も幸せだよ」とすべきではないか。それが家族の思いやりだ。私が幸せなら…というのは幸せの強制であって、自己中な夫が「俺がいいと言ってるんだからお前もいいんだよな」と言ってるのとそれほど違わない気がする。
もしもそこに寅さんがいたら「それを言っちゃぁおしまいよ」と言ってくれると思う。
あたしゃ古いんですかね。

それにしても、その解せないセリフを言ってのける瀬戸朝香。意外にもこれが悪くない。その台本は ? だが、瀬戸朝香がすんなりはまっているのが不思議だ。キャスティングの妙である。これを極めて中性的というのか、もしこれを、うーん、そうだな、木村佳乃や藤原紀香がやった嫌味だろう。壇れいさんも違う(そういや金麦のCMの彼女が好きだと書いたらブーイングだったような)。言って許されるのは高圧的演技で迫るデヴィ夫人か、何を言っても悪意のない鈴木奈々ちゃんか。

違う話の方が長くなった。